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スペシャル 2013年8月26日放送

宮崎駿スペシャル 「風立ちぬ」1000日の記録 映画監督・宮崎駿



大事なものは、たいてい面倒くさい

宮崎のアニメーション作りは2年に及ぶ長丁場だ。300人に及ぶスタッフを動かしながら、1500に及ぶカットを1カット1カット仕上げ、完成へとにじり寄っていくその行程を、宮崎は“レンガ積み”に例える。
全作業の根幹となるのは、宮崎の書き下ろす“絵コンテ”。キャラクターの動きやセリフ、背景などを精緻に書き込んだ、いわばアニメーションの設計図だ。この絵コンテをもとにアニメーターがキャラクターなどの動きをつけ、美術が物語の舞台を描き、世界観を作り上げていく。さらに、キャラクターなどの色を決める色彩設計や撮影といった業界屈指のスタッフが宮崎アニメを支える。
そんな彼らを2年間、最前線で指揮し続ける宮崎が日夜漏らす言葉がある。それは、

「面倒くさい」。

アニメーション制作は、実写と異なり、すべてを“無”から生み出さなければならないため、風に揺れる草の1本1本まで描かなければならない。しかも少しでも手を抜こうものなら、それがスクリーンであらわになり、作品の品位をおとしめる。宮崎は、アニメーターが描いた絵を手直ししながら、四六時中、「面倒くさい」「面倒くさい」と漏らし続ける。だがその裏に、宮崎が70歳を越えてたどり着いた境地が上記の流儀だ。
「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』って、そういうことになる。世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」。

写真宮崎はかつて天才アニメーターとして鳴らした。アニメーターの描いた絵を見る目は常に厳しい。
写真アニメーターの描いた主人公・堀越二郎の表情を、納得いくまで手直しする。


堪(たふ)る限りの力を尽くして生きる

宮崎は机に向かっている際、激しく貧乏揺すりをしていることがままある。聞けば、無意識ではなく、敢えてみずからにムチ打って急き立てるためにやっているのだという。
70歳を越えてなお、朝から晩まで机にへばりつき、鉛筆を握り続ける。アニメーションはまさに体力勝負だ。「風の谷のナウシカ」以来、「これが最後」と宮崎はたびたび口にし続けてきたが、新作「風立ちぬ」の現場はかつてないほど過酷なものとなった。
制作途中には、原因不明の体調不良にも悩まされた。プロデューサーの鈴木敏夫はじめ、周囲からは休みを取るように勧められた。それでも宮崎が現場から離れることはなかった。「くたばっても絵コンテだけはできていたっていうふうにしないとみっともない」。映画監督としての執念そのものだった。

そんな宮崎が映画作りを通じて、テーマとしていた言葉がある。それは、

「堪(たふ)る限りの力を尽くして生きる」。

新作「風立ちぬ」は、日本が戦争へと突き進む中、主人公・堀越二郎がみずからの仕事と妻との生活に全力を尽くして生きようとする姿を描くものだ。その生きた姿を本当に描くためには、みずからもまたこの面倒くさい日常を前に、決して膝を折ることなく、全力を尽くして生きなければならない、と宮崎はみずからに課しているかのようだった。映画に刻まれた、力を尽くして生きる二郎の姿は、宮崎そのものでもあったのだ。

写真思い描いた以上のカットが完成し、会心の笑みを浮かべる宮崎。だが直後、席に戻って次なるカットに向かう。
写真 「自分たちに与えられた、自分たちの範囲で、自分たちの時代に堪(たふ)る限り力を尽くして生きるしかないんです」