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スペシャル 2013年6月24日放送

道を極める心得スペシャル



せっかく就いた仕事だから、とことんその道を極めたい。でもその途上には、とかく困難が待っている。
壁に悩むあなたへ、6人のプロが修業の極意を伝授する、プロフェッショナル特別編「道を極める心得スペシャル」!!
登場するのは、いずれも数十年に渡る厳しい修行で名を成したプロたちだ。天皇陛下の執刀医を務めた天野篤は、胸に秘めてきた覚悟を語った。天ぷら職人・早乙女哲哉は、「点をめざす」という不思議な心得を明かした。さらにパン職人・成瀬正、石工・左野勝司、絵画修復家・岩井希久子、建築家・伊東豊雄ら、錚々(そうそう)たる仕事人たちの心得を一挙紹介。自分に負けそうな時、いかにして自分を奮い立てるのか、心の奥義がここにある。


天ぷら職人 早乙女哲哉「積み上げた数が、いつか自信になる」

当代屈指の天ぷら職人として、全国にその名が轟(とどろ)く早乙女。15歳からの修業で、最も大切にしているのが、「常に今がベストかと問い続けながら、とにかく数を積み上げること」だという。もともと緊張しやすく、客の前に立つと手足が震える、という早乙女。そのコンプレックスを乗り越えるため、2千万個以上の天ぷらを揚げてきた。「男はね、努力だの苦労だのする奴は最低だと思ってるんですよ。能力だけでね、やっていくのが男だよって。そう思っているんだけど、自分がそれしかできないんだよ。笑われたくないからね、とことんやるの。」というのが本人の弁。そして今も、早乙女はさらなる高みを目指し、数を積み上げている。早乙女が「小さく、深い点」と表現する究極の技の頂きを求めて、その修業は続いている。

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パン職人 成瀬正「どこを見て、何を学ぶか。すべては“目付け”で決まる」

世界のパン職人が腕を競うクープ・デュ・モンドで2012年、日本代表監督として世界一に輝いたパン職人・成瀬正は、修業の極意を「目付け」と呼ぶ。「目の付け所ということです。同じものを見ても、どこを見るかによって見え方は違う。小さな差があっても、違うところを見ていたらその差は見つからない。そこをピンポイントで見分ける、それが目付けです。」
たとえば生地の練り具合。ほとんど同じように見える仕上がりに、わずかな差を見極めていく。その「目」がなければ、日々の作業の繰り返しの中に、改善点を見つけることなど出来はしない。
そして、新しい技術を身につける時にも、この「目付け」が勝負の分かれ目。どこを見るか、どこまで見るか。そこにこそセンスが現れる。同じことを教えても覚えるスピードが違うのは、見るポイントが違うから。成瀬は、自分にも弟子たちにも、あらゆる場面でこの「目付け」を徹底させている。

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石工 左野勝司「忍耐こそが、道を拓く」

モアイ像の修復、スフィンクスの保全調査、高松塚古墳の保存プロジェクトなど、石の匠として世界にその名を知られる石工・左野勝司。大きく堅い石にノミ一本で立ち向かい、その目を見切り、かたちどっていく。その左野に修業の極意を尋ねると、開口一番「忍耐」の言葉が返ってきた。
「技を磨くとか、そういうことは初めはありません。ぜんぜんそういうことじゃなく、石と向き合って、どこまで友達になれるか。一週間かけて一生懸命作ったものが、最後にポロッと欠けてしまう、それでもうゼロになりますから。そういう繰り返しですから、耐え抜かないといけない。」
石工になりたての頃、日々の痛みは壮絶なものだったと左野は言う。手の皮は破れ、腕の感覚がなくなり、それでもノミを握って石をたたき続けた後の手は、風呂につけると強烈な痛みが突き抜けたという。それでも耐え続けた日々が、いつの間にか教えてくれたことがあるのだと左野は言う。

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絵画修復家 岩井希久子「仕事への愛情が、挑む勇気を生む」

ピカソやモネなどの歴史的名画の修復で知られる岩井希久子の仕事は、重圧との格闘だ。劣化した絵の修復は、一歩まちがえば、破壊につながりかねない。「触れずにおけたらどんなにいいか」という岩井は、悩んだ時、歯が全部抜けて口に詰まって出しても出しても口いっぱいに詰まる、そんな悪夢にうなされるという。それでも最後は、意を決して修復に挑む。その岩井を支える思いとはなにか?
「いいかげんな仕事は絶対したくないというのもありますけど、やっぱりその絵のことを本当に真剣に考えたら、今自分がこれをやらなかったら悪くなるというのが分かっていたら、やっぱりそれはもうどんなに大変であろうが、やらないといけない。」岩井は、自分の思いを最後に支えているのは「愛情」だという。絵への愛情、そして仕事への愛情。それが踏み出す勇気をくれると岩井は語る。

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建築家 伊東豊雄「自分を変える答えは、外にある」

世界的キャリアを誇る建築家・伊東豊雄は、70歳を過ぎて新たな挑戦を始めている。東日本大震災で被災した岩手県釜石市で、街の復興計画を作る仕事だ。この仕事に携わる中で、伊東はこれまでの自分の建築をゼロから見直し、新しい建築のあり方を模索している。常識を覆し、斬新なデザインを創造してきた伊東の心得とはなにか?
「正解は自分のなかにあるのではなく、外にあって、それを探しながら進んでいく。最初に考えてもみなかったような最終形が作られるというのは、僕にとって創造的な行為に思うんですね。」
被災地では、スピーディーに効率よく街を整備することに最重点を置かねばならない。時間も予算も制限されたなかで、どうやって豊かな空間を生み出すのか?その難題に新たなアプローチを見つけようとしている伊東。その裏には、これまでのキャリアにとらわれず、いつでも自分をゼロから大胆に見つめ直す、そんな覚悟が秘められている。

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心臓外科医 天野篤「まず、壁を登ると決める」

2012年、天皇陛下の冠動脈バイパス手術の執刀医を務めた心臓外科医・天野篤。他の病院で治療が難しいと言われる患者を引き受けながら、その成功率は驚異の98%を誇る。だが天野はその数字に甘んじることはない。この分野の第一人者と言われるようになった今も、修行僧のようなストイックな毎日を送っている。平日は毎日病院に泊まり込み、帰るのは週末のみ。持てる力のすべてを手術に捧げ、究極の技の頂を目指す。いったい天野は、どんな思いで日々の手術を続けているのか。
「95%の成功率を98%にするのと、98%を99%にするのは同じじゃないし、多分後者の方が3倍くらい労力がいると思うんですよね。ものすごく高い壁ですけど、これは登れないって決めたら多分登れないです。でもなにか登る方法がある、だから登ると自分に義務づければ、それは埋められるんじゃないかと思います。」
どんな困難な手術でも、まず、壁を登ると決め、ひたすら成功への道筋を考え続ける。そんな天野が歩んできた道は、その1つ1つに患者の命がかかってきただけに、壮絶な体験の繰り返しだった。その道を、天野は「冥府魔道」と呼ぶ。なにがあろうと、その道を進み続ける覚悟こそ、天野を支える思いだ。

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