深い山中に残る廃線跡 50年前廃止の森林鉄道復活へ なぜ?

鳥取との県境に近い、兵庫県の山あい。ここの森の中に、約50年前まで総延長44キロもの鉄道が張り巡らされていました。

この知る人ぞ知る鉄道をいま、地元の人たちがよみがえらせようとしているというのです。なぜ今、鉄道を復活?地元の人たちの夢とは?

(神戸局ニュースカメラマン 福本充雅)

市の面積の9割を占めるのは…

その場所は兵庫県西部の宍粟市。県外の方は読めないかもしれませんが「しそうし」と読みます。東の千葉県匝瑳市(そうさし)と並んで、西の難読地名の自治体として、ちょっと知られています。

その宍粟市は江戸時代から林業が盛んで、実に市の面積の9割を森林が占める森の町です。大半は人工林で、兵庫県内で最も多くスギやヒノキなどの針葉樹を生産しています。

「地元の人がかつてあった森林鉄道を復活させようとしている」と話を聞いて、私は取材を始めることにしました。

「鉄道復活」のきっかけ

話を聞いたのは、地元のまちおこしグループ「波賀元気づくりネットワーク協議会」の松本貞人会長(61)です。野菜や新米を販売する「軽トラ市」を5年前に始めるなど、地域のにぎわいづくりの仕掛け人です。

森林鉄道のことを知った松本さんは「鉄道は全国にファンが多いので、復活させれば話題になるのでは」と仲間に呼びかけました。地域の人口はピーク時の半分以下。何か地域を活気づけるきっかけがないか、探していました。

(松本会長)
「年々人が減っていて、目立った観光地もない。町に活気や元気を取り戻したい。森林鉄道のことを地域の人たちに話したら、子どもから大人まで楽しめるものだし、じゃあ復活させようという話になった」

宍粟市にはJRなど鉄道は走っていません。そんな「鉄道のない町」に、かつて町の林業を支えた森林鉄道を復活させる。当初は軽い思いつきでしたが、町の人たちに鉄道の持つ活力や地域の宝だった歴史を説明していくうちに盛り上がりをみせました。そして、飲食店の経営者に主婦、建設業者、公務員、林業従事者など、ありとあらゆる業種の人たち約200人が集まり、6年前に「鉄道復活プロジェクト」が立ち上がりました。

その「森林鉄道」って何?

鉄道は町の基幹産業だった林業を支えた輸送手段でした。今から106年前の大正5(1916)年に最初の路線が開通後、いまの宍粟市波賀町の山の中に7路線・約44キロも張り巡らされていた「波賀森林鉄道」です。戦後、輸送手段がトラックに変わると徐々に縮小され、最後の路線も昭和43年に廃止されました。

かつて鉄道が走っていた場所を見てみたい。そう思っていた私を、松本さんやプロジェクトのメンバーが案内してくれました。向かったのは、宍粟市波賀町の中心部から10キロほど離れた山の中。車を降りて深い谷に沿って杉並木の山道を歩きます。

こけむした岩や沢水のせせらぎが渓谷全体にこだまする静かな場所ですが、途中は道が崩れている場所もある、なかなかワイルドな道です。転落防止のためのロープが張られ、安全ベルトのフックをかけながら、慎重に進みました。

鉄道跡が伝える 当時の“息づかい”

歩くこと1時間、標高600メートルほどの場所に出ると、目に飛び込んできたのはレールと車輪。ありました、鉄道の軌道の跡です。

さらに進むと、高さ15メートルの巨大な岩の塊をくりぬいて鉄道が通れるようにしてある場所に出ました。これは「切り通し」と呼ばれ、当時の人たちがのみとハンマーだけで穴を開けたと考えると、その苦労がしのばれます。

さらに1時間歩くと終点です。標高700メートルの新緑が芽吹く山の中に、ひっそりと宿舎の跡がありました。松本さんたちが調べたところ、鉄道が走っていたころはここに50人が寝泊まりしていたそうです。

山の中に住み込んで毎日木材を切り出していた作業員たち。宿舎跡にはお風呂やかまども残り、酒の空びんも転がっていました。1日の力仕事を終え、仲間とともに癒やしていたことがわかります。当時の人たちの息づかいが感じられるような空間です。

水たまりに静かに落ちる雨。半世紀以上も人知れず姿をとどめてきた森林鉄道の遺構は、人けの無い山奥のこの地がかつて多くの人でにぎわっていたことを私に語りかけているようでした。

(松本会長)
これを全て人力でやった昔の技術のすごさを感じる。娯楽といえばお酒だったんでしょうか、みんなが談笑している姿が浮かびますね

(プロジェクトのメンバー 岡本豊さん)
「これが昔の地元の山の姿だったということを、町の人たちに誇りにしてもらいたい。実際にこの場所に足を運び鉄橋やトンネルなどの遺構を見ると、鉄道復活に向けてファイトがわいてくる気がします」

「林鉄」を伝える“生き証人”も

「波賀森林鉄道」は略称「林鉄(りんてつ)」と呼ばれていました。
最後の路線が廃止された昭和43年から半世紀が過ぎていますが、町には「林鉄」のことを覚えている人も残っていました。その1人、山木甚一さん(92)が当時のことを話してくれました。

山木さんは現在の宍粟市波賀町、当時の宍粟郡奥谷村出身で、15歳のときに営林署(現在の森林管理署)に就職しました。森林鉄道で運ばれてくる木材の長さを測り、品質を見極める検品管理を担当する日々を送っていたといいます。

山木さんは、レールを緩やかに進むトロッコに人が乗り、鉄の棒のブレーキを引いてスピードを調整する様子を見ていました。そのトロッコですが、当初から機関車が引っ張っていたわけではなかったということです。

(山木さん)
「最初は犬や牛、馬などの家畜がトロッコを引いていました。それから機関車が登場しました」

トロッコ1両に積まれる木材は3トンほどで、多いときには20両ほど連ねて走っていました。太平洋戦争中は燃料不足のため、木炭で機関車を走らせたこともあったそうです。脱線や転覆が起こることもしばしばで、危険と隣り合わせだったと教えてくれました。

(山木さん)
「鉄道で木材を運ぶ人は『トロ乗り』と呼ばれて、なかでも機関車の運転士は人気者でした。手を振ったり、合図を送ったり。『おーい、おーい』という声が家に聞こえるぐらいでした」

知れば知るほど「誇り」に

松本さんたちプロジェクトのメンバーは、山木さんをはじめとした市民から聞き取りをしたほか、森林管理署などから資料を集めました。


写真を見ると「林鉄」の線路は深い山の間を縫うようにレールが敷かれていることが分かります。そして車両は機関車で引っ張るタイプのほか、重力で台車が坂を下るタイプのトロッコ。さらには最大200メートルもの高低差がある深い谷にはられたワイヤーにつって、まるでロープウェイのように下るという空中輸送のようなトロッコもありました。

畑仕事をしながら見上げた空に、木材を載せた車両が行き来する。それがかつてのまちの日常の風景でした。プロジェクトのメンバーは去年、調査した「林鉄」の歴史を冊子にまとめて発行し、古い写真の展覧会や遺構を歩くツアーを企画しました。

すると市内外から反響があり、メンバーたちは地域の歴史に次第に誇りを感じるようになっていました。山道の補修や鉄道遺構の清掃など、活動に一層力を入れるようになっていったのです。

(聞き取り調査を行ったメンバー 蒐場幸子さん)
「当時の人々には山の仕事や木に携わること一つ一つに思い入れがあったと思う。昔の波賀の産業がこういう風に営まれていたと教えてもらう機会になった」

「5メートルの線路」に夢を乗せて

おととし、そんなメンバーたちの元に届いたのが、機関車を購入できるかもしれない、との知らせでした。「国土交通省北陸地方整備局の立山砂防事務所がトロッコ列車用の機関車を競売にかける」という話を聞いたメンバーたちは、市を通じて掛け合いました。願いはかない、機関車1台を譲りうけることが決まったのです。

金額は16万円。市からの助成金とチームの運営費から捻出しました。町の人たちがトレーラーを用意し、富山県の立山から0泊3日で運んできました。設置された宍粟市波賀町の公園には走る線路はありませんが、走り出せる状態で保存する「動態保存」されることになったのです。


そして今年4月、町の人たち100人あまりが機関車のある場所に集まりました。機関車を実際に走らせようと、レールを敷くイベントが行われたのです。子どもからお年寄りまで、みんな本物のレールに触るのが初めてです。興奮した様子で、力を合わせて枕木に釘を打ちつけていきました。

この日敷いたレールの長さはわずか5メートル。それでも「林鉄」復活に向けた大きな1歩です。

(参加者)
「うれしい。レールが全部つながったら動かしてみたい」

「列車がすごくかわいいので、レールが長く延びて走ったらすごくいいなと思う。楽しみにしている、ふるさとを大事にする気持ちをこういうのをきっかけに育んでもらえたらと思う」

“夢がかないますように”とフェルトペンで記された枕木の上を、機関車がゆっくりと動き出しました。エンジンの音や匂いの記憶を懐かしがる人もいました。参加者からは歓声と拍手が起こり、復活に向けた一体感が生まれていきました。

(松本会長)
「夢ですね、みんなの夢です、そして子供たちが大きくなってもっと延ばそうじゃないかと、そう思ってくれたら最高ですね」

この日、5メートルの線路の上を行き来した機関車。
メンバーたちの次の目標は、線路を550メートルに延ばして駅舎も設置することです。費用は4000万円から5000万円かかる見込みで、主に市民から寄付や協力金、行政からの助成金などでまかなう計画にしています。

ちょうど2年後の2024年は「波賀森林鉄道」=「林鉄」の本線の開通から100年の節目、その時の完成を目指します。

過去と未来、人と人とをつなぐ鉄道は、過疎化と高齢化が進む町ににぎわいを吹き込み、新たな「地域の夢」を乗せて動き始めています。

神戸局ニュースカメラマン
福本充雅
1997年入局。エジプト・カイロ支局で中東情勢担当。京都局、広島局を経て21年神戸局に。故郷・兵庫県の多様な魅力を取材。