スマートフォン版へ

メニューを飛ばして本文へ移動する

これまでの放送

第61回 2007年9月4日放送

挑み続ける者だけが、頂(いただき)に立つ 靴職人・山口千尋


『挑戦的』継続

職人の仕事は、多かれ少なかれ同じ作業の繰り返しになる。まして、山口の靴作りのように、ほとんどを手作業で行う場合はなおさらである。それを「常に挑戦しながら、緊張感を持って行う」のが山口の流儀だ。「単なる流れ作業として、漫然と繰り返す」のでは、職人としての成長もないし、結果的によい靴も作れないという。
同じ作業を、挑戦的に継続できるかどうかは、単に精神力の問題ではない。「仕事へのアプローチのしかたを工夫する必要がある」と山口は話す。山口の場合、それは独立当初からこだわり続けている「オーダーメイドシステム」である。足の形は一人一人、そして片足ずつ違う。「同じ靴」を作ることは決してない。それぞれの形を再現した靴を作るには、毎回違う難しさがあるし、どの靴も一期一会である。必然的にどの靴のどの作業も気を抜けない状況を、自分で作り出しているのである。

写真ほぼ、まる1日かけて、一針ずつ靴底を縫う


継続こそ才能

山口は、26歳の時、靴作りの神髄を学びたいとイギリスに渡り、日本人の靴職人としては初めて、一流職人の証である「ギルド・オブ・マスター・クラフツマン」の称号を与えられた。
しかし、帰国後は、なかなか身につけた技術を使えず、もんもんとした日々を過ごす。技を駆使し、履き心地にこだわった山口の靴は、どうしてもコスト高になる。大量生産の安価な革靴が定着していた当時の日本市場には、受け入れられなかったのだ。
山口は、フリーの靴デザイナーとして食い扶持を稼ぎながら、自腹で靴を作り始める。いつ売れるとも分からない靴をコツコツと作り続けた。ある時、山口の考えに共感する小さなメーカーから依頼を受け、イギリスで学んだ技術を駆使した靴を作る。しかし、できあがった靴は問屋から「高すぎる」と指摘され、あっけなく消えてしまう。それでも山口は自腹で靴を作り、自前の展示会を開く。イギリスで学んだ革靴は、まぎれもない「本物」であることを信じ続けていた。
そして9年間の「継続」が、実を結んだ時、山口は揺るぎない流儀をつかむ。

写真帰国直後の山口。
本当に作りたい靴は、世の中になかなか受け入れられなかった。


本物のプライド

山口は職人でありながら、新たな靴のデザインも手がける。靴作りの技を知り尽くした職人だからこそ、良いデザインが生み出せるというのが山口の考え方だ。
5月。山口は、これまで靴作りの技術をたたき込んできた工房の若き職人達に、ついに靴のデザインを教えることにした。山口を納得させるものが出てくれば、新たな商品サンプルとして採用するつもりだった。しかし、見た目の美しさと履きごこち、両方を兼ね備えたデザインはなかなか現れない。山口は、なんとか糸口を見つけて欲しいと、若手同士に話し合いをさせたが、期待の若手は、なかなか他人のアイディアの長所を取り入れようとしない。「自分の力だけで作り上げたい」と意地になる若手に、山口は諭した。
「本物のプライドとは・・・かっこ悪くても、なりふり構わずいい靴を作ろうとすること」

写真山口は、「デザインは、プラべートワークじゃない」と諭した。


プロフェッショナルとは…

 人に信頼してもらえる力を身につけた人のことをいうのだと思います。その信頼よりも、もしくは期待よりも、もっといい答えがある。それを目標にしている人のことをプロと呼んでいいのかなというふうに思います。

山口 千尋

The Professional’s Tools

靴作りの道具

ほとんどが本場イギリスから仕入れた、靴作り専用の道具。しかしこれらはほんの一部。山口が靴作りに使う道具の数は、100を軽くこえるという。ほおっておけばすぐに錆びてしまうため、道具の手入れだけでも一苦労だ。

写真


手

手は最高の道具。触覚は、メジャーでは測りきれない1ミリ以下の誤差も察知することが出来る。木型を最終的に確かめたり、履いている靴の形と足の形の誤差を調べるとき、山口が最終的に頼りにするのは、自らの「手」である。

写真


関連情報


Blog