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これまでの放送

第87回 2008年5月20日放送

患者の無念、命の闘い 弁護士・鈴木利廣


患者の心を 心として

去年暮れ、国の謝罪という劇的な展開を見せた薬害肝炎。薬害肝炎とは、1960年代から90年代初頭にかけて、出産や手術で止血剤として投与された血液製剤が原因で多くの人がB型C型肝炎(ウイルス性肝炎)に感染した問題だ。その陰には、すご腕弁護団の存在があり、それを率いるのが、30年以上医療問題に取り組み、患者の側に立って闘い続けてきた弁護士、鈴木利廣だ。薬害肝炎問題のその後にカメラが密着。闘いはまだ終わっていなかった。それまでは、血液製剤が争点になっていたが、次なる闘いは、輸血や集団予防接種の針の使い回しなど医療行為によって感染したウイルス性肝炎感染者、推定350万人を救うという途方もない挑戦。3月、350万人を救う新たな法律制定に向けて、鈴木たちが動き始めた。

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自分をさらけ出してこそ 人の心に火をつけられる

鈴木はこれまで、薬害エイズ、ハンセン病、そして薬害肝炎と、国を相手に闘い続けてきた。その中で大切にしてきた仕事の仕方がある。それは、裁判を闘うだけでなく、被害者の怒りや悲しみをメディアを通して広く世間に伝え、国民の共感を広げるというものだ。しかし、薬害肝炎の原告たちの中には、メディアに出ることに戸惑う人も少なくなかった。自分は広告塔になりたくないという原告もいた。だが、鈴木たち弁護団には揺るぎない信念がある。それは、原告みずからが語ることでしか、人には伝わらない、弁護士は手伝うだけ、成果を取るのは原告にしかできない、という信念だ。原告たちは、弁護団と向き合う中で思いを同じにし、共に闘う同志となっていった。

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やるべきは 社会の仕組みを変える闘い

弁護士になって医療過誤訴訟に取り組み続けてきた鈴木だが、最初の10年はほとんど勝てなかった。そんな時、40歳の鈴木が出会った親子の裁判が、鈴木にとって忘れられない裁判となる。仮死状態で生まれ、脳性麻痺と診断された息子と母親。鈴木達は母子とともに、裁判で病院側の過失を問うた。一審判決は親子の勝訴だった。和解勧告が出されその後、病院側は金は払ったが、過失は認めなかった。鈴木の胸に、複雑な思いが募っていく。一つの裁判で勝っても、医療過誤はなくならない。社会の仕組みや制度に踏み込まなければ、問題は解決しない。そして同じごろ手がけた、薬害エイズ訴訟。国の謝罪という歴史的な勝利を勝ち取ったが、原告の悲願だった「薬害再発防止の抜本的な仕組み作り」はなしえなかった。目指すは、社会の仕組みを変える闘い。鈴木は、重い宿題を負い続ける。

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プロフェッショナルとは…

心技体ー心・技・体を兼ね備えている、そういう人がその分野でのプロフェッショナルだと…僕らはまだまだ理想にはほど遠いとは思いますけれども

鈴木利廣

The Professional’s Tools

国会便覧

薬害問題など国を相手に闘う場合、鈴木たち弁護団は、裁判という仕事以外に、国会議員に働きかけたりする国会活動が多い。そのため、議員の経歴や、議員会館の部屋番号などさまざまな情報が載っている国会便覧は、鈴木たちにとって必需品だ。

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携帯電話

薬害肝炎弁護団の弁護士たちは、携帯電話のメーリングリストで、情報を迅速にやりとりする。劇的に展開した12月、鈴木の携帯電話には、一日に200~300件ものメールが入ってきた。それに対して返信をするので、親指がけんしょう炎になったと言う。

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