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これまでの放送

第5回 2006年2月7日放送

人生も仕事もやり直せる 弁護士・宇都宮健児


「他人がやらないことをやる」

 弁護士として30年以上のキャリアを誇る宇都宮。仕事の依頼のほとんどが、多重債務の相談だ。その数、一年間に100件以上。弁護士の中でも、べらぼうに多い。銀座の裏通りに面した事務所には、救いを求める相談者がひっきりなしにやってくる。バブル崩壊後は、病気やリストラ、中小零細企業の場合は事業資金など、生活苦から借金地獄に陥る人々が急増しているが、多重債務者の事件は手間がかかる上に報酬が少ないことから、相談を断る弁護士も少なくない。しかし宇都宮はこの道におけるパイオニア。20年ほど前に問題化したサラ金地獄の時代から、行き場を無くした相談者の盾となり、悪徳金融業者に真正面から立ち向かってきた。

写真宇都宮の事務所は多重債務者にとって最後の砦(とりで)だ。


「日陰の交渉はしない」

 ここ数年、被害が急増している闇金融。昼夜を問わない過酷な取立てにより、借り手が夜逃げや自殺に追い込まれるケースも出ているが、宇都宮は簡単に解決できると断言する。「娘をさらう、日本刀を持って乗り込む」などの脅しをかけてくる闇金融だが、最大の弱点は法律違反の利息をとっていること。それを盾にとり、弁護士が間に入ったことを知らせる通知を郵送すれば、それだけで取り立てはほとんど無くなる。さらに闇金融の店舗名や住所、電話番号をもとに刑事告発し、徹底的に追い詰める。闇金融は、暴力団やエセ右翼の資金源になっていることが多い。法律という錦の御旗を立て、きぜんとして交渉することが解決に向けた一番の近道だ。

写真闇金融に送りつける受任通知。紙一枚で取り立ては止まる。


「もうける なんて考えるな」

 多重債務の相談は、金にはならない。闇金融と一社、交渉して料金は2万円。弁護士の世界では、報酬は一括でもらうのが常識だが、相談者は金がない人ばかり。一度に支払うことができる人はほとんどいない。そこで宇都宮が編み出したのが月々5千円からの分割払い。支払いは最低限にして、一刻も早く生活の再建をはかってほしいという願いから、他の弁護士に先駆けて導入した。小額の事件を数多くこなすというビジネスモデルを確立することで、事務所の家賃や事務員の給料を捻出(ねんしゅつ)できるようになった。企業法務を手がける弁護士の中には、年収1億円を超えるケースも珍しくないが、宇都宮の年収はその10分の1程度。それで十分だと思っている。

写真弁護士の本分は弱者の救済にあると宇都宮はいう。


「法律がすべてじゃない」

 宇都宮は闇金融の被害者救済のため、大勝負に出た。“闇金融の帝王”という異名をとった元山口組系の暴力団幹部から、東京地検が押収した約3億3千万円を取り戻すべく、民事裁判に打って出た。しかしそこに立ちはだかったのが東京国税局。滞納されていた税金を回収しようと、押収された金のうち1億円あまりの差押えを実行した。法律では、国の取り分が最優先になるが、押収された金はもともと被害者の金。国が上前をはねるのはおかしい。宇都宮は国と直談判することを決断した。時には法律を超え、人情に訴えて突破口をはかる。とかく経済優先、弱者に厳しいこの国の仕組みを変えるには、法律だけに頼っていては駄目なのだ。

写真どんな問題に取り組む時も被害者の視点を忘れない。


プロフェッショナルとは…

弱者のためにとことんやる人、徹底的にやっている人だろうと思いますけどね。もう少し広く考えれば、他人のために頑張れる、一生懸命に仕事をやっている。そういうことなんだろうと思うんですけどね。

宇都宮健児

The Professional’s Tools

文庫本と読書リスト

宇都宮が仕事中に持ち歩くのは、昔ながらの大きな黒革のカバン。その中にいつでも入っているのが、藤沢周平と山本周五郎の文庫本だ。通勤や裁判所への移動で乗る地下鉄の中で読みふけり、去年は一年間に50冊以上を読了したという。一度読んだ本を二重買いしないため、宇都宮が作っているのが読み終えた本のリスト。使い終えた原稿用紙の裏紙を利用し、読んだ本のタイトルと作者名を記入。◎や○、△など評価も書き込まれ、さながらミニ書評といったところだ。きまじめで朴訥(ぼくとつ)な人柄がにじむ。

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愛用の手帳「訟廷日誌」

宇都宮はパソコンが全く使えないなど、機械が大の苦手。超多忙なスケジュール管理も、この手帳一つでこなす。全国弁護士協同組合連合会が発行している「訟廷日誌」という手帳だ。ここにボールペンや万年筆で予定を次々と書き込む。時には細かく書きすぎて、自分でも読めなくなってしまうこともある。これを無くすと身動きが全くとれなくなるため、一週間に一度、事務員がコピーをとって保存することにしている。鳴かず飛ばずのイソ弁時代、手帳は真っ白だったという宇都宮。その時の辛さを思うと、分刻みのスケジュールも全く苦にならないと語る。

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