どうなる 自民党 安倍派
後継者は誰?体制めぐり混乱も

安倍派

安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れ、8月8日で1か月。
派閥領袖を突然失った安倍派ではこの間、水面下で幹部による主導権争いが繰り広げられていた。
党内が固唾を飲んで見守る、安倍派の今後の行方を探る。
(森田あゆ美)

総会で決着

安倍元総理が亡くなってから13日目の7月21日。安倍の死後、初めて自民党安倍派の総会が開かれた。
90人を超える所属議員の大半が出席した総会。前列中央、派閥の会長が座る席には遺影と白い花が据えられた。

安倍派の総会
派閥の実質的なナンバー2である会長代理の元総務会長・塩谷立は、遺志を引き継ぐため、安倍派の名称を残し、執行部体制を現状維持とすることに理解を求めた。
「われわれの責務は、一致結束して安倍元総理の遺志を継ぐことであり、結束して進めて参りたい。このままの体制を維持したい」

出席者から異論は出されず、粛々と方針は了承された。
現在の体制では、塩谷と前政務調査会長の下村博文の2人が会長代理を務めていて、この2人を中心に、幹部の意見を踏まえて派閥運営にあたることになった。

安倍派幹部

安倍の突然の訃報。派内には動揺が広がっていた。
早期の「体制維持」の表明は、派閥の分裂という最悪の事態を避けるためであり、新たな派閥の体制をどうするかの結論をいわば「先送り」する苦肉の策とも言える。

”集団指導体制”めぐり混乱

ここに至るまでの約2週間、派内では今後の体制をめぐり混乱が生じた。

安倍派につながる森派の会長をかつて務め、現在も派閥に影響力を持つ元総理大臣の森喜朗は、安倍が死去した直後から安倍派の幹部に対し、「複数人でまとめる体制にすべきだ」と伝えていた。

芝・増上寺で通夜
そして、死去の3日後、芝・増上寺で通夜が営まれた11日には、複数の派閥幹部が今後の体制について協議を始めた。

このとき、幹部の間では「集団指導体制」が共通の認識となりつつあった。しかし、どのような枠組みの「集団指導体制」とするかをめぐり、その後、派内で認識の違いが表面化する。

まず、具体案として上がったのが、「世話人会」のような枠組みを新たに設置する案だ。
強烈なトップを突然失い、派閥を円満に運営をするためには複数の世話人による合議体を設けるべきだという考えだ。

塩谷・下村の両会長代理のほか、派閥の事務総長の西村康稔、参議院側を束ねる世耕弘成、党国会対策委員長の高木毅、官房長官の松野博一、経済産業大臣の萩生田光一など、派閥の幹部や閣僚の中から代表者を選ぶもので、その数は5人や6人など、さまざまな案が出た。

これに対し、派閥の所属議員からは、「2頭体制」とも言える体制が望ましいという声も出た。
会長代理の塩谷・下村の2人を中心に派閥を運営していくもので、現状維持に近い。

いずれの案も決め手を欠く中で、断片的な情報が派閥の所属議員に伝わり、「何も聞かされていないのに、勝手に話が進んでいる」などと、中堅・若手の間で不信感が広がっていった。世話人候補に名前が挙がらなかった議員から疑問の声も聞こえた。

トップ候補の不在

こうした混乱の背景には、安倍が後継者を明確に決めていなかったことがある。

安倍はおよそ1年前、雑誌のインタビューで、今後のリーダーとして期待する政治家として、派閥の中では、下村、萩生田、西村、松野を挙げたことがある。

かつて父の安倍晋太郎が派閥の会長だった時に塩川正十郎、加藤六月、森喜朗、三塚博の4人が「安倍派四天王」と呼ばれた。これになぞらえて、安倍が取り上げた4人も新たな「四天王」と一部で目され始めていた。
安倍は生前、派内の若手議員に対し、「政策は西村に、お作法(=政治的なふるまい)は萩生田に聞くように」とも語っていた。

ただ、トップ候補は明確にしていなかった。

生前、安倍は、盟友とも言われた党副総裁の麻生太郎に「70歳までは頑張りたい」と語っていたという。
安倍が亡くなったのは67歳。もう少し時間をかけて後継者を育てようとしていたと見られている。

分裂の歴史

安倍派は、正式には「清和政策研究会」(清和研)と称する。

福田赳夫と安倍晋太郎

田中角栄とし烈な政争を繰り広げた、元総理大臣・福田赳夫が昭和37年に創設した「党風刷新連盟」を起源とし、福田は総理退任後に「清和会」を立ち上げて初代の会長となった。「真正保守」を掲げ、いわゆる「タカ派」の派閥とされる。安倍の父の晋太郎が2代目の会長を務めた。

70年代から90年代にかけて、政権中枢を長らく占めたのは田中派や大平派の系譜の派閥が多く、当時は非主流派と見る向きもあった。

ただ、2000年代に入ると、森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫と4人の総理大臣を次々と輩出し、自民党政権をけん引する実力派閥に躍り出て、党内最大派閥として隆盛を誇るようになる。2000年代の自民党政権約19年のうち、実に16年間が清和研の総理である。

(図:2000年代の清和研出身総理の政権)森政権 =00年~01年 小泉政権 =01年~06年 第1次安倍政権 =06年~07年 福田政権 =07年~08年 第2次安倍政権以降=12年~20年

一方で、清和研と言えば分裂の歴史がつきまとう。

三塚博と加藤六月

90年代には、安倍晋太郎の後継会長をめぐり、運輸大臣として国鉄民営化を推進し、のちに大蔵大臣などを務める三塚博と、農林水産大臣を務めた加藤六月の実力者2人の対立が表面化。
「三六戦争」と呼ばれた激しい争いの結果、三塚が会長に就き、加藤は派閥を離れることになる。

亀井静香

さらに、三塚の後継会長をめぐっては、森と党政務調査会長などを務めた亀井静香が激しく争った。森が会長に就き、亀井はおよそ20人を引き連れて派閥を離脱した。

町村信孝

安倍が長期政権を築くきっかけとなった2012年の党総裁選挙では、分裂こそ免れたものの、当時の派閥会長で官房長官や外務大臣などを歴任した町村信孝も立候補し、派を二分する争いになった。
このときの総裁選挙でどちらを推したかをめぐって、今でも安倍直系とそれ以外という見えない線引きが残っているという見方もある。

ことし5月、安倍派のパーティーに出席した森は、長年、政界で荒波をくぐり抜けてきた経験をもとにこんな言葉を残している。

森喜朗

「これだけ数があったら何でもできると思ったところから、崩壊が始まる。かつての自民党の派閥でも、あと何名で100人になるぞなんてやっていたときが一番危ない。それで滅びたところがたくさんある」

先送りがもらたすもの

安倍派の現在の勢力は97人。(8月1日時点)
くしくも森が指摘した100人が目前に迫る勢力に拡大し、他派閥を圧倒する規模だ。

これまでは安倍が総理大臣や派閥会長として存在感を示すことで、求心力を保っていた面は否定できない。
「安倍さんがいるから派閥に入った」という議員も少なからずいる。
このため、安倍に代わるリーダーが見いだせない中、派内からは分裂を危惧する声が絶えない。

「今は誰も派閥会長になる準備ができていないだけだ。将来的には、誰かがなろうと考えた時に派は必ず割れると思う」(派閥幹部)

誰かがトップに立とう動き始めた時、それに付いていけない議員が現れるという見方だ。

今後、安倍派をどうまとめていくのか。
会長代理の1人で、派閥のとりまとめ役を担うことになった塩谷に聞いた。

塩谷立

「これまでは安倍さんのリーダーシップにみんなが頼ってきたが、これからは一人一人が力を発揮して協力するしかない。一致結束できなければ、派閥としての力も発揮できず、みんなで相談しながら運営していくことになる」

また、現体制の維持を決めた派閥運営については、9月27日に行われる安倍の国葬がひとつの節目となると語り、その後は何らかの動きが出てくる可能性も否定できないという見方を示した。一方で、後継の会長を選び出すには時間がかかるとの見通しも示した。

「(9月の)人事や国葬が、ひとつの区切りになるかとは思っている。
今の段階では、誰もが派閥会長として覚悟を持って、この大派閥をまとめるというところまでいっていない。いずれ次のリーダーを決める段階になってもらわなければ困るし、それはみんなが望んでいる。トップを目指す人たちにいかに頑張って努力してもらうかだ」

政権運営に与える影響は

最大派閥の勢力を背景に、安倍は、積極財政や防衛費の増額といった政策面、さらには人事面で総理大臣の岸田文雄にたびたび直言してきた。

安倍晋三と岸田文雄

見方を変えれば、安倍は、経済政策をめぐる積極財政派や安全保障政策をめぐる保守層など、「安倍路線」に同調する勢力と岸田政権とのクッションになる役割を担っていたとも言える。
保守の要を失い、今後、政策の遂行にあたっては、岸田自身が矢面に立ち、手腕が問われる場面が増えるという見方は多い。

一方で、党内に目を向けると、各派閥は人事や政策で少しでも優位に立とうと勢力の拡大を常に目指している。
他の派閥は、安倍派が本当にまとまることができるのか、誰が次のトップに立つのか、その動向を固唾をのんで見守っている。

当面、焦点となるのは、9月にも予想される内閣改造と党役員人事だ。
安倍は生前、派閥会長として来たるべき人事に強いこだわりを見せていた。

「安倍派の勢力を考えれば、党四役できちんと処遇してもらうことはもちろんだが、閣僚は現在の4人でなく、少なくとも5人が必要だ」と話していた。
さらに、入閣は誰が適当か、具体的な人選も披れきしていた。

党執行部の中からは「岸田総理は安倍派に配慮を示し、政権安定の道をとるだろう」という見方をする声が多い。仮に安倍派側が軽んじられたと受け止められる人事となれば、強く反発する議員が現れ、党内対立の火種にもなりかねない。

安倍派会長代理の下村は、通夜が行われた日、テレビ番組で強く岸田をけん制した。
「岸田さんはリベラル系で、自民党のコアの保守の人たちを安倍さんや清和研がつかんでいた。それを疎んじるようなことになってきたとしたら、保守の人たちが自民党から逃げるかもしれない。人事を配慮してもらう必要がある」

安倍亡き後の安倍派の動向と行方は、岸田の今後の政権運営にも大きな影響を与えることになりそうだ。
(文中敬称略)

政治部記者
森田あゆ美
2004年入局。神戸局などを経て政治部。自民党安倍派担当。趣味は今は行けないが海外旅行。