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これまでの放送

第210回 2013年9月2日放送

誇りをかけて、思い出を洗う クリーニング師・古田武



“思い出”を、託されている

古田のクリーニングは、特別なことをするわけではない。当たり前のことを徹底する。そこに本質がある。シミ抜きの際は、ルーペを使い、繊維の1本1本まで確認する。伸縮しやすい服は、洗う前にすべて採寸、記録し、ミリ単位の正確さで元の形に仕上げる。ワイシャツのアイロンがけでは、できる限りのりを使わない。のりを使えば成形しやすく、見た目も美しく仕上がる。だが、のりで固められた繊維は衣すれなどのわずかな刺激で傷つき、寿命が縮んでしまうからだ。
仕事をするとき、常に頭にあるのが、「“思い出”を、託されている」という言葉だ。「ブランド品は、高級品じゃなくて高額品なんです。思い入れがあって大切にしているものが高級品なんです。私はそれを手入れさせてもらっているってことなんです。」どんな服も、持ち主にとっては思い出があり、物語のつまった1着。その思い出をともに育てたいと思っている。

写真ルーペを使い、徹底的にシミを抜く古田
写真40年以上前の形見のワンピース、思い出がつまった服が全国から届く


怖さと向き合ってこそ、職人

一見単純に見えるクリーニングの仕事だが、シミ抜き一つとってみても、繊維やシミの性質に応じて50種類以上の薬剤を使い分ける緻密な手仕事だ。さらに薬剤のつける量や時間のわずかな違いで、色落ちなどの致命的な損傷が起きる。特に古田が受ける依頼は、ほかのクリーニング店で失敗したものや、依頼を断られた形見の品など、極めて難しい仕事が多い。60年のキャリアを重ねる古田でも、失敗の恐怖から、断りたくなるときもあるという。「でも、できないっては言いたくない。今はできないんだけど、何とかする方法はあるんじゃないか。それから逃げたら、存在価値がなにもないじゃないですか」。
「怖さと向き合ってこそ、職人」。そう自分に言い聞かせ、74歳の今も仕事場に立っている。

写真シミを抜く古田
1着に1日以上かけることもある


信じる道を、行きなさい

古田には、忘れることのできない恩師の言葉がある。30代のとき、古田は志願し、高級服専門のクリーニング店を任せてもらった。だが、客はまったく入らず、アルバイトの給料さえ支払うことができない日々が続いた。店にいても仕事がないため営業に駆け回ったが、状況は変わらなかった。半年後、古田は出入りの業者から、親会社の支払いが数か月滞っているという話を聞いた。親会社の社長小池武治さんは、古田の立ち上げた店が原因で経営を持ち崩していたにもかかわらず、古田にはそれを伝えずにいたのだった。「どうして教えてくれなかったんですか」。店の閉鎖を覚悟し、謝りに出向いた古田に、小池さんはこう言葉をかけた。「君は間違っていない。信じる道を行きなさい」
自分を信じてくれた人の思いに、なんとしても答える。古田はそれまで以上に技術を突き詰めた。365日1日の休みも取らず、昼は営業に駆け回り、夜は服を洗い続けた。指からは指紋が消えた。そして3年後、店は赤字を解消し、全国から依頼が届くようになった。
毎朝、古田は仏壇に祈る。そこには、両親や兄弟の位牌とともに、小池さんの名前が供えられている。

写真30代の古田


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

あくなきチャレンジかな、挑戦。自分の知らないことがいっぱい出てきたときに、何とかそれを可能にするための挑戦。挑戦していかないと、プロじゃなくなっちゃう。

クリーニング師 古田武


放送されなかった流儀

恥をかけ、汗をかけ

古田は、「自分ほど失敗しているクリーニング師はいない」という。そして、ことあるごとに弟子たちに「恥をかけ、汗をかけ」と繰り返す。今のクリーニング業界は、クレームが怖いから、やる前からできないと断ってしまう。それでは成長はない。チャレンジした上での失敗は、1回ならば許すと決めている。
古田自身、恥をかいて育ってきたという思いがある。40代の頃、革や毛皮の手入れの技を知りたくて、フランスやイギリスの技術者に稚拙な英語で手紙を書いた。1年以上送り続けた結果、その熱意にほだされた技術者が研修を認めてくれた。今も毎年、ファッションショーに通っては新素材に目を通し、新たな技術を求め続けている。

写真弟子を指導する古田