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これまでの放送

第142回市川海老蔵スペシャル 2010年8月19日放送

荒ぶる魂、覚悟の舞台へ 歌舞伎俳優・市川海老蔵


守るために、攻める

海老蔵が生まれた市川家は、350年に及ぶ伝統を誇る歌舞伎界随一の名門。その市川家の芸を、海老蔵は幼いころからたたき込まれてきた。その一つが、代々伝わる演技の「型」だ。歌舞伎では、感情や役柄を表現するために、顔の向きや手足の位置などが細かく決まっている。海老蔵はそうした型を大切に受け継ぎつつも、ただ伝統を守るのではなく、新しい試みにも次々と挑戦してきた。「歌舞伎には型があるので、『これじゃなくちゃいけない』ということがある。でも、『これじゃなくちゃいけない』ということイコール、『これでいいんだ』的なことになりがちな部分もある。」
歌舞伎の伝統を守りながら、現状に満足せず攻め続ける。それが海老蔵の流儀だ。

写真新作歌舞伎のけいこ。新たな試みに挑戦し続ける。


自分はまだ、ハナタレ小僧

海老蔵は今、多い日には一日4演目、年間500という驚異的な数の舞台に立つ。準備期間を含めると、ほとんど休み無しの歌舞伎漬けの日々だ。舞台を離れても、かつては浴びるほど飲んだという酒を控え、たばこもぴたりとやめた。食生活も肉を控えた特別メニューにこだわる。愚直に歌舞伎に打ち込み、生き急ぐかのように舞台に向かうのは、一つの思いがあるからだ。
「歌舞伎役者は、20歳とか30歳とか40歳はハナタレ小僧。体が動かなくなってきてからようやく、芸とは何なのかが見えてくるはず。そういうところで闘わなくちゃいけないというのは、今をどれだけ突き進むかにかかっている。」

写真助六の舞台。芸の道をひた走り、高みを目指す。


歌舞伎にすべてをささげる

華々しい活躍を続ける海老蔵だが、その陰には、人知れずもがき苦しんできた壮絶な格闘の日々があった。名門の跡継ぎという宿命を背負い、やり場のない不満を抱えて反発を繰り返した10代の苦悩。21歳の時には、「勧進帳」の大役・弁慶を演じるというとてつもない重圧に負け、家出をしたこともあった。そして大きな転機となったのが、26歳での「十一代目・海老蔵」の襲名公演。大切な舞台のさなかに父・團十郎が急性白血病を発症した。海老蔵は父と同時に師匠を失うかもしれないという恐怖を覚える。その大きな試練に、「歌舞伎にすべてをささげる」という覚悟を胸に立ち向かった海老蔵。襲名公演を成功させ、大きな飛躍を遂げていく。

写真すべてを背負い、果てなき道を行く。


プロフェッショナルとは…

きのうの自分を超えることを継続し続けること、かな。

市川海老蔵

The Professional’s Tools

色

化粧をするための色。歌舞伎で化粧をすることを「顔をする」という。まず下地としてびんつけ油を塗り、その上におしろいを塗り、そこに筆や指で色を入れる。海老蔵は子どもの時から墨(黒)・紅・紫・茶墨の4色を使い、さまざまな役を演じ分けてきた。

写真墨・紅・紫・茶墨の4色で化粧をする。


筆

長年愛用の化粧筆。すべて子どもの時から使っているという。先端に糸を巻いてコーティングするなど、使いやすいように工夫をしている。

写真修理しながら使い続けている。


ポニョのフィギュア

映画監督・宮崎駿さんの作品が大好きな海老蔵。ポニョの動物がゆえの純粋さに感動し、映画館で号泣したという。楽屋にはいつも小さなポニョが置いてある。

写真水を入れてみんなにかける、いたずら用。