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第121回 2009年6月9日放送

人生によりそい、がんと闘う 乳腺外科医・中村清吾


医師は、謙虚であれ

中村が率いる乳がんの診断と治療の専門センターは、乳がんの手術数が年間700件という日本屈指の多さだ。センターを立ち上げ、育て上げた中村。しかし、治療には、常に謙虚さを持って向かう。「自分の診断は本当に正しいのか」「これで間違っていないか」。患者の声に真摯(しんし)に耳を傾け、少しでも疑問が残るときは、同僚に意見を求める。そして、その姿勢を若手医師にも伝えようとしている。「白衣を着ていると“先生”と思われるかもしれないけれど、それにおぼれてはいけない。もっと謙虚でないといけない」と中村は言う。謙虚さを失うと、医師としての成長は止まってしまうと考えているのだ。

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忘れられない患者の最期

東京浅草で生まれ育った中村。父は町で名を知られたしんきゅう師だった。いつも患者のグチや悩みを聞きながら、時には厳しく、時には優しく応対していた父。中村はそんな親の姿を見て医師の道を志した。
外科の道に進んだ中村は、いつしか病気を「治す」ことにばかり目を向けるようになってしまい、患者の「声」に真しに耳を傾ける姿勢を忘れてしまっていた。そんな時、幼子を連れた再発患者が中村を頼ってやってきた。「一日でも長く生かせてあげたい」。しかし、抗がん剤を次々に投与しても効き目はなく、副作用の厳しさばかりが彼女を襲った。そして彼女は、「子供の世話をしたい」と言いながら苦しみながら息を引き取った。中村は、「自分のやり方は本当に正しかったのか」と、深く悩むようになる。
悩む中、中村は乳がん治療の先進国、アメリカでの研修を希望する。ここで中村は患者をたくさんの専門家でともに診るチーム医療を知る。彼らは治療だけでなく、患者のその後の生活まで見据えて相談にのっていた。日本に帰った中村は、時間をかけながら同僚を説得。2005年、チーム医療を本格的にスタートさせた。

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患者の人生に、よりそう

乳がんの患者は、30代後半から急激に増えはじめ、50代にピークを迎える。この年代の女性は、母として、妻として、仕事人として、社会的役割が大きい。そのため、自分の身体だけにかまっていられず、病気による悩みも深くなる。今年3月末に乳がんの再発で入院してきた患者は、子供に病気の事実を伝えていなかった。がんの治療には家族の応援は必至だ。中村は、彼女の気持ちをくみ取り、人生によりそいながら、治療と人生のサポートをしようと試みる。

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プロフェッショナルとは…

自分の可能性と限界を知っている人。そして他のプロフェッショナルをリスペクトできる人だと思います。

中村清吾

The Professional’s Tools

父親の形見の扇子

尊敬する父親の形見の扇子。「灸(きゅう)は身を灼(や)くにあらず 心に燈(ひ)を點(とも)すなり」と書かれている。治療ばかりに目が向いていたときには、この言葉は響いてこなかったが、今の中村にはずしりと重い言葉となっている。「心に燈を點せるような、患者の人生に向き合った治療がしたい」と中村は言う。

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