外交文書 天皇の中国訪問 約30年前の事前交渉明らかに

およそ30年前、当時、天皇だった上皇さまの中国訪問をめぐる日中の事前交渉の内幕が、公開された外交文書で明らかになりました。当時、外務省の担当課長は、党内基盤が不安定だった海部総理大臣が続投するか否か予断できないため、新たな内閣で検討すべきだと、中国側に結論の先送りを提案していたということです。

1991年8月、当時の海部総理大臣は天安門事件のあと、G7=主要7か国の首脳として初めて中国を訪問し、李鵬首相から翌年の日中国交正常化20年に合わせて、当時、天皇だった上皇さまの中国訪問を実現するよう要請されたのに対し、慎重に検討する考えを示しました。

今回、公開された外交文書では、この会談を前に行われた外務省内部の協議で「過去を清算するための訪中をいつかは行わなければならない」とする意見の一方、「中国側に政治的に利用される危険がある以上、乗るべきではない」などという指摘も出ていたことが分かります。

また、同じ時期の別の文書には、当時の宮本雄二中国課長が、今の中国の外相で、当時、中国大使館の参事官だった王毅氏に、日本側の考え方を伝えたやり取りが記されています。

この中で宮本氏は「この秋、海部総理が続投するか否かは機微な問題であり、海部総理から訪中を前向きに発言いただいた場合、延命策となりかねない。本年の秋、すなわち新内閣の下で検討することが適当と考える」と説明しています。

宮本氏はNHKの取材に「外交的なプラスと内政や皇室との関係から生じるマイナスを考えて、天皇の中国訪問は時期尚早だと判断した。中国側を説得するのが最大の眼目で、私の発言は上の立場の人も把握し、了承していた」と述べました。

海部総理大臣は11月に退陣し、次の宮沢内閣のもとで翌年、中国訪問が実現しました。

日中の外交関係に詳しい北海道大学の城山英巳教授は「日本側として91年の段階では、天皇の中国訪問がクローズアップされることに、かなり後ろ向きな姿勢だったことは極めて興味深い」と指摘しています。