沖縄県知事選で自民はなぜ勝てない
玉城デニーは安泰か?

支持者の割れんばかりの拍手に誘われ、その男は沖縄の「カチャーシー」を舞い、歓喜に酔いしれた。
本土復帰から50年を迎えた沖縄の一大政治決戦、沖縄県知事選挙。勝利の舞いを披露したのは現職の玉城デニーだった。
悲願の県政奪還を目指して、ことしに入り、市長選挙で4連勝するなど勢いに乗っていた自民党は本丸を前に失速。革新勢力が主眼を置く基地問題から、保守勢力が重視する経済に有権者の関心が移る中で、自民党はなぜ勝てなかったのか。
そして玉城や、支援する「オール沖縄」は今後も安泰なのか。
半年以上に及ぶ選挙取材を通して、両陣営それぞれの課題が浮き彫りになった。
(後藤匡、 西林明秀)

迷走した候補者選び

自民党県連の候補者選定は、去年1月には始まっていた。
有力候補として名前が挙がったのは、衆議院議員の西銘恒三郎、そして前回の県知事選にも立候補した元宜野湾市長、佐喜真淳だった。


県連の一部には、市長の職を辞して知事選に立候補して敗れた佐喜真を何とか知事にしたいという思いが強くあった。幹部の1人は「前回は逝去した翁長雄志知事の『弔い選挙』だったにも関わらず、佐喜真は31万票をとった。これは驚異的だ。デニーを倒せるのは佐喜真しかいない」と記者に強い口調で話した。
一方、知事選への立候補の意思を何度も尋ねられた西銘は、そのたびに固辞。県連幹部は、佐喜真擁立に向け、内々に動き始めた。
そして、ことし1月25日。「厳しい選挙になるが、覚悟はあるか」こう迫った県連幹部に対し、佐喜真が立候補を受諾。およそ1年に及んだ候補者選定が決着したかに見えた。その矢先、壁が立ちはだかった。
自民党本部だ。「佐喜真では厳しいのではないか」。佐喜真の擁立に消極的だったのだ。
圧倒的な人気を誇る現職知事の玉城デニー。

これに対し、4年間、表だった政治活動を行ってこなかった佐喜真では、太刀打ちできないのではないかというのがその理由だ。佐喜真のもとに2月上旬、ある国会議員から一本の電話が入り、参院選に立候補するよう促されたこともあった。しかし、佐喜真は「勘弁してください」と一蹴。佐喜真は「自分がなりたいのは参議院議員ではない、知事なんだ」という思いをかえって強くしたが、党本部側は、沖縄出身の著名人の擁立も画策して、候補者決定を引き延ばした。3月上旬までに参院選とセットで候補者を決定するという沖縄県連のもくろみは崩れた。
佐喜真擁立に消極的な意見は、経済界などにも広がり、候補者選定は混迷を極め、時間だけが過ぎていく。結局、佐喜真で落ち着いたのは、ことし5月28日。
参院選の公示まで、すでに1か月を切っていた。佐喜真の擁立が決まると、相手陣営、オール沖縄のある幹部は笑みを隠しきれない様子でこう語った。「自民党はもっと早くから人選をして、本気で挑んでくると思っていたが、迷走しているのを見て安どした。デニーさんの知名度・人気に佐喜真さんじゃ遠く及ばないよ」

空白の1か月

「デニーの壁は高いが、参院選とセットで動かせば、勝機はある」。自民党沖縄県連は、7月の参院選と9月の知事選の候補をセットで動かし、参院選を勝ち抜いた勢いに乗って知事選に挑む戦略を立てた。参院選には38歳、那覇市出身で元総務省の官僚、古謝玄太の擁立を決定。3月6日のことだった。若い元官僚の擁立は沖縄では珍しい。県連内や経済界の一部では「古謝なら参院選は勝てる」という楽観論が広がった。


しかし、選挙態勢の構築は遅れた。古謝を支えるべき県議会議員らは、議会対応や知事選の候補者選定に追われ、古謝の選挙戦を引っ張る存在はいなかった。若手の那覇市議がSNS対策などの準備にとりかかったが、選挙初挑戦の古謝の動きは、3月中、完全にストップ。不安になった古謝が全県回りを始めたいと県議らに支援を求めたが、県議会の対応があるからと断られたという。
古謝のもとに集まった同世代の若い支持者たちは、しかたなく手探りで選挙活動を行った。3月中に行うとされていた事務所開きも5月中旬までずれ込んだ。
こうした動きの鈍さもあり選挙戦終盤に猛追したもののわずか2888票差で惜敗。早朝まで続いた若手支持者の反省会では、古謝を事実上放置したとして、自民党の沖縄県連や県議らへの不満の声が飛び交った。メンバーの1人は記者に対し「玄太さんは優秀だが、選挙のやり方は無知ですよ。自民党は本当に勝つ気があったと思いますか」と質問を投げかけてきた。知事選の結果がおぼろげながら見えた気がした。

佐喜真の誤算

佐喜真には誤算が続いた。元衆議院議員でかつて自民党にも在籍していた下地幹郎の立候補だ。参院選の投票日直前の7月8日。下地はある経済界の重鎮と面会。知事選に立候補する意向を伝えた。その上で、支援はいらないとの意向を伝えた。迷惑をかけることになるのが分かっていたからだ。下地に近いある観光業界の人物は、今回だけは出ないよう説得したという。下地が立候補することで、保守の票が割れ、玉城を利すると考えたからだ。しかし、下地の意志は固かった。


さらに佐喜真にとって誤算だったのは、知事選と同じ日に行われた宜野湾市長選など4つの首長選と24の市町村で行われた議会選の候補者たちの対応だった。セットで選挙を戦ってくれることを期待していたが、自民党系や公明党の議員たちが自分たちの選挙に没頭していったのだ。沖縄の自民党として一致結束し、知事選に向かう。そんな体制にはほど遠い状況となっていた。経済界の熱も冷め始めた。
これに加えて、佐喜真が台湾で開催された旧統一教会の行事に出席していたことが判明し、大きな逆風となることが懸念された。

盛り上がらなかった選挙戦

沖縄の自民党が一致結束できない中、8月25日に告示日を迎え、選挙戦がスタート。大物国会議員が東京からひっきりなしに訪れた参院選とは対照的に、知事選は応援も鳴りを潜めた。諦めの声も漏れる中、頻繁に沖縄入りしたのが自民党七役のひとり、組織運動本部長を務める小渕優子だった。小渕は告示日を含め、4度沖縄に入り、企業・団体・首長などを回るとともに、佐喜真とともに遊説などを行った。県議補選に革新系が2人立候補したのをチャンスと見るや、雨が降り、蒸し暑い那覇の街を、初めて選挙に立候補した自民党の県議補選の候補者とともに懸命に練り歩き、手取り足取りアドバイスを行った。


逆風の中、なぜ頻繁に沖縄に入ったのか、小渕に聞いてみた。
「最後まで誰かが寄り添わないと」
4年前の知事選の際に沖縄に泊まり込み、最後まで陣営を鼓舞し続けた故・竹下亘の姿が小渕の脳裏に焼き付いていた。父親は沖縄サミット開催にこぎつけた小渕恵三。その遺志を継承し、党の沖縄振興調査会の会長の肩書きを持つ小渕としては、最後までやれることをやりきる覚悟だった。

結果は大差

そして迎えた9月11日の投票日。午後8時には、NHKも含めて、ほぼすべての報道機関が当確を打ち出した。

保革が拮抗する沖縄全県の選挙ではめったにないことだ。約6万5000票の大差がつき、佐喜真は惨敗に終わった。選挙のあと、小渕は「国と対立する県政が継続すると考えるとやりきれない」と肩を落とした。県の窮状を訴える経済人らの顔が頭をよぎったという。
8時に玉城の当確が出ると、自民党の県連会長は周囲に辞意をもらした。会長の辞意は固かったが、10月に那覇市長選などが控える中で、県連会長は続投すべきだとの声もあり、当面、続投することになった。その後、誰がかじ取り役を担うのか。
NHKの出口調査で、知事に期待する政策を聞いたところ、「経済振興」が31%で最も多く、「基地問題への対応」を上回った。有権者の関心が経済に移りつつあることもうかがわせる中で、勝利を果たせなかったのは自民党としては苦しい状況だ。国会議員・県議会議員らをまとめられるリーダーをつくり、統率のとれた組織への変貌を図る時がきている。

手をつけなかった組織の立て直し

圧勝した玉城デニーを支える「オール沖縄」。


問題がなかったかのように見えるが、ことし前半に行われた市長選で、普天間基地の移転先を含む名護市などで4連敗。さらに、知事選と同時に行われた宜野湾市長選でも敗れた。市長選で負けるたびに「組織の立て直しが必要だ」と幹部らは口をそろえたが、結局「全県の選挙と市町村の選挙は違う」という結論に至り、立て直しを図ることなく参院選に突入していった。
県知事選で玉城を再選させるためには、参院選での勝利が必須という認識はオール沖縄側も同じだった。抜本的な体制の見直しは行われなかったものの、訴えの内容は見直した。若者の基地問題離れを踏まえて、経済政策や子育て政策を基地問題と同列に訴えた。
参院選の結果について、ある幹部は「自民の古謝候補の勢いに諦めかけていた。あと3日選挙戦が続いていたら負けていた。我々は溺れながらゴールした」とまで語った。自民の古謝が立候補表明から十分な活動が行えず、知名度が上がらなかったことが幸いしたと分析する。

“持続可能じゃない”

参院選で辛くも勝利を収めたオール沖縄。知事選に弾みをつけたように見えたが、玉城も決して安泰ではなかった。
県庁での会議が始まる直前に「ゼレンスキーです」と玉城が不用意に発言して批判が集まったほか、2年以上にわたる新型コロナへの対応に、観光業界を中心に経済界からはマグマのような不満が噴出していた。それでも、県知事選に勝利できた要因として、オール沖縄のある幹部は、相手候補が前回の選挙で破った佐喜真だったこと、デニーの人気の高さ、そして、旧統一教会の問題も含めた政府・自民党への国民の不信感の3つを挙げた。
そして「デニーさんの実績が評価されたとは正直思っていない」とも話した。アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設問題でも、埋め立てを止めることができている訳ではなく、辺野古への移設反対を中心に訴えてきたこれまでのやり方がいつまでも続けられるものではないと指摘した。ただ「オール沖縄」が、辺野古への移設の阻止をきっかけに集まった経緯もあり、主張の重きをほかの問題に移せば、一気に空中分解するかもしれないという懸念があるという。移設問題だけでは訴えが持たなくなってきているが、それに変わる共通のテーマもあまりないともいう。しかし、この幹部は、次の4年間でオール沖縄も変わらなければと語気を強めた。

経済再生に対応できるか

先にも触れたように、知事選の出口調査で、知事に期待する政策は「経済振興」だった。これは玉城が苦手とするテーマとも言える。
玉城と経済界のつながりは薄いのだ。平成18年から8年間の仲井真県政時代、仲井真は定期的に経済界と意見交換をするため、朝食会などを開催していたという。経済界の生の声を聞き、政策に反映させる。時に、政権与党にも打診をする。

一方、玉城の4年間、県庁幹部によれば、そういった意見交換の場はほとんど持たれることはなかった。玉城は、観光業を「沖縄のリーディング産業」と表現する。コロナ前、沖縄の入域観光客数は1000万人を突破し、順調だった。
しかし、コロナで観光客の姿は消え、観光業界は悲鳴を上げた。「玉城知事と会わせてほしい」


観光業界は、コロナ禍の間、20回以上、玉城との面談を要望したが、会えたのはわずか2回だけだったという。玉城としては、レンタカー、ホテルなど分野ごとに分けて面談を行おうとしたという。
しかし、業界は全体で一度に行うことを求め、調整がつかなかったというのだ。玉城はわれわれの取材に対し、観光業界には今後、分野ごとにヒアリングを行って要望を聞いた上で、県ができる支援を見極めていく考えを示した。基金も40億円あると指摘。観光業界との対立は望まないとして、今後は対話を行っていく考えを示した。

若者の支持を取り込む

一方、玉城の得意の基地問題では、若者の関心が低下している。NHKが行った出口調査では、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設の賛否を年代別に見ると、10代と20代、それに30代では「容認」が「反対」を上回り、40代、50代、60代、70代以上では「反対」が上回る結果となった。


他の調査を見ても、基地問題の関心は、40代から50代を境に、若い世代と年配の世代で温度差が大きいように見える。この点も、玉城は課題として捉えていて、「オール沖縄の政策のブラッシュアップが必要だ」と指摘する。若者の取り込みに向けて、若手が政策提言できるような会議体を設け、政策も議論してもらい、基地問題以外でも、若者が必要だと思う政策を提言してもらえる仕組みの構築を考えたいと話す。

問われる国との関係修復

今後は基地問題に取り組みつつ、経済にもさらに取り組むと意気込む玉城。ただ経済界の多くは、政府との関係修復を望んでいるという事実もある。沖縄振興予算は、今年度当初予算で、10年ぶりに3000億円台を下回った。
コロナ禍で観光業を中心に痛んだ経済の立て直しが急がれる中で、政府との対立は避けて欲しいという声は、県内の市長らからも上がる。
「国と辺野古移設では取っ組み合いのケンカをして、どうやって経済振興で手を握り合うことができるのか」と言うのだ。
燃料や食料品の物価高騰が続き、他の県では、国への要請活動などが盛んに行われているが、沖縄県はほとんど動かないという指摘もある。経済界と国との付き合いをどうやって折り合いをつけていくのか。玉城にとって、次の4年間は正念場となりそうだ。
(文中 一部敬称略)

沖縄局記者
後藤 匡
2010年入局。経済部・政治部を経て、2021年11月から沖縄局。知事選では、佐喜真氏を担当。酒は飲まないが取材先との飲み会を大事にする。
沖縄局記者
西林 明秀
2015年入局。松江局を経て、2020年から沖縄局。知事選では、玉城知事を担当。沖縄県内の防波堤で夜釣りをするのが好き。