獄だった」
安田純平さん解放される
 

シリアで武装組織に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんについて、河野外務大臣は、現地入りした大使館員が面会し、解放されたのは安田さん本人と確認したことを明らかにしました。

シリアに入ったあと武装組織に拘束され、3年にわたり行方がわからなくなっていたフリージャーナリストの安田純平さんについて、解放されてトルコにいるという情報がカタール政府からもたらされ、日本政府は現地に担当者を派遣して、安田さん本人かどうか確認を進めてきました。

河野外務大臣は24日午後6時前、外務省で記者団に対し「2015年からシリアで拘束されていた安田さんの無事を確認した。大使館の人間が現地に赴いて本人と話をしているところだ」と述べ、解放されたのは安田さん本人と確認したことを明らかにしました。

そのうえで河野大臣は、安田さんの健康状態について「一見するといいようだ。医務官がみたうえで、なるべく早い方法で日本に帰国してもらおうと思っている」と述べました。

また河野大臣は「カタール、トルコをはじめとする関係国と緊密に連携して安全のためには何がベストかを考えながら全力を尽くしてきたが、無事が確認できたことを非常に喜ばしく思っている」と述べたうえで、カタール・トルコ両政府に謝意を表しました。

さらに河野大臣は、シリア全土には現在「退避勧告」を出しているとして、渡航の自粛とシリアからの退避を改めて呼びかけました。

ハタイ県知事「解放にはトルコが」

ハタイ県の知事は会見で、安田さんの解放に向けては、トルコの治安当局と情報機関の活動があったとしたうえで、24日朝、日本の大使から電話があり、救出活動の成功に感謝の意が伝えられたとしています。

首相 カタール首長 トルコ大統領らに謝意

武装組織に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが解放されたことを受け、安倍総理大臣は、24日夜、準備が整い次第、安田さんが帰国できるよう対応する考えを示しました。

安田純平さんの解放を受け、安倍総理大臣は24日夜、総理大臣官邸で記者団に対し、「安田さん本人であることが確認された。大使館員に、大変元気に話をしていると報告を受けている。準備が整い次第、帰国できるように対応していきたい」と述べました。

これに先立って安倍総理大臣は、安田さんの解放に当たって協力を得たトルコのエルドアン大統領、カタールのタミム首長と、電話で謝意を伝えました。

このうち、タミム首長は、安倍総理大臣の謝意に対し、「友人である日本に協力するのは当然だ。両国の政治・経済を含めた関係をさらに強化していきたい」と述べました。

また、河野外務大臣も、トルコのチャウシュオール外相とカタールのムハンマド外相に電話して謝意を伝え、チャウシュオール外相からは、安田さんの早期帰国を支援する意向が示されました。

安田さんの妻「奇跡の解放に感謝」

安田純平さんの妻で歌手の深結さんが24日夜、都内でNHKの取材に応じました。

このなかで、深結さんはシリアで武装組織に拘束され、解放された男性が今夜、安田さんと確認され、無事であることが伝えられたのは、外務省の担当者からだったとしたうえで、「本当に本人だったんだ、夢ではなく、事実だったんだと、今までの緊張の糸が切れた瞬間でした」と冷静に振り返っていました。

安田さんの健康状態については、「担当者からは寝たきりとか、担架で運んだような状態ではないと知らされました。過酷な状況で頑張ってくれたなとただただそういう思いです」とほっとした表情を浮かべていました。

公開された最新の安田さんの映像もすでに確認したということで、「やっと、3年半ぶりに会えたという気持ちになり、見た瞬間に声が『わー』と出てしまいました。やはり痩せていましたが、痩せても目力はしっかりしているように感じました」と話していました。

そして、これまでの経緯などに思いを巡らせて、「この3年半、いろいろな情報が行き交い、訃報の連絡が届いたこともありました。本当にたくさんの方の尽力や励ましがあり、家族だけではここにたどりつくことはできませんでした。『奇跡の解放』に導いたすべてのかたがたにありがとうございましたと伝えたいです」と感謝の気持ちを語っていました。

安田さん両親「息子には『よく頑張った』と伝えたい」

シリアで武装組織に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんの両親は、解放されたのが安田さん本人と確認されたことを受けて文書でコメントを発表しました。

このなかで両親は「このたびは多くの方々のご厚情のおかげでおよそ3年間の拘束を経て無事救出されたという知らせを受けて、心から感謝するとともにうれしさで感激しています。また、多大なご心配およびご迷惑を皆様にかけてきたことを心よりおわび申し上げます。息子には『よく頑張った』と伝えたい気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございます」などとコメントしています。

安田さんの足取り

安田純平さんの友人によりますと、安田さんは、2015年の5月、取材のため、日本からシリアの隣国・トルコのイスタンブールに渡ったということです。

それから1か月ほどの間は、イスタンブールやシリアとの国境に近い町などトルコ国内を転々として取材のための人脈づくりを進めていました。

そして6月の中旬には、シリアとの国境に近いトルコ南部の都市アンタキヤに入って現地に住むシリア人の案内でシリアの反体制派の武装勢力に接触し、6月22日の夜、トルコとシリアの国境地帯にある山を徒歩で越え、シリア北西部のイドリブ県に入ったとみられています。

この時点で、親しい友人などに、シリアに入国したという内容と、携帯の電波が悪いという内容のメッセージを送っていますが、その後、連絡が途絶えました。

安田さんが入ったとみられるイドリブとその周辺は、当時「ヌスラ戦線」と名乗っていた国際テロ組織アルカイダ系の過激派組織と、ほかの反政府勢力のグループが大半の地域を支配していました。

シリア入国後、1週間がたっても連絡が取れないため、安田さんの知り合いがトルコ側の関係者に尋ねたところ「ヌスラ戦線」に拘束されたと聞いたという説明を受けたということです。

そして、おととし3月には安田さんとみられる男性が英語で話す映像が、おととし5月には「助けてください。これが最後のチャンスです」と書かれた紙を持った画像が、インターネット上に投稿されました。

その後、およそ2年にわたって安田さんに関連する映像や画像の投稿は止まっていましたが、ことし6月に、安田さんとみられる男性が英語で家族に向けたメッセージを話す映像や7月には、オレンジ色の服を着て「とてもひどい環境にいます。今すぐ助けてください」と日本語で訴える映像がインターネット上に投稿されていました。

「地獄だった」安田さん機内での主なやり取り

シリアの武装組織による拘束から解放されたフリージャーナリストの安田純平さんは24日、トルコ南部からイスタンブールに向かう飛行機の機内でNHKの取材に応じました。その主なやり取りです。

ー安田さん体調は大丈夫ですか?

大丈夫です。

ー安田さん24日はこのまま日本に戻られるんでしょうか?

そうですね。

ーイスタンブールから?

ちょっと私が手配できなかったので、それについてはお任せ状態で。

ー今、体調のほうは大丈夫ですか?

大丈夫です。大変お騒がせして申し訳ないと思っています。体調は大丈夫です。

ー解放された今の心境は

非常にうれしいです。3年間、全く自分自身、前に進んでいないので、世の中がどうなっているか全く分からない状態です。これからどうなるか、どうしていこうか、全く分からない状況で、その辺の心配はあるんですけども。

ー非常に苦しかったですか?

それは地獄ですよ。身体的なものもありますけども、精神的なものも、きょうも帰されないと考えるだけで、日々だんだんと自分をコントロールできなくなってくる。監禁されている独房の中にいるという状況が当たり前の生活のように感じ始めていて、そのことに驚いて、そのことを感じること自体、非常につらいというか。

ー奥様とはすでにご連絡は取られたんですか?

いや、トルコ側の施設の中で電話などの使用は禁止されていたので全く誰とも話はしていないんで。

ーこれからイスタンブールで乗り継がれて帰国という?

全く分からないですね。

ー解放された瞬間というのはどんな?

荷物をすべて奪われたので、そのことがとにかく頭にきている。3年、40か月全く仕事も何もできなかったうえに、すべての資産であるカメラであったり仕事のための道具それまで奪われたというか、そこまでするかという。解放の瞬間はまずそれですね。

ー解放のときはどういう状態だったんですか?どなたが助けに来られたんですか?

助けではなくて、彼ら自身が車で国境まで運んできて、それでトルコ側が受け取って、そのまま23日入っていた施設に入れられたんですけど。

ーその時の気持ちとしてはどうでしたか。ほっとしたとか?

いや、とにかく荷物がないことに腹が立って、ということと、トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして。

ー空爆とか激しい3年間だったと思うんですけど、その間、どのように過ごされていたのか。逃げ回っていたのか。

いや、監禁されていたのはイドリブというところで、空爆されているのはおそらくヌスラぐらいで、空爆の音は結構きましたけど、戦闘機が飛んでいる音も聞こえましたけど。

ー3年間ずっとイドリブ?

おそらくそうですね。

ーじゃあほとんど動いていない?

時々イドリブの中を転々と、動いてる状況です。

ー日本に帰って伝えたいことはありますか?

伝えたいこと?40か月ほとんど何もできない状態で、新しいものが何もない状態ですね、ずっとこの過去を振り返るような状態みたいなんですけど、そうなると、おそらく皆さんは充実した人生を送ってらっしゃると思うんですけど、何もできない状態になると、なんでもっといろんな事しなかったんだろうとか、なんでもっと力を入れてやらなかったんだろうとか、そういう、やれたはずなのにやらなかったという事をものすごく後悔して、やれる時に何かをやれる時にそのこと自体を大事にしたいなと自分でも思いますし、少しでも心当たりがある方は、何もできなくなった時が本当につらいので、できるときにもうちょっとなんかやってみるといいんじゃないかと

解放交渉はカタールとトルコが主導か

シリア内戦の情報を集めているシリア人権監視団は23日、声明を発表し、安田純平さんの解放に向けた交渉は中東のカタールとトルコが主導したとしたうえで、4日前に解放されたとの見方を示しています。

解放の連絡が時間をおいて行われたことについて、シリア人権監視団のアブドルラフマン代表はNHKの取材に対し、複数の情報源の話として「安田さんは4日前に解放されていたが、カタール政府は、サウジアラビア人ジャーナリストが死亡した事件についてトルコのエルドアン大統領が23日、サウジアラビア政府を非難する演説をしたあとという政治的タイミングを選んで解放を日本政府に伝え、公にしたということだ」と述べました。

そのうえで、「背景には、カタールが対立しているサウジアラビアがジャーナリストを死亡させたとされる一方で、カタールとトルコは協力してジャーナリストの救出に尽力しているという印象をアピールする狙いがあったと聞いている」と話しています。

ただ、詳しい情報源については明らかにできないとしています。

サウジアラビアなど中東の国々は去年から「テロ組織を支援し、地域の安定を脅かしている」として、カタールと国交を断絶していてカタールは対抗する形でトルコなどに接近しています。

カタールとは

安田さんが解放されたという情報を日本に伝えたカタール。アラビア半島にあるペルシャ湾岸の首長国です。

中東の地域大国、サウジアラビアとイランに挟まれた人口およそ270万の小国ですが、豊富な天然ガスや石油の輸出によって得た豊富な資金力を背景に独自の外交を展開してきました。

特に2011年の「アラブの春」とよばれる民主化運動では、エジプトに誕生したイスラム組織「ムスリム同胞団」中心の政権を全面的に支援したほか、リビアのカダフィ政権に対する多国籍軍の軍事作戦にも積極的に参加し、地域での存在感を高めました。

また、カタール政府が出資して開設した衛星テレビ局「アルジャジーラ」は、世界中に大きな発信力を持ち、情報戦略の面でも独自色を打ち出しています。

2022年にはサッカー・ワールドカップもカタールで開催されることになっていて、さまざまな側面で世界の注目を集める国となっています。

一方で、周辺国とはあつれきも生まれています。エジプトでは、2013年、カタールが支援してきたイスラム組織「ムスリム同胞団」による政権が事実上のクーデターで崩壊。

「ムスリム同胞団」をテロ組織とみなすエジプトの軍主導の新政権や、サウジアラビアなどはカタールとの対立を深めていきます。

さらに、去年にはサウジアラビアなどが敵視するイランに対し、カタールが関係改善を模索する動きをみせていると伝えられます。

これによって対立は決定的となり、カタールはサウジアラビアやUAE=アラブ首長国連邦、それにエジプトなどから断交を通知され、今も空路や陸路が封鎖されています。

カタールはシリア反政府勢力を支援

カタールは、シリアの内戦に深く関わってきた国の1つです。

シリアでアサド政権に対する抗議デモが内戦に発展すると、カタールは反政府勢力への積極的な支援に乗り出します。

人道的な支援に加え、反政府勢力に武器や資金も供給し後押してきたとみられています。

この過程でカタールは反政府勢力との間に太いパイプを築いたとみられ、過激派組織による外国人の誘拐が相次ぐようになると、カタール政府が仲介に乗り出し、人質の解放交渉に当たってきました。

おととしにはシリアのアレッポで拘束されたスペイン人のジャーナリスト3人の解放を成功させたほか、4年前にアメリカ人のジャーナリストがシリアのアルカイダ系組織から解放された際にもカタール政府の仲介があったとされています。

また、カタールは、同じく反政府勢力を支援してきたトルコとの関係も強めています。

安田さんが拘束されていたとみられる北西部のイドリブ県では、トルコが影響力を持つ勢力も多く、両国が連携して交渉に当たったことが、安田さんの解放につながったという見方もあります。

一方、カタールが、シリアの反政府勢力を支援してきたことについては、欧米諸国やサウジアラビアなどが「テロ組織に武器や資金が渡るおそれがある」と指摘するなどシリアでイスラム過激派組織の台頭を招く要因となってきたと批判も受けていました。

これまでにも日本人が被害に遭う事件

中東では、これまでにも日本人が武装勢力に拘束されたり殺害されたりする事件が起きています。

2004年4月には、ヨルダンの首都アンマンから陸路、イラクの首都バグダッドに向かっていたNGO関係者などの男女3人がイラクの武装勢力におよそ1週間にわたって拘束されました。

また、同じ4月には、今回拘束されていた安田純平さんなどフリージャーナリスト2人がイラクのバグダッド郊外で武装グループに拘束され、その後、解放されました。

さらにその半年後には、イラクを訪れていた男性が自衛隊のイラク撤退を要求するイスラム武装勢力に拘束され、その後殺害されました。

2015年には、シリアで過激派組織IS=イスラミックステートが、後藤健二さんと湯川遥菜さんの2人を拘束したとする映像をインターネット上に公開し、その後、2人は殺害されました。

また、2016年には、イラク北部で過激派組織ISのイラク最大の拠点、モスルの奪還作戦を取材していた常岡浩介さんがクルド自治政府当局に拘束され、その後解放されました。