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これまでの放送

言葉のチカラSP part2 2012年2月6日放送

プロフェッショナルを導いた言葉



おまえが考える七割で良しとして、ほめてやれ

「リゾート再生請負人」として名をはせる経営者・星野佳路。リーダーとしての心構えを教えてくれたのは、学生時代に出会った1つの言葉だった。
アイスホッケーに打ち込んでいた星野。星野は、厳しいリーダーだった。チームの強化には練習しか道は無いと、部員たちにハードな練習を要求、叱咤(しった)し続けた。だが、チームは強くなるどころか、雰囲気まで悪くなっていった。
そんなある日。チームの監督に呼び出され、こう告げられた。

お前が考える七割で良しとして、ほめてやれ

なぜだと思いながらも、星野はしぶしぶ実践し始めた。どんな小さい事でもほめてみた。すると半年後。自らきつい練習に励む部員が増え、やがてチームの雰囲気は良くなり、成績が上向いた。そしてついには、念願のリーグ優勝を果たした。
相手の良さを見つけ、ほめること。これこそがチームの大事な原動力。今星野は、あの言葉が「リーダーの心構えを教えてくれた」と感じている。

写真経営者・星野佳路


得(う)るは、捨つるにあり

日本を代表する靴職人・山口千尋。
大手靴メーカーに就職していた山口は、25歳の頃、会社を辞め、本場イギリスへ留学したいと考えた。すると会社は、「退職ではなく1年の休職にしたらどうか。」と提案してくれた。
山口は迷った。確かに帰国後の生活を考えれば、退職したくない。だが、1年間で本当に学びきれるのか。
山口は、尊敬する先輩に相談した。すると先輩は即答した。「辞めればいいじゃないか。」それを聞いたとき、山口の頭に、1つの言葉が浮かんだ。

得るは、捨つるにあり

何かを捨てなければ、大事な物を得ることなどできない。山口は、職を辞することを決意。イギリスに渡った。
その言葉は、イギリスでの苦しい修業生活の拠り所(よりどころ)となった。一日も無駄にはしないと自らを律し、靴作りに励んだ。
今山口は、あの言葉が、「覚悟を決めさせてくれた」と感じている。

写真靴職人・山口千尋


型破りな演技は、型を知らずにはできない 型を知らずにやるのは、型なしというのだ

“奇跡の女形”と呼ばれる歌舞伎俳優・坂東玉三郎。常に新境地に挑み続ける玉三郎には、大切にしている言葉がある。14歳で玉三郎を襲名した頃、師匠である守田勘弥さんから言われた言葉だ。

型破りな演技は、型を知らずにはできない
型を知らずにやるのは、型なしというのだ

玉三郎は、この言葉を「戒めの言葉」だという。当代きっての名俳優は、いつもこの言葉を胸に抱き、舞台に立つ。

写真歌舞伎俳優・坂東玉三郎


人は変えられないが、自分は変われる

ピカソ、ゴッホ、モネ・・・。数々の名画をよみがえらせている絵画修復家・岩井希久子。岩井が仕事を始めたのは、まだまだ女性が少ない時代。さまざまな軋轢(あつれき)に苦しむ中で、つかんだ座右の銘がある。

人は変えられないが、自分は変われる

試練や壁は、自らを鍛え強くしてくれる。人生を良くするのも悪くするのも、自分の考え方次第だ。岩井はこの言葉を大切にしながら、今日も笑顔で歩む。

写真絵画修復家・岩井希久子


人生は一本の線ではない 一日という点が連続して、一本の線になる

日本屈指の樹木医・塚本こなみ。
樹木の治療は、時に何年にもわたる。すぐに結果が出る仕事ではない。地道な努力が必要だ。そんな塚本の座右の銘は、先輩から言われた言葉だ。

人生は一本の線ではない
一日という点が連続して、一本の線になる

毎日を大切に生きる。そうすれば、いつか振り返ったときに、人生という線ができる。樹齢何百年の木も、一日一日を重ねたからこそ今に至っている。だから今日という日を精一杯生きる事が大事なのだ。塚本はこの言葉を胸に、樹木と向き合う。

写真樹木医・塚本こなみ


どうにかなることは、どうにかなる どうにもならんことは、どうにもならん

宮崎駿監督と共に、大ヒット映画を送り出し続けるプロデューサー、鈴木敏夫。
映画の制作が始まると、鈴木のもとでは1000人ものスタッフが動く。重い責任を負い仕事に挑む鈴木の、座右の銘。

どうにかなることは、どうにかなる
どうにもならんことは、どうにもならん

鈴木はこう語る。
「生きて行く上で窮地に立たされることってあるじゃないですか。そういうとき、その言葉、役に立つよね。そう思ってます。」

写真プロデューサー・鈴木敏夫


まだ、山は降りていない。登っている

訪問看護師は、病気を抱えながらも自宅で暮らしたいという人々を支える仕事だ。そのパイオニアの1人、秋山正子。日々、命や人生と向き合う彼女を支えているのは、ある患者の一言だ。
11年前、余命3か月と診断されたがん患者、桃川弘二さんを受け持った。当時46歳の桃川さんは、無口で我慢強い性格で、心のうちはもとより世間話すらほとんどしてくれなかった。そんな桃川さんに秋山はこう声をかけた。「そろそろ山を降りているんだから、荷物を下ろしたらどうかしら?」
すると、桃川さんは、こう答えた。

まだ、山は降りていない。登っている

秋山は気付いた。桃川さんは、今も強い気持ちで病と闘っている。人という存在の強さ、そして人にはそれぞれの最期がある事を改めて知った。
そんな桃川さんの言葉は、今秋山の中でますます大きなものになっている。仕事がうまくいかないとき、思い悩むとき、その言葉が前へ進む勇気をくれる。

写真訪問看護師・秋山正子


決まった道はない。ただ行き先があるのみだ

世界でも数少ない野生動物専門の獣医師・齊藤慶輔。かつて、齊藤の心を救った1つの言葉があった。
北海道に赴任2年目の齋藤の元に、絶滅危惧種オオワシの死体が次々と運ばれてきた。原因は鉛中毒。ハンターが撃った鹿の肉をワシがついばみ、鉛弾の破片を飲み込んでいた。何も出来ない現状に絶望感を覚えた。
そんな時、調査のためサハリンに向かった齋藤。トラックが泥道で何度も動かない。その時齊藤は「ロシアは大変だね。予定どおりにはいかないね」と運転手に声をかけた。
すると、ロシア人運転手は片言の英語で答えた。

決まった道はない。ただ行き先があるのみだ

その言葉は、齊藤をはっとさせた。
ワシを守るという目標さえ見失わなければ、必ず道は開ける。
帰国した齊藤は、猛然と動き出す。鉛中毒のことを、あらゆる機会をとらえて訴えた。半年後、鉛弾から銅弾へ切り替えるハンターや、無毒の弾を教えて欲しいという問い合わせが増えていった。
現在も野生動物のおかれた現実は厳しい。しかしだからこそ、齊藤は奔走する。進むべき道は、自分で作ればいい。

写真獣医師・齊藤慶輔


自分の場所に誇りを持つ人間が好きだ

世界的に注目される建築家、隈研吾。隈には、建築家としての信念ともいうべき言葉がある。
32歳の時に挑んだ自動車のショールーム。バブル景気のおり、隈は理論と想像力を駆使し、斬新な建物を設計した。だが、世間からは「景観を破壊している」と批判を浴び、その後、建築の依頼がパタリとこなくなった。何もできない、どん底の日々だった。
そんなある日、高知・梼原から交流施設を作ってほしいという依頼が舞い込む。訪れた隈に、地元の人たちは口々に町自慢をした。棚田の美しさ。よく手入れされた杉林の見事さ。それを聞く隈の脳裏に、ある言葉が浮かんだ。
アメリカ留学時に授業中聞いた言葉だった。

自分の場所に誇りを持つ人間が好きだ

自分の場所に誇りを持つ梼原の人たちと、もう一度建築と向き合おう。
隈は町の人たちと何度も話し合い、設計を進めた。2年後完成した建物を見て、町の人たちは言った。
「都会的だけど、この町にあっている」
良い建築を作るための条件は、工事費や規模ではない。その仕事に誇りを持てる仲間が得られたとき、自然と良い建築は生まれるのだ。
隈は今もときおり梼原を訪れ、建築家としての原点に立ち返る。

写真建築家・隈 研吾