県で人口5番目のむつ市の市長が
最大都市の青森市長を破った訳は

保守分裂の構図となった青森県知事選挙。
県内2人の現職市長が辞職して選挙戦に臨んだ。
勝ったのは人口で県内5番目の、むつ市の前市長。
人口が県内最大の県庁所在地、青森市の前市長を大差で破った。
勝敗を分けた理由は何だったのか。
(早瀬翔)
意外な結果に
5期20年の間、知事を務めた三村申吾(67)が引退し、新人どうしの戦いとなった青森県知事選挙。勝ったのは県北部のむつ市長を今年3月まで務めた宮下宗一郎(44)だった。その当確はNHKを始め各社、投票終了直後の午後8時に一斉に報じた。

宮下は国土交通省出身で、35歳の時、むつ市長だった父の急逝にともない国土交通省を退職して市長選に立候補し初当選した。新型コロナの経済対策として行われた「Go Toトラベル」について、「キャンペーンによって感染拡大に歯止めがかからなければ、政府による人災だ」と苦言を呈し、全国的に注目を集めるなど、若さと発信力は県民に広く知られていた。
結果は宮下宗一郎40万4358票 小野寺晃彦17万4155票。得票率では39ポイント差。宮下は小野寺の2倍以上の票を獲得した。県内40の市町村、すべてで宮下の得票が小野寺を上回った。小野寺が6年半近く、市長を務めた県庁所在地青森市でも3万票以上の差を付けた。宮下の圧勝だった。
投票率は57.05%で、過去2番目に低かった前回より16.97ポイント高かった。
宮下、圧勝の理由は
投票日当日の出口調査からも宮下圧勝の理由がうかがえる。
今回、自民党は宮下、小野寺から推薦を求められたが自主投票を決めた。詳しい経緯はこちら。
結局、過半数の県議や国会議員の一部が小野寺につく一方、一部の県議は宮下を支援し保守分裂の状況になった。しかし、自民党を支持している人のうち、勝った宮下に入れたと答えたのは60%台前半、小野寺は30%台半ばにとどまった。また、特定の支持政党を持たない人は全体の40%で、このうち70%台後半が宮下を支持していた。
小野寺はなぜ敗れたか?
では、小野寺はなぜ、こうも大差で敗れてしまったのか。青森市長としては「まじめ」という評判で知られていた小野寺。しかし、青森市民や関係者に話を聞くと、雪国の生活に密着した問題で批判が出ていた。それが「除排雪」だ。道路に積もった雪を取り除き、郊外などに運び出す。雪国にとっては重要な公共事業だ。都道府県庁所在地で、唯一自治体全域が豪雪地帯に指定されている青森市。外を出歩くにも、「除排雪」が進まなければ、全く生活ができないし、車が立ち往生して交通が止まる。物流も止まる。青森市民の最大の関心事は夏のねぶた、冬の除排雪と言われるほどだ。
小野寺が市長に就任後、雪が少ない時期もあったが、2021年の豪雪では市内の交通がマヒした。「除排雪」が後手に回ったと受け止める市民も少なくなかった。次の冬も、集中的に雪が降ったときには数日間、多くの市民が外出するのも難しいくらいの雪が積もっていた。
市議や建設業関係者は、「小野寺が行政改革で公共工事を削減し、除排雪を担うダンプカーの数が減ったことによる影響ではないか」と指摘する。青森市で開かれた、宮下の演説会に来ていた市民からも「小野寺は除雪が中途半端だから」という声が聞かれた。

辞職時期が遅れたのか
さらに選挙活動の出遅れを指摘する声もあった。小野寺は、青森市長選挙の日程を県知事選挙に合わせるとして4月末に辞職した。通常であれば1億円かかる選挙の経費が、同じ日に投票となれば3000万円で済むという。今回だけ7000万円が浮くだけでなく、知事か市長の任期途中の辞職がなければ、4年おきに7000万円の経費が浮くことになる。ただ、宮下の辞職は3月3日だったので、本格的な活動開始が2か月近く遅くなった。市長として経費削減を重視したのかもしれないが、小野寺に近い関係者はこう心配していた。「『真面目』がすぎる。筋を通す前にまず当落を心配する身勝手さがもう少し欲しいくらいだ」
県民は刷新を求めていた
小野寺は知事を務めた三村の後継と目されていたし、三村のことを「政治の師」と仰いでいた。

NHKの出口調査で今回の知事選を象徴するような結果が出た。
三村県政を「評価する」と答えた人は80%以上にのぼった。ところが、三村県政の継承か刷新かを問う質問では、刷新が60%近くと継承を上回った。

8割以上が県政運営を支持するのに、刷新を求める声が多い現状。政党の関係者や県民に聞くと、コロナ対応や農林水産品のトップセールスなど、5期20年の県政運営を「ある程度」評価する声は多かった。しかし、人口減少や平均寿命ワーストといった多くの地域課題の解決に見通しを付けることは難しかった。
そして、県政の刷新を求める人のうち80%以上が宮下に投票している。
小野寺は三村継承を超える魅力を伝えきれなかったのかもしれない。

宮下ブーム広がる
宮下は1月の「辞職表明」、そこから「正式立候補」、3月の「辞表提出」など、ことあるごとに報道された。職員に胴上げされて市役所を去る姿は多くの県民も目にしただろう。

辞職直後に青森市に事務所をかまえ、県内の各市町村を訪れ、支援を呼びかけた。「新しい未来への挑戦」「少子化という未来に挑戦する『青森モデル』」「青森新時代」などといった言葉を発信し、まさに県政を刷新するイメージを植え付けた。
一方の小野寺は、辞職の翌日5月1日に政策を発表。農業産出額を3500億円まで増やすことや、観光客数を4000万人に増やすなど、72の項目のうち、およそ70の項目で数値目標を盛り込んだ。青森市で実現した政策を青森県でも実施するとして「実行力」をキャッチフレーズに掲げた。そして、宮下を念頭に「政策を見比べてほしい」と訴えた。
宮下の名前は選挙期間中、SNS上に出てくる青森県に関連した話題の上位に連日あがり、名前や写真を貼った手作りのうちわを持って街頭演説に駆けつける県民の姿も多く見かけられた。各市町村では、複数の党の県議や市議が「勝ち馬にのる」かのように、宮下を応援する議員の会が設立された。

日を追うごとに、県民の宮下への支援の熱は高まってきた。それは、小野寺が直前まで市長を務めていた青森市でも、同じ状況だった。選挙戦中盤、同じ日に同じ青森市の会場で行った街頭演説に集まった人は、宮下が200人ほど、小野寺が30人ほど。圧倒的な差だった。
宮下の街頭演説に来ていた人に聞くと、「若さ、勢い、実行力がある」(50代男性)「宮下は若くて素直」(70代女性)など、「印象」で宮下を支援する声が聞かれた。
敗因について小野寺は
午後8時過ぎ、敗れた小野寺は、事務所で支援者を前に「及びませんでしたが、政策論争の選択肢を示すという役割は最後まで果たさせていただいたと思っています」と言葉少なに語った。敗因について尋ねられても「私には話す資格がありません」と繰り返すばかりだった。

どうなる青森新時代
青森県は、今年2月に、推計人口が119万8490人と、1947年以降で初めて、120万人を下回った。人口減少対策は喫緊の課題だ。少子高齢化や若者の県外流出にスピード感を持って何をどう実行していくのか、選挙で宮下がアピールしてきた「実行力」が問われている。
(文中敬称略)

- 青森局記者
- 早瀬 翔
- 2016年入局 初任地名古屋局で警察や行政の取材を経験し 青森局へ 現在は青森県政や青森ねぶた祭などの取材を担当