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これまでの放送

第193回 2012年9月24日放送

ぶつかりあって、愛が生まれる 脚本家・遊川和彦



物語は、自分の中にある

遊川は、これまで40作以上のオリジナルドラマを制作してきた。浮き沈みの激しい業界の中で、25年にわたり第一線を走り続け、次回作がつねに期待される脚本家だ。
遊川は脚本を書く時、登場人物たちの心の内を探ることに最も時間を費やす。それは遊川にとって自分の内と向き合う作業でもある。糧となっているのが、自身の複雑な家庭環境だ。遊川が高校生の頃に父親が蒸発した。その時に感じた貧しさや心の痛み、そうした経験を掘り下げながら、登場人物の思いを考え抜く。「物語は、自分の中にある」という。
さらに遊川は、「人さえ描ければ、物語は動き出す」と口にする。何を食べ、何時に起き、どんな服を着ているのか、ドラマには反映されないようなことまで考え抜き、人物像を浮き彫りにする。「今のドラマは、演出方法が多様化する一方で、安易な方向に走りすぎている。だからこそ、リアルな人間を書く意思を大切にしたい」という。『家政婦のミタ』や『女王の教室』、『さとうきび畑の唄』。奇抜な登場人物たちが話題になる中で、実はその登場人物たちのリアルな心の動きの描写が、見る人たちを引きつけてきた。

写真執筆中、悩む遊川
写真25年間で、40作以上のオリジナルドラマを作ってきた


もがけ、苦しめ

初対面の相手でも遠慮せずに毒を吐く遊川だが、仕事への姿勢は真面目一徹、一緒に仕事をした人たちからは“ミスターストイック”とまで呼ばれている。それは、遊川の「最後の1秒まで、もがく」という言葉に凝縮される。
遊川は、必ず締め切りを守る。そして脚本家としては珍しく、撮影現場に立ち会う時間を捻出する。現場では、演出家や役者の間を歩き回り、展開に込めた意図や、台詞に込めた思いを伝え続ける。逆に撮影中の芝居を見る中で、自分の書いた脚本が十分でないと感じれば、その場で書き直すこともある。「たとえ撮影前日であろうと、1ミリでも上がるのであれば書き直す。遠慮したら、逆に怒ります」と、遊川は全ての現場で最初に伝える。そしてその言葉の通り、撮影直前まで自問自答を繰り返し、もがき続ける。「視聴者は脚本なんか読まない。完成したドラマを見る。だったらそこまで責任を持ちたい。脚本なんて変わったっていいんだから」

写真撮影中、モニターから目を離すことはない
写真役者に演技のイメージまで伝える


本当に面白いものは、人間の内側にある

遊川は25年にわたる脚本家人生でたった一度、脚本を降板したことがあった。その挫折の中で、遊川は、「人を描くことの重み」に気づかされた。それまで遊川の作品は、スピーディーな展開や軽妙な台詞回しなどを売りにしてきた。だが、挫折をきっかけに、登場人物をあえて絞り込み、その分、徹底的に一人一人の内面を探るようになった。「それまでは、面白ければいいと思って書いてきただけで、登場人物が好きでもなんでもなかった。本当に大事なのは、登場人物を好きになることだった」。“好きになる”、それは登場人物たちの気持ちを徹底的に考え抜くことだった。それ以降、遊川の作品には、かつてない魅力的な登場人物が生まれるようになる。徹底的に冷徹な態度を貫く鬼教師(「女王の教室」)。決して夢をあきらめない見習い弁護士(曲げられない女)。言われたことは何でもこなす家政婦(「家政婦のミタ」)。個性的だが、軸の通った深みのあるキャラクター、それは、圧倒的な共感を集めるようになった。

写真キャラクターについて考えをめぐらす


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

愛ですよ。ドラマを愛せなくなったらやめるしかないからね、それだけですよ。他のやつより俺は好きだって思えなくなったらやめるだけでしょ。

脚本家 遊川和彦


放送されなかった流儀

ぶつかりあって、愛が生まれる

遊川は今年、NHK朝の連続テレビ小説「純と愛」を執筆している。この作品で遊川が伝えたいのは、「人を生かすのは、人と人との絆」ということ。絶望のふちにいる時、一人でも自分の事を本気で思ってくれる人がいれば、人は生きられる。震災以降、何度も耳にするようになった“絆”を、あえて正面から掘り下げたいと考えている。
また、この絆というテーマは、遊川の人生のテーマでもある。徹底的にお互いをさらけ出しぶつかり合う中で生まれる相手を信頼する気持ち。それが遊川の背中を押してきた。本気で相手の事を考えているからこそ、遊川は誰よりも真剣にぶつかって行く。

写真撮影現場で、主演の夏菜にアドバイスをする
写真「純と愛」ヒロインの夏菜