都議選 自民第1党も自公で
過半数届かず 都民は第2党

4日の東京都議会議員選挙で、自民党は都議会第1党となったものの過去2番目に少ない議席数で、目標としていた自民・公明両党での過半数にも届きませんでした。一方で、都民ファーストの会は議席を減らし自民党とは2議席差で第2党となりました。

東京都議会議員選挙は開票が行われ、42の選挙区の127の議席が確定しました。

選挙前は45議席で第1党だった都民ファーストの会は14議席減らして31議席にとどまりました。

2人を擁立した八王子市でいずれも落選したほか前回の選挙で2人が当選した選挙区で今回は1議席にとどまるケースが相次いだためです。

一方、選挙前25議席だった自民党は議席を上積みしたとはいえ、33議席の獲得にとどまって、過去2番目に少ない議席数になり都議会第1党にはなったものの目標としていた自民・公明両党での過半数にも届きませんでした。

2人を擁立した品川区と目黒区の選挙区ではいずれも1議席も獲得できなかったほか、大田区では3人中2人が落選するなど厳しい結果となりました。

自民党と選挙協力を行った公明党は23人の候補者全員が当選し、平成5年の都議会議員選挙以降、8回連続での全員当選となりました。

また共産党は、選挙前の18議席から1つ増やして19議席を確保しました。

さらに、選挙前8議席だった立憲民主党は、15議席に伸ばしました。

日本維新の会と、東京・生活者ネットワークは、いずれも選挙前と同じ1議席を獲得しています。

各党得票を前回と比べると

今回の東京都議会議員選挙で、各党が公認した候補者の得票数を合わせると、
▼自民党が119万2796票、
▼都民ファーストの会が103万4778票、
▼公明党が63万810票、
▼共産党が63万158票、
▼立憲民主党が57万3086票などとなりました。

このうち今回が初めての選挙戦となった立憲民主党を除く4党を前回4年前の選挙と比較すると、
▼自民党は6万7000票余り、
▼都民ファーストの会は100万3000票余り、
▼公明党は10万3000票余り、
▼共産党は14万3000票余りいずれも減っています。

また、得票率では、
▼自民党は今回が25.7%で前回よりおよそ3ポイント上がりました。
▼都民ファーストの会は今回が22.3%で前回よりおよそ14ポイント下がりました。
▼公明党と共産党は、いずれも今回が13.6%で、公明党は、前回よりわずかに上がり、共産党はわずかに下がりました。

また、今回の東京都全体の投票者数は472万9484人で前回より95万2380人減りました。

【党派別前回比較のダウンロードはこちら(CSVファイル)】

都議選の投票率は過去2番目の低さ 42.39%

東京都選挙管理委員会によりますと都議会議員選挙の確定投票率は、42.39%で、前回、4年前の選挙より8.89ポイント低くなりました。都議会議員選挙では過去、2番目に低い投票率となりました。

当選した女性候補者 41人で過去最多

今回の都議会議員選挙で当選した女性の候補者は、これまでで最も多かった前回・4年前の選挙をさらに5人上回り41人となって過去最多となりました。定数127のおよそ3分の1が女性の議員となります。

自民 衆院選へ危機感 戦略見直しも

4日投票が行われた東京都議会議員選挙で、自民党は選挙前を8議席上まわる33議席を獲得して、第1党となりました。

しかし、公明党と合わせても目標とした過半数には届かず、国会で野党に転落する直前に行われた12年前の選挙の38議席を下回り、過去最低だった前回・4年前に次ぐ2番目に少ない議席にとどまりました。

政府・自民党内には「都の課題を問う選挙であり国政への影響はない」という意見があります。

一方で、選挙結果は、新型コロナウイルス対策への不満や、東京オリンピックへの不安のあらわれだとして、「事実上の敗北だ」という声も出るなど、衆議院選挙を前に危機感が広がっています。

このため、自民党は、衆議院選挙に向けて戦略の見直しを迫られることになりそうです。

これに対し、野党側は、立憲民主党と共産党が、一部の選挙区で候補者の競合を避けるためにすみ分けを行うなどし、立憲民主党は15議席、共産党は19議席と、いずれも選挙前の議席を上回りました。

立憲民主党は「野党共闘の一定の成果だ」として衆議院選挙でも、できるだけ多くの選挙区で野党候補を一本化することを目指して、調整を急ぐことにしています。

都議選は直後の国政選挙の「先行指標」として注目

東京都議会議員選挙は、直後に行われた国政選挙のいわば「先行指標」として注目されてきました。

過去の都議選と国政選挙

▽1989年、平成元年の都議会議員選挙で、自民党は改選前から、20議席減らしました。

一方、当時の社会党は、推薦候補を含めると、改選前の3倍に躍進。

直後の参議院選挙では、自民党が大敗し、当時の宇野総理大臣は退陣しました。

社会党の土井たかこ委員長は「山が動いた」と発言しました。

▽1993年、平成5年。

日本新党が都議会議員選挙で2議席から20議席に躍進しました。

社会党は35議席から14議席と大幅に議席を減らし、自民党はほぼ横ばいでした。

直後の衆議院選挙では、宮沢内閣に対する不信任決議案の可決もあって、自民党は過半数割れ。

日本新党が躍進し、細川連立政権発足につながりました。

▽2009年、平成21年の都議会議員選挙では、自民党は48議席から10議席減らし、公明党と合わせても過半数を獲得できませんでした。

第一党は、34議席から54議席に増やした当時の民主党でした。

このあとの衆議院選挙では、民主党が300を超える議席を獲得して大勝し政権交代を実現。

自民党は野党に転落しました。

▽そして、2013年。

前の年に政権を奪還した自民党は、都議会議員選挙で候補者全員が当選する圧勝。

39議席から59議席になりました。

民主党は43議席から15議席と半分以下に減らしました。

直後の参議院選挙で、自民党は大勝し、安倍長期政権の流れをつくりました。

▽ただ前回、4年前は様子が異なりました。

都議会議員選挙では、小池知事が率いた都民ファーストの会が第一党に躍進。

追加公認を含めると55議席になりました。

自民党は57議席から23議席と結党以来の大敗。

この勢いを背に小池知事は、新党を立ち上げて衆議院選挙に臨みましたが、候補者調整をめぐって、小池知事が、「安全保障や憲法観で一致しなければ排除する」と発言。

野党勢力はまとまらず、自民・公明両党が3分の2の議席を維持しました。

衆議院選挙の投票率

衆議院選挙の投票率を見てみます。数字は選挙区の投票率です。

戦後最初の選挙は、昭和21年4月に行われました。

このとき、女性が初めて投票しました。投票率は72.08%でした。

当時のニュース映像には、投票所で有権者が列をなしている様子が残っています。
結果を知らせる掲示板の前には、大勢の人が集まりました。

衆議院選挙は翌年も行われました。

当時の候補者たちは、みずからの主張をあの手この手で訴えました。

その後、投票率は、おおむね70%前後で推移していきました。

それまでの中選挙区制に代わって、いまの小選挙区比例代表並立制が導入された平成8年の選挙で初めて60%を下回りました。

これを受けて、投票率を向上させる仕組みが検討されました。

次の平成12年には、投票時間が2時間延長され、午後8時までになりました。

その効果もあってか、62.49%になりましたが、3年後の選挙では、再び60%を下回りました。

平成17年の選挙では、「期日前投票」の制度が導入され、67.51%に。

平成21年には70%近くまで回復しました。

しかし、前々回の平成26年には、52.66%で戦後最低に。

前回、平成29年の選挙では、投票できる人の年齢が20歳から18歳に引き下げられましたが、わずか1ポイントの上昇にとどまりました。

衆議院選挙の焦点

次の衆議院選挙は何が焦点になるのか。

過去の選挙を振り返ります。

▽2005年8月の「郵政選挙」。

当時の小泉総理大臣は、郵政民営化関連法案が参議院で反対多数で否決されたのを受けて、ただちに、衆議院を解散。

法案に反対した議員を公認せず、新たな候補を次々と送り込みました。

「小泉旋風」で自民・公明両党が圧勝。

野党第一党の民主党は、大きく議席を減らし、岡田代表は辞任しました。

▽4年後の2009年。

この年の7月に行われた東京都議会議員選挙では、当時の民主党が第一党に躍進し、自民党は大敗しました。

その後、当時の麻生総理大臣が衆議院を解散。

自民党中心の政権か、民主党中心の政権かを選択する選挙になりました。

その結果、民主党が300議席を上回る大勝。

社民党、国民新党との連立政権が誕生し政権交代が実現しました。

▽2012年の11月の党首討論。

野田総理大臣は、衆議院の定数削減の実現を約束することを条件に、衆議院を解散すると表明。

自民党の安倍総裁は同調し、衆議院は解散されました。

民主党政権への評価が問われた選挙では、民主党が大敗し、自民・公明両党が政権を奪還しました。

安倍総理大臣は「経済再生」を最優先に掲げ、デフレからの脱却に向けて、「アベノミクス」を推進しました。

「安倍1強」と言われる時代が長く続き、通算の在任期間も憲政史上最長に。

去年8月下旬に持病の悪化などを理由に辞任を表明し、9月に菅政権が発足しました。

菅政権のコロナ対策は

新型コロナウイルス対策を最優先課題と位置づけて、去年9月に発足した菅内閣。

去年12月下旬には、GoToトラベルが全国一斉に停止されましたが、感染拡大はおさまらず、大みそかには、東京で新たな感染者数が、初めて1000人を超え、およそ1300人に。

1月8日から、東京など首都圏1都3県に2回目の緊急事態宣言が出され、その後、大阪なども対象地域に加えられました。

期限は1か月でしたが、首都圏の感染拡大はおさまらず、2度の延長を経て、宣言は3月21日までおよそ2か月半続きました。

4月上旬からは、大阪などに「まん延防止等重点措置」が適用され、中旬からは、東京にも適用されました。

感染拡大に歯止めはかからず、変異ウイルスへの警戒も必要だとして、大型連休前の4月25日から、3回目の緊急事態宣言に切り替えられました。

宣言は、2度延長され、今回の選挙の告示直前の6月20日まで続き、21日からは重点措置に移行されました。

ことしに入って、東京には、およそ140日、4か月あまり、宣言や重点措置が出されていたことになります。

この間、感染対策として、酒やカラオケを提供する飲食店に対する時短営業の要請などが行われ、閉店を余儀なくされる飲食店も相次いでいます。

野党側は、政府の取り組みは場当たり的、後手後手だと批判を強めました。

5月のNHK世論調査では菅内閣の支持率が、政権発足後最低の35%に下落しました。

一方で、ワクチン接種も進んでいます。

2月中旬からの医療従事者への優先接種に続き、4月中旬からは、高齢者への接種が各地で始まりました。

5月下旬には、自衛隊が運営する大規模接種センターが東京と大阪に開設され、先月下旬からは職場や大学などでも始まりました。

政府によりますと2回目の接種を終えた人は6月末までにあわせて1300万人あまりで、国内の全人口の1割を超えました。

また、東京オリンピックをめぐっては、告示直前に、国内の観客の上限を、収容定員の50%以内で1万人を原則とすることで決着。

しかし、東京では、人の流れの増加や、感染力の強い変異ウイルスの広がりによる感染再拡大への懸念が強まっていて、今回の選挙でも、開催のあり方をめぐって議論が交わされました。

与野党の擁立状況は

自民党は、289の小選挙区のうち、公明党が擁立する9つの選挙区を除くすべてに候補者を擁立する方針で、これまでに260人余りが決まっています。

立憲民主党は、209人の擁立を発表しています。

公明党は、9つの選挙区に擁立します。

日本維新の会は64人、共産党は124人、国民民主党は21人、社民党は10人の擁立を決めています。

れいわ新選組は20人の擁立を、嵐の党は1人の擁立を発表しています。

立憲民主党は、できるだけ多くの選挙区で与野党の候補者が1対1で対決する構図を作る必要があるとして、ほかの野党と候補者の一本化を図る方針です。