安倍晋三 元首相 銃で撃たれ死亡 41歳の容疑者を逮捕

演説中に銃で撃たれた安倍晋三元総理大臣は、治療を受けていた奈良県橿原市内の病院で亡くなりました。67歳でした。

安倍晋三元総理大臣は東京都出身で、祖父は日米安全保障条約を改定した岸信介元総理大臣、父は自民党幹事長や外務大臣を歴任した安倍晋太郎氏という政治家一家に育ちました。

成蹊大学を卒業後、アメリカ留学を経て鉄鋼メーカーの神戸製鋼所に入社し、その後、父、晋太郎氏の外務大臣就任を機に、大臣秘書官となります。

晋太郎氏の死去を受けて、地盤を引き継ぎ、平成5年の衆議院選挙に旧山口1区から立候補して初当選しました。

総理・総裁の登竜門とも言われる党の青年局長や、社会保障を担当する党の社会部会長などを歴任し、第2次森内閣と小泉内閣で官房副長官を務めました。

北朝鮮による拉致問題に早くから取り組んでいた安倍氏は、小泉総理大臣とともに北朝鮮を訪れ、キム・ジョンイル(金正日)総書記との首脳会談に立ち会いました。

そして、平成15年には閣僚や党の執行部ポストを経験しないまま、小泉総理大臣から49歳の若さで党の幹事長に抜てきされ、平成17年の第3次小泉内閣では官房長官として初入閣します。

長期政権を築いた小泉総理大臣の後継を選ぶ平成18年の自民党総裁選挙に立候補して、初めての挑戦で総裁に選出され、戦後最年少の52歳で総理大臣に就任しました。

在任中は、小泉氏の靖国神社参拝問題で関係が冷え込んでいた中国や韓国を訪問して、関係改善に努力する一方、「戦後体制からの脱却」を掲げて改正教育基本法や憲法改正の手続きを定める国民投票法などを成立させました。

しかし、公的年金の加入記録のずさんな管理が明らかになったほか、閣僚の辞任が相次ぎ、平成19年の参議院選挙で大敗して、いわゆる「ねじれ国会」を招きました。

そして、みずからの健康状態の悪化もあって、就任からおよそ1年で退陣しました。

退陣後は、超党派の保守系の国会議員による政策グループ「創生日本」の会長として、拉致問題の解決などに取り組んでいましたが、自民党が野党時代の平成24年に再び総裁選挙に立候補します。

決選投票で総裁に選出され、その後の衆議院選挙で政権を奪還して、総理大臣の座に返り咲きました。

第2次政権では、デフレからの脱却に向けて、「経済再生」を最優先に掲げ、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」による「アベノミクス」を推進し、経済の活性化に取り組みました。

また、消費税をめぐっては、平成26年に税率を5%から8%に引き上げたのに続き、令和元年には、食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率を初めて導入したうえで、10%に引き上げました。

また、上皇さまから天皇陛下への皇位継承にあたっては、一代かぎりの退位を可能とする特例法の整備やそれに伴う改元にも取り組みました。

総理大臣就任の翌年には、東京オリンピック・パラリンピックの招致の先頭に立ち、東京開催を勝ち取りました。

外交面では、「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、在任中に延べ176の国と地域を訪問し、平成28年にはG7伊勢志摩サミット、令和元年には日本で初めてのG20大阪サミットを開催しました。

伊勢志摩サミットの終了後には、現職の大統領として初めて、当時のアメリカのオバマ大統領の被爆地・広島への訪問を実現させる一方、安倍氏自身も、現職の総理大臣として初めてハワイの真珠湾を訪れ、真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊しました。

オバマ氏の後任のトランプ氏とは、大統領就任前に各国の首脳の中でいち早く会談して個人的な信頼関係を構築し、電話での会談を含めると、首脳会談は50回を数えました。

また、経済外交では、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉を進め、アメリカが離脱したものの、11か国が参加する形での発効にこぎつけました。

さらに、安全保障分野では、従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を限定的に容認する閣議決定をしたうえで、安全保障関連法を成立させ、戦後日本の安全保障政策を大きく転換しました。

また、憲法改正の実現を目指して具体的な改正項目の取りまとめを指示し、安倍政権のもとで自民党は自衛隊の明記など4項目の改正案をまとめました。

この間、安倍総理大臣は、衆・参合わせて6回の国政選挙で勝利したほか、平成30年の自民党総裁選挙では党則の改正で可能となった3選を果たすなど、「安倍1強」とも言われる政治情勢が続きました。

一方、森友学園をめぐる財務省の決裁文書の改ざん問題や加計学園の問題、それに「桜を見る会」の対応などについて国会で野党から追及が続き、自民党内からも「長期政権によるおごりやゆがみの象徴だ」との指摘も出ていました。

そして、令和2年には、新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し、特別措置法に基づく「緊急事態宣言」を初めて発出するなど対応にあたりましたが、持病の潰瘍性大腸炎が再発し、8月に総理大臣を辞任しました。

総理大臣としての連続の在任期間は7年8か月、第1次政権と合わせた通算の在任期間は8年8か月に達し、いずれも歴代最長です。

安倍氏は、総理大臣退任後、しばらく無派閥で活動していましたが、去年秋に9年ぶりに出身派閥に復帰して、党内最大派閥の「安倍派」の会長に就任し外交・安全保障政策や積極財政の必要性などについて活発に発言していました。

安倍氏は、8日午前11時半ごろ、奈良市内で演説中に銃で撃たれ、橿原市内の病院に運ばれ治療を受けていましたが、亡くなりました。67歳でした。

事件の経緯は

現場で取り押さえられて逮捕された41歳の容疑者は「安倍元総理大臣に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という趣旨の供述をしている一方で、「元総理の政治信条への恨みではない」とも供述しているということです。

8日午前11時半頃、奈良市の大和西大寺駅近くで演説をしていた安倍元総理大臣が背後から男に銃で撃たれました。安倍元総理大臣は心肺停止の状態で救急車で搬送されたあと、ドクターヘリで橿原市にある奈良県立医科大学附属病院に移されて治療を受けていましたが、自民党幹部によりますと亡くなったということです。

消防によりますと安倍元総理大臣は首の右側に傷や出血があったほか左胸に皮下出血があったということです。

現地で取材していたNHKの記者によりますと当時、銃声のような音が2回聞こえて、安倍元総理大臣は血を流して倒れていたということです。

警察は現場にいた奈良市に住む職業不詳の山上徹也 容疑者(41)を殺人未遂の疑いでその場で逮捕しました。押収された銃は手製の銃だとみられ、防衛省関係者によりますと容疑者は2005年まで3年間、海上自衛隊で勤務していたということです。

警察当局によりますと、調べに対し「安倍元総理大臣に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という趣旨の供述をしている一方で、「元総理の政治信条への恨みではない」とも供述しているということです。

警察は奈良市内にある容疑者の自宅マンションに捜索に入るとともに警察は、奈良西警察署で容疑者から事情を聞いて詳しい状況を調べています。
演説を聞いていた関係者によりますと、安倍元総理大臣の演説が始まってから1分から2分ほどたったあとに2発の銃声が聞こえたということです。
そのあと安倍元総理大臣が倒れ、意識がない様子だったということです。

現場は

奈良市の大和西大寺駅は近鉄奈良線と京都線が交わる奈良市の中心の駅の一つです。駅前のロータリーは、選挙の際、多くの候補者などが演説を行う場所としても知られています。

目撃の女性 「2発目撃たれた瞬間に倒れた」

発砲が起きた当時、近くにいたという女性は「安倍元総理は普通に演説していたが後ろから男の人がきた。1発目はとても大きな音だけが聞こえて人が倒れるということはなかったが、2発目が撃たれた瞬間に安倍元総理が倒れた。周りの人たちが大勢集まって心臓マッサージなどをしていた。男は上がねずみ色のTシャツで、下は黄土色のズボンという服装に見えた。男は逃げる様子もなく、その場にとどまっていて銃はその場においていた。そのあと周りを取り囲んだSPとみられる人たちに取り押さえられた」と話していました。

現場近くの男性 「花火のような音」

発砲が起きた当時、現場の近くにいたという男性は、「花火のようなドーンという音が2回した。犯人と思われる人はピストルよりも大きい何かを抱えていて、走ってきた警備関係者5人ほどに取り押さえられていた。びっくりしました」と話していました。

自民党奈良県連 銃撃当時の状況を説明

自民党奈良県連は、午後1時ごろから堀井巌 参議院議員らが奈良市内の事務所で記者会見を行いました。

この中で堀井議員は午前11時10分ごろから、参議院選挙の奈良選挙区に立候補している自民党候補者の街頭演説を行っていて、安倍元総理大臣は午前11時19分ごろに到着したということです。その後、しばらく集まった聴衆に手を振るなどしていましたが、午前11時29分ごろに応援演説を始めたと説明しました。そして、その直後の午前11時半ごろ、発砲があったということです。

また、「安倍元総理大臣が話している時に突然、大きな音が2回鳴り、その後、安倍元総理大臣が倒れた。救護の人たちが心臓マッサージをしていたが、受け答えをしている様子は、私が見ている範囲ではなかった」と述べました。

その上で、「民主主義を根底から脅かす暴挙で決して許されない。安倍元総理大臣の回復を祈る」と述べました。

当時の状況について、街頭演説に立ち会っていた堀井議員は自民党奈良県連の記者会見で「聴衆は両脇の歩道にいた」と述べました。その上で、安倍元総理大臣らが演説を行っていた背後は車を駐車していたため、聴衆が立たないようにしていたことを明らかにしました。そして「演説の時は皆、同じ方向を向いていた」と当時の状況を説明しました

また、安倍元総理大臣が演説に訪れることは、きのう夕方に決まったと説明しました。その後、地元の支持者らに日程を周知していたということです。現場ではスタッフ15人が演説を聴きに来た人の整理にあたっていたということです。

岸田首相 「深刻な状況と聞いている」

岸田総理大臣は午後2時45分ごろ総理大臣官邸で記者団に対し「本日昼前、奈良県で安倍晋三元総理大臣が銃撃され、現在、深刻な状況にあると聞いている。いま懸命の救急措置が行われていると承知している。まずは安倍元総理大臣が何とか一命をとりとめていただくよう心から祈りたい」と述べました。

また、「今回の犯行の背景はまだ十分把握できてはいないが、民主主義の根幹である選挙が行われている中で起きた卑劣な蛮行であり、決して許すことはできない。最大限の厳しい言葉で非難する」と述べました。

さらに「政府としては今後あらゆる事態を想定し対応できるよう万全の対応をしていきたい」と述べました。

また、記者団が、今後の政局に与える影響について質問したのに対し「いま懸命の救急、救命措置が行われている最中なので、今後の政局に与える影響などはいま触れるべきではないと思うし、私自身もそうしたことを考えていない」と述べました。その上で「まずは現実の厳しい状況に対して救命措置などがしっかりと行われること、また政府としてあらゆる事態に対応できる万全の措置を用意することが大事だ」と述べました。

また、「今回の犯行について、犯人像、あるいは背景について、まだ十分に把握できていない。今後、警察の捜査などをしっかりと確認しなければならない。背景をしっかり確認することも大変重要だと認識している」と述べました。

松野官房長官「蛮行は許されるものではない」

安倍元総理大臣が銃撃されたことを受け、松野官房長官は記者団の取材に応じ「いかなる理由であれ今回のような蛮行は許されるものではない」と強く非難し、政府として対応に万全を期す考えを示しました。

松野官房長官は、午後1時前、総理大臣官邸で記者団の取材に応じました。

この中で「午前11時半ごろ、奈良県で安倍元総理大臣が銃撃を受けた。 撃ったとみられる男1人の身柄を確保した。安倍元総理大臣の容態は現在のところ不明で、引き続き確認中だ」と述べました。

そのうえで、午前11時45分に総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置して対応にあたるとともに、参議院選挙の応援演説で山形県を訪れていた岸田総理大臣にただちに報告したと説明しました。

そして、岸田総理大臣がこのあと総理大臣官邸に緊急に戻り、応援演説などで各地を訪れている閣僚にもただちに東京に戻るよう指示したことを明らかにしました。

さらに「いかなる理由であれ、今回のような蛮行は許されるものではなく、断固非難する。政府としては、各種の対応に万全を期していく」と述べました。

官邸対策室などを設置

今回の事案を受けて、政府は、午前11時45分、総理大臣官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置し、情報の収集にあたっています。

警察庁は午前11時40分に警備局長をトップとする対策本部を設置し、情報収集を進めています。