石井は毎日、田んぼに通い、稲に向かって「寒くないか?」などと言葉をかける。人に笑われようとも、大まじめで“稲との対話”を続けてきた。そこには「自分が一生懸命に稲と向き合えば、稲もそれに応えてくれる」という信念がある。
だからこそ、石井は見回りを続けては常に稲の様子を気遣い、夏の炎天下も雑草取りに黙々と励み、「稲のために自分がしてあげられること」を自分に問いかけ、それを実践し続ける。それが稲がおいしい米を実らす秘密だと、石井は言う。
石井は毎日、田んぼに通い、稲に向かって「寒くないか?」などと言葉をかける。人に笑われようとも、大まじめで“稲との対話”を続けてきた。そこには「自分が一生懸命に稲と向き合えば、稲もそれに応えてくれる」という信念がある。
だからこそ、石井は見回りを続けては常に稲の様子を気遣い、夏の炎天下も雑草取りに黙々と励み、「稲のために自分がしてあげられること」を自分に問いかけ、それを実践し続ける。それが稲がおいしい米を実らす秘密だと、石井は言う。
田んぼで稲に話しかける石井
石井が米の有機栽培に乗り出したのは20代半ばのこと。農薬で体調を崩したのがきっかけだった。しかし、現実はそう甘くはない。除草剤をやめた途端、田んぼは雑草で覆われ、収穫量は大きく減った。収入も激減し、借金はかさみ、周囲からは白い目で見られた。陰では、「変人」と呼ばれるようになった。それでも、石井の気持ちが折れることはなかった。代々、米を作る農家に生まれ、その道を継いだ人間として、あきらめることはできなかったのだ。そして、ただひたすらに稲と向き合い続けた結果、道を切り開くことになった。
笑顔の向こうには、知られざる苦闘があった
石井の米作りは、まるで「子育て」だ。毎日、稲とふれあい、そして、語らう。文字通り、愛情を惜しみなく注ぎ込み、稲と真正面から向き合う。しかし、甘やかすだけは稲のためにならないと石井は考える。そのために、厳しい「しつけ」も行う。例えば、田植えの1週間前には、苗の先端を草刈り機で刈る。そうすることで、稲に抵抗力を備えさせ、たくましく育つと石井は考える。愛情があるからこそ厳しくできるのだ。
優しく、厳しく、稲と向き合う
型破りな農法で、極上の米を生み出す石井。その陰には、半世紀にわたって磨き上げた匠の技がある。例えば、田んぼの水管理。暑いときは、水を大量に流し入れてあふれさせる「かけ流し」。一方、寒いときは、水を深くして稲を保温する「湛水(たんすい)」。さらに、稲の状態に応じて細かく水の量を調節する。一般の人には見分けがつかないような葉の色やねじれ方。手の平を稲の先端に当て、その感触から健康状態を読み取るという。
稲の小さな「サイン」を見逃さない
石井は、好奇心のかたまりだ。自身の農法は既にほぼ確立しているにもかかわらず、何か採り入れられないかと世間に目を凝らす。取材中も田んぼの水を活性化させようと、業者と相談を繰り返していた。試行錯誤の過程には失敗も数多く生じる。それでも石井は失敗を恐れず、むしろ楽しむという。「失敗することで、何が足りないか、何が良くないかがはっきりして、成功までの道のりが見えてくるんです」と笑顔で語る。こうした長い蓄積から石井の農法は精製されたものなのだ。
「失敗から成功を導き出す」と石井は言う