あわや再々選挙 混戦から圧勝のワケ

12月4日に投票が行われた東京・品川区長選の再選挙。
どの候補者も法律で定められた票数に届かず再選挙となるのは、自治体トップを決める選挙では全国7例目、都内では初という珍しい事態となった。
さらに、首長選挙では全国初の“再々選挙”もありえるのではと懸念される中、
結果、1回目の選挙で最多得票だった候補者が再選挙に圧勝し、決着を迎えた。
“再々選挙”は、なぜ回避できたのか。2度にわたる激戦の裏側を取材した。
(浜平夏子 鵜澤正貴 勝又千重子)
“最多得票”だが“当選”ではない
事の始まりは10月2日。
午後11時ごろ、任期満了に伴う品川区長選挙の開票結果の情報が、候補者の1人、
元都議会議員、森澤恭子の事務所に伝えられた。結果は、候補者6人の中でトップの2万7759票。
笑顔を見せていた森澤だったが、困惑した面持ちに変わった。

最多得票ではあったが、当選には該当せず、再選挙になるというのだ。予想していなかった展開だった。
再選挙とは 首長選挙では都内初
再選挙とは何か。
公職選挙法では「法定得票数」という、当選に必要な票数を定めている。
これに達していない場合は、有権者の代表としてふさわしくないなどとされ、最も多くの票を獲得しても当選にはならない。
法定得票数は、選挙の種類によって異なり、地方自治体のトップを決める選挙では「有効投票数の4分の1」と定められている。
品川区長選挙は現職が立候補せず、新人6人による争いとなっていた。突出した候補者は出ずに6人で競り合った結果、有効投票数の4分の1にあたる2万8348.75票に届いた候補者がおらず、当選者なしとされたのだ。森澤は、法定得票数まで589.75票足りなかった。

法定得票数に届かずに行われる首長選挙の再選挙は、歴史を振り返っても、全国でわずか6回しか例がない。東京都内では初という事態だった。
開票結果を受け、森澤はいったん席を立った。しばらくして支援者たちの前に戻ると、こう宣言した。
「再選挙に、立候補します」
立候補取りやめる動きも
再選挙は2か月後の12月4日に投票が行われることとなった。
「決選投票」ではなく、被選挙権を持っていれば誰でも立候補することができる。
過去6回の首長選挙の再選挙では、候補者は1回目からいずれも減少し、4人以下となっていた。1回目で下位だった候補者が諦めたり、候補者同士で政策で折り合うことなどを条件に立候補の調整が行われたりしてきたとみられている。

品川区長選挙でも、最下位だった大西光広はその後、取りやめた。
大きな理由は、再選挙にかかる費用だ。選挙管理委員会によると、再選挙にかかる費用は、あわせて行われた区議会議員の補欠選挙を含めて1億8000万円あまりに上る。
大西は取りやめを公表した会見で、「私が出なければ再選挙で当選者が決まる。構図が変わらず“再々選挙”になれば、税金の無駄遣いになる」と述べていた。また、別の陣営からは自分の政策を部分的に取り入れるという話もあったという。
残りの5人の間では、これ以上の候補者調整が進むことはなかった。関係者によると、一部で動きはあったものの、全体の政策や方向性で隔たりが大きかったという。
“新たな6人目”現る
5人の争いとなれば、1人あたりの得票は増えやすくなる。今度こそは当選者が決まるかと思われたが、“新たな6人目”が現れた。元区議会議員の石田慎吾だ。
「前回当選者がいなかったというのは、どの候補も決め手に欠けたということ。自らが新しい選択肢を品川に示す決意で立候補をさせていただいた。
“再々選挙”になるかもしれないという批判は、期待に変えていきたい」
石田慎吾は、国民民主党の推薦を受けた。国民民主党としては党勢拡大につなげたい狙いがあったとみられる。

首長選挙では全国初となる“再々選挙”も懸念される構図となったのである。
1回目トップの意地 “次で決着を”
1回目の選挙でトップだった森澤恭子。
元都議会議員で、東京23区では歴代4人目となる女性区長を目指した。

無所属で、政党の推薦などを受けなかった森澤は、組織の支持母体がない。選挙運動の中心は、いわゆるママ友や学生などのボランティアだ。
「ボランティアの皆さんは仕事や子育て、学業の時間を削って
選挙運動を手伝ってくれている。なんとか思いに応えたい」
配布するチラシや肩に掛けるたすきでは1回目で1位だったことを強調。
再選挙の告示前、44歳の誕生日を迎えた。小学生の子どもから、お祝いの手紙をもらっていた。

「再選挙とか大変な時期なのにご飯をつくってくれたり、いつも笑顔でやさしくしてくれたりしてくれて、ありがとう。来年の誕生日は落ち着いて楽しくむかえられると良いね」
選挙戦が長引き、家族に負担をかけ続けていると感じていた森澤にはこれ以上ないプレゼントになった。「次で必ず決める」と、森澤はそのとき、覚悟を決めた。
政権与党の意地 回り続け体重10キロ減
組織の力で対抗したのが、1回目で僅差の2位だった石田秀男だ。
6期務めた自民党会派の元区議会議員で、議長も経験した。区長選挙では自民党の推薦を受けた。

区議会のど真ん中で長く仕事をしてきたと自負してきたが、これほどまで長い選挙戦は初めてだった。
7月中旬から区内をくまなく回り、集会に顔を出し、街頭に立ち続けた。
その結果、体重は10キロ減った。
負けられないという強いプレッシャーも感じていた。
「1回目の選挙は、国葬や旧統一教会へのご意見があり、自民党の名前をポスターに出さなかった。しかし選挙後、仲間から『素直にやろう』と言ってもらった。大勢の仲間が応援してくれているので、なんとしてもしっかり応えていく」
石田秀男はポスターやチラシで「自民党」の名前を前面に出して戦った。
初めての選挙で2万票以上を獲得し、3位だった元銀行員の山本康行は、再選挙を追い風ととらえて連日街頭に立ち続けた。

さらに1回目に続いて元区議の西本貴子、共産党が推薦する村川浩一も立候補した。6人の候補者それぞれが支持者の票を固めれば、再び接戦となり“再々選挙”の懸念がさらに高まる。
予想を覆し、森澤が圧勝
そして、12月4日夜。開票の時を迎えた。
まず、投票率が発表された。32.44%で、10月の1回目の選挙より2.78ポイント下がった。
だれに投票するか定まっていない票が、1回目よりも少なくなり再び票が割れることも予想された。
しかし開票が進むと、事前に聞かれた接戦の予想を覆し、森澤は1回目より1万3000票近く積み増し、4万票を獲得。1回目に立候補した他の候補者がみな票を減らす中、圧勝したのだった。

「正直、4万票という数字は想定していなかった。前回の選挙で誰に投票していいのかわからないという声を聞き、政策をより具体化して示したことに、共感いただけたのかなと思う」
森澤陣営は、組織の色がなかったがゆえ、幅広い層の民意の受け皿になれたのではないかと見ていた。

3位の山本は、森澤が票を集めた理由をこう分析した。
「“再々選挙”となることを区民が望まず、1回目で1位だった森澤さんに票が集中したという考え方もあるのではないかと率直に思う」
“再々選挙”は、区民たちの選択によって回避された。
区民は“再々選挙”回避に安堵も…
再選挙が終わった翌日、区民からはさまざまな声が聞かれた。
(78歳・女性)
「1回で決まれば一番よかったが、区長がいないと困る。再選挙で新しい区長が決まってよかった。さっそく公約に着手してほしい」
(32歳・女性)
「最初の選挙には行かなかったが、再選挙になったと聞いて、子育て世代として次こそは投票に行かなければと思った。私の1票でも意味があったならよかった」
(19歳・男性)
「駅前で運動しているのを見たが、またかと感じた。あまり詳しく見てみようという気にはならなかった」
専門家「区民は“セカンドベスト”意識か」
選挙制度に詳しい一橋大学大学院の只野雅人教授は、再選挙の結果について、こう分析した。
「1回目では森澤氏以外の候補に投票した人も“セカンドベスト”という感覚で、1回目で1位の森澤氏を選んだのではないか。“再々選挙”になれば、政治が長期間、止まってしまうという問題もあるので、そのあたりを意識したのではないか」

その上で、再選挙の制度のあり方については、こう述べた。
「今回以外にも、最近は都市部などで再選挙の可能性がある選挙が見られる。
今後、再選挙が増えていくようであれば、決選投票のような仕組みを検討するなど、議論の余地がある」
新区長 「多くの区民の声を聞く」
投票から2日後の12月6日、森澤は多くの区職員に出迎えられ、初登庁した。

今後について、次のように抱負を語っている。
「今回は精一杯やって、ベストを尽くせたと思っているが、それでも投票率は上がらなかったし、私に投票しなかった人もいる。そういう方の声も聞きながら、区政を一歩一歩着実に進めていきたい」
区長の座をめぐり、揺れ続けた品川区。新区長は異例の“延長戦”となった経験を、さまざまな課題を抱える区の発展につなげることができるのか。真価はこれから問われることになる。
(文中敬称略)

- 首都圏局記者
- 浜平 夏子
- 2004年入局。宮崎局やさいたま局などを経て2020年から首都圏局。

- 首都圏局記者
- 鵜澤 正貴
- 2008年入局。広島局や横浜局、選挙プロジェクトなどを経て2021年から首都圏局。

- 社会部記者
- 勝又 千重子
- 2010年入局。山口局、仙台局を経て2018年から社会部。保守王国、山口県で政治や選挙を担当。