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第35回 2006年12月7日放送

りんごは愛で育てる 農家・木村秋則


育てない手助けするだけ

化学的に合成された農薬や肥料を一切使わない木村のりんごづくり。不可能と言われた栽培を可能にした秘密は、畑にある。
木村の畑では、あえて雑草を伸び放題にしている。畑をできるだけ自然の状態に近づけることで、そこに豊かな生態系が生まれる。害虫を食べる益虫も繁殖することで、害虫の被害は大きくならない。さらに、葉の表面にもさまざまな菌が生息することで、病気の発生も抑えられる。
木村がやることは、人工的にりんごを育てるのではなく、りんごが本来持っている生命力を引き出し、育ちやすい環境を整えることだ。害虫の卵が増えすぎたと見れば手で取り、病気のまん延を防ぐためには酢を散布する。すべては、徹底した自然観察から生まれた木村の流儀だ。
「私の栽培は目が農薬であり、肥料なんです」

写真自然の状態に近づけた木村の畑


主人公はりんご

木村が農薬も肥料も使わない栽培を確立するまでには、長く壮絶な格闘があった。かつて、農薬を使っていた木村。しかし、その農薬で皮膚がかぶれたことをきっかけに、農薬を使わない栽培に挑戦し始めた。
しかし、3年たっても4年たってもりんごは実らない。収入の無くなった木村は、キャバレーの呼び込みや、出稼ぎで生活費を稼いだ。畑の雑草で食費を切りつめ、子供たちは小さな消しゴムを3つに分けて使う極貧生活。
6年目の夏、絶望した木村は死を決意した。ロープを片手に死に場所を求めて岩木山をさまよう。そこでふと目にしたドングリの木で栽培のヒントをつかむ。「なぜ山の木に害虫も病気も少ないのだろう?」疑問に思い、根本の土を掘りかえすと、手で掘り返せるほど柔らかい。この土を再現すれば、りんごが実るのではないか?
早速、山の環境を畑で再現した。
8年目の春、木村の畑に奇跡が起こった。畑一面を覆い尽くすりんごの花。それは豊かな実りを約束する、希望の花だった。その光景に木村は涙が止まらなかった。

写真りんごが実るまで長く壮絶な8年間


答えはりんごに聞け

今年、60歳になる元建設会社社長佐々木悦雄が、木村の弟子となり、本格的なりんご栽培に挑戦した。
舞台は岩手県遠野。木村の指導の下、農薬を使わない栽培を初めて半年が過ぎた8月、佐々木の畑では葉がすっかり落ちる異変が起きていた。さらに病気もまん延し、りんごが枯れ木のようになっていた。
畑を視察した木村は、佐々木が木村の指導を守らず、大型機械で酢を散布していたことを突き止める。
土を踏み固める大型機械は、りんごの根の成長を妨げると考える木村は、酢の散布を手作業で行うように何度も指導していた。
2週間後、佐々木の畑ではさらに異変が起きた。季節はずれのりんごの花が、狂い咲きを始めたのだ。
その姿に、佐々木は手抜きをして大型機械に頼ってしまった自分の未熟さを反省した。
木村から指示された最後の酢の散布、佐々木は手間のかかる手作業でていねいに酢をまいた。
収穫の秋、佐々木の畑からは数個のりんごしか収穫できなかった。
木村は落胆する佐々木に声をかけた。「一歩ずつ、階段を登るように進んでいけば、必ず実りますよ」

写真60歳の弟子の挑戦。


プロフェッショナルとは…

技術も心も一緒に伴った人が、プロじゃないでしょうか

木村秋則

The Professional’s Tools

デジカメ

のこぎりや剪定(せんてい)はさみに加え、木村が畑でいつも使っている道具が、デジカメ。
さまざまな害虫や病原菌の生態を記録するためだ。
1ミリにも満たない小さな虫を見つけては写真に撮り、それを記録として整理する。かつては虫をスケッチし、その形を図書館で調べ、虫の生態を独学で学んだという木村。
「にっくき虫たちを記録するためです・・・」(木村)

写真


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