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これまでの放送

特別編 2013年7月1日放送

信じる力 500日の記録 サッカー日本代表・本田圭佑



信じる力

2011年8月、本田は右膝(ひざ)半月板を損傷した。スペイン・バルセロナで緊急手術を受けたものの、半月板の大半を取り除かざるをえない重傷だった。だが、リハビリ中の本田がインタビューで口にしたのは、意外な言葉だった。

「ケガしたことは残念ですけど、もうしょうがないですし。ケガして思ったのは僕、チャンスやなと。オレはチャンスやなと思ってるんですけどね」

その言葉に偽りはなかった。
本田は、リハビリに費やされる時間を逆手にとって、肉体改造に着手した。テーマは「瞬発力」の向上。幼い頃から最大の弱点とされてきた「スピード」の克服に、果敢に挑もうというのだ。だが、努力だけで乗り越えられない壁があるのも厳然たる現実だ。それでも度重なる試練に襲われても、本田は自らの可能性を信じることをやめようとはしなかったーー。
そして、2012年5月のロシアリーグ最終戦で、その進化を証明するゴールが生まれた。小刻みなステップからなめらかに加速すると、一気にディフェンダーを振り切ってゴール。かつてないスピードを見せつけた。
かつての本田といえば、強靱(きょうじん)なフィジカルと卓越したテクニックに裏打ちされた「キープ力」が最大の武器だった。攻撃の起点になれることから、ワールドカップ・南アフリカ大会(2010年)ではフォワードに抜擢されて2得点1アシスト、日本代表を決勝トーナメントに導く活躍を見せた。だが、瞬発力を向上させたことで、本田は敵陣深くに走り込み、パスの受け手になってゴールを奪うという、もうひとつの大きな武器を手にしたのだ。
その成果は、2012年6月のワールドカップ・アジア最終予選で遺憾なく発揮された。重要な3連戦で4ゴール。ワールドカップ・ブラジル大会に向け、日本代表のロケットスタートを演出した。
本田は言う。ケガをしたことで、世界一にまた一歩近づいた、と。
「ケガは、チャンス」と語った“ビッグマウス”は、“困難”を、また現実のものとしてみせた。

写真壮絶なリハビリにも、本田は自らを信じることをやめなかった
写真本田が手にしたもの それはかつてない瞬発力だった


神様、ありがとう

2011年8月に右膝を負傷して以来、ほとんど試合に出ることができなかった本田にとって、2012年は勝負の年だった。ビッグクラブ移籍を実現させるためにも、CSKAモスクワ(ロシアリーグ)で著しい結果を残すことが求められていた。
だが、そのシーズンは予想以上に苦しいものとなった。開幕戦こそ1-0で勝ったものの、2戦目は3失点とディフェンスが崩壊。本田はシーズン初ゴールを決めるも、リーグ下位に沈むチームに惨敗した。第3節は、昨季のロシアリーグ覇者・ゼニトとの対戦。優勝の行方を占う一戦と注目を集めたが、またもや大量失点で敗れた。だが試合後、本田は既に前を向いていた。

「神様がほんままた、いらん障壁ばっか立てますけど、もう望むところですよね。この壁だって神様に感謝しないと。この状況を与えてくれてありがとうって。思ったように事が運ばない、それもまた人生。いかなる時も前向きにね。うまくいかないときほど前向きに、ですよね。大事なのは自分が成長することやから」。

いかなる試練にも、“神様、ありがとう”と言える精神力こそ、本田を本田たらしめてきたものだ。ガンバ大阪ジュニアユース時代、体力が乏しく、ユース昇格は認められなかった。21歳でオランダに渡るも、チャンスで決められない勝負弱さを露呈した。それでも本田は、いつも這(は)い上がってきた。
週明け、チーム練習が再開されると、本田はこれまで以上の“熱さ”で、チームメイトに自らの熱を伝えていった。
そして、迎えた強豪・アンジとの一戦。両チーム無得点の拮抗(きっこう)したゲームを動かしたのは、本田だった。ゴールキックを相手と競りながら、味方ヘディングパス。そこから決勝点が生まれ、苦しいゲームをものにすると、チームは勢いに乗って6連勝を記録。一気にロシアリーグ首位に立った。
そして、2013年5月、本田が所属するCSKAモスクワは、見事リーグ優勝を飾った。

写真「本田は、チームの脳だ」(CSKAモスクワ・スルツキー監督)
写真本田の“熱”がチームを動かしてゆく