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第71回 2007年12月11日放送

きのうの自分をこえてゆけ 絵本作家・荒井良二


自分の中のおとなを捨てる

荒井が描く多くの絵本にはストーリーらしいストーリーがない。そして、まるで子供が落書きしたような絵がちりばめられている。だが、大人が首をひねるようなこの不思議な世界が、子供達の心をとらえて離さない。
荒井は、「子供の心に届くのは、大人が作るような巧妙なストーリーや上手にかかれた美しい絵ではない」と考えている。だからいつも、「自分の中のおとなを捨てる」ことを心がける。積み上げた経験や常識に縛られるのではなく、奔放で自由な「子供の自分」を引っ張り出して描くことこそ、最も大事にしている流儀だ。

写真まるで子供が描いたような絵だ。


こどもビームをあびる

荒井も以前は、自由に「子供の自分」を引き出せる奇特な人間だったわけではない。誰しもが自分の中に「子供」を持つ。しかし年をとると、いやがおうにも蓄積される常識や経験が、それを覆い隠してしまう。
荒井は、定期的に「子供の自分」を刺激し、揺り動かす機会を持っている。それが子供達と何かを作る「ワークショップ」だ。10月、荒井は40人の子供達と、本の帯を使って絵本を作る、という「ワークショップ」を行った。子供達にとって、本は四角いだけの物ではない。常識に縛られる大人では考えつかない自由な絵本が次々と出来上がった。

写真子供が作った絵本。タイトルは「一本のかぎの向こうに」


日常じゃーにぃ

荒井が「子供の自分」を引っぱり出そうとするのは絵本を描くときだけではない。打ち合わせに行く道すがら、道路脇に広がる雑木林の暗がりをのぞき込む。そして、『この暗がりの向こうは、どこに続いてるんだろうね』などとつぶやいて、想像を巡らせている。大人の常識や知識を置き去りにして子供と同じ目線で見てみれば、日常には不思議がいっぱいある。狭い校庭や近所の脇道は、限りない冒険の場。日常生活そのものが荒井にとっては旅(じゃーにぃ)なのだ。

写真道を歩いているだけで、いろいろな物が気になってしかたがない。


宿命の敵=おとなの自分

荒井は、これまでにないやり方で、新作絵本を描くことに決めた。通常は文章をさきに書く。それをもとにラフスケッチを描き、全体の構成を決めてから作画に入る。今回はそのセオリーを崩し、いきなり絵を描こうというのだ。
ストーリーに縛られず、描きたい絵を描きたいように、どんどんと仕上げていく荒井。しかし、突然手が止まる。「こんなやり方をして、本当に1冊の絵本としてまとまるのか」そんな不安が頭をもたげてきたのだ。
荒井は、これまで絵本を描くときも、何かしら新たな挑戦を試みてきた。不安とはいつも背中合わせだった。しかし、前代未聞の描き方をした故に、今度の不安はことのほか大きい。
「冒険はやめよう」とささやくもう一人の自分を果たして振り切れるのか?

写真アトリエで考え込んだまま動かない


プロフェッショナルとは…

プロであることをどれだけ忘れて何かに没頭できるか。そういう人ですかね。

荒井 良二

The Professional’s Tools

3センチの色鉛筆

荒井にとって、短い色鉛筆やクレヨン、折れた鉛筆の芯(しん)などは、とても重要な道具。長い色鉛筆やクレヨンを使うと、しばしば、うまく描こうとする「おとなの自分」が顔を出す。そんな時、あえて不自由な道具を使う。おとなの自分を追い払うのだ。

写真


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