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これまでの放送

第189回 2012年5月14日放送

一途一心、明日をつむぐ 心臓外科医・天野 篤



一途に、一心に

天野は、執刀医としてたずさわったおよそ6千の心臓手術で、98%という群を抜く成功率をおさめてきた。この成功率を支えるのが、“一途に、一心に”、人生の全てを手術にささげようとするその姿勢だ。
急を要する患者の連絡が入れば、どんなに疲れていようと、手術室に向かう。月曜から金曜までは自宅に帰らず、医師室に泊まり込み、24時間体制で患者を見守る。こうした生活を30年近く続けている。日本の心臓外科医が1年間に行う執刀数は50件が平均という中で、天野の年間執刀数は400以上と驚異的な数。「手術をしていないと、怖い」という天野。この圧倒的な経験値が、手術を成功に導く。
どんなに困難な状況に直面しても、その手が3秒と止まることはない。膨大な過去の経験から、最善の一手を選択し、冷静に手術を進める。

写真手術中の天野
全身に集中力をみなぎらせる

写真医師室に泊まり込む天野
奥のソファが定位置


生きる喜びを、取り戻す

多くの心臓外科医たちが、天野を「日本一丁寧な手技を行う」と評価する。実は天野の持ち味は、当たり前のことを愚直に突き詰めるその姿勢にある。例えばバイパス手術の材料として取り出した血管。天野は、血管の周囲についた脂肪や、外膜と呼ばれる薄皮を、しつこくつまみ取る。さらに、枝のように伸びた1ミリ以下の細かい血管も、1本1本糸で縛る。成功は細部に宿る。ほんのわずかな凹凸も全て取り除くことで、血管をつなぎ合わせた時にスムーズな血流が生まれる。通常のバイパス手術では、血流が80%回復すれば成功といわれるが、天野のそれは、ほぼ100%の流れを生み出す。単に生き延びるための手術ではない。“生きる喜びを、取り戻す”こと。術後の不安や、再手術の芽を取り除き、最終的には、患者が手術したことさえ忘れてしまうような治療を、常に目指している。

写真直径2ミリ以下の血管をつなぎ合わせる
写真つめ切りを使わずに、ハサミで切る
小さな積み重ねを30年以上続けている


1糸の重み

天野は目の前で、父の甲子男さんを亡くしている。若き頃、第一助手として立った父親の心臓手術。心臓に縫い付けた人工弁の糸が1本緩み、それがきっかけとなって、父親はかえらぬ人となった。天野は、「父は、心臓手術でこうしてはいけないということを、自分の命とひきかえに教えてくれた」という。そこから天野の、一つ一つの手技に対する厳しさが生まれた。「自分は誰よりも、“1糸の重み”を知っている」。多くの部下を率いる立場になった今でも、体裁にこだわらず、時には縫い直しをしてまで、丁寧な手技を突き詰める。「ただ父親に褒められたいだけ」という天野の机の中には、今も父の形見の人工弁が入っている。

写真30代の天野と、父の甲子男さん
写真父の形見の人工弁、今も時々取り出す


プロフェッショナルとは…画像をクリックすると動画を見ることができます。

自分のね、天命、決められたものあるでしょ。それに対しては忠実にやってるだけですよ。ま、宿命かな。

心臓外科医 天野 篤


放送されなかった流儀

必然と、闘う

天野は、心臓を動かしたままバイパスを行う「オフポンプ手術」のパイオニアといわれる。成功率は99.6%、天皇陛下の執刀もこのオフポンプ手術で行った。今では、バイパス手術の主流になりつつあるオフポンプ。だがこの術式は、天野のある信念から生まれたものだった。
15年前、天野はバイパス手術を行う必要に迫られた。しかしその患者は、人工心肺を付ける体力さえ残っていない。天野は、心臓を動かしたままバイパス手術をせざるをえなかった。手術は失敗、血流は回復しなかった。
「やっている限りにおいて、必然だっていう事を認めたら負けだから、闘う」。天野はいちからオフポンプに必要な技術を見つめ直し修練を積んだ。そして3年後、オフポンプによるバイパス手術を成功させた。必然の壁をやぶろうともがき続けること、それが座右の銘になった。

写真オフポンプ手術に挑む天野
写真ヒーローは、アントニオ猪木