森ゆうこはなぜ負けた
野党の急先鋒 国会を去る

7月10日の参議院選挙。勝敗のカギを握る全国に32ある定員1の「1人区」で、自民党が28の議席を獲得し大勝を収めた。

前回、前々回と2回続けて野党側が、自民党を抑えてきた新潟選挙区でも、立憲民主党の森ゆうこ(66)が自民党の新人に6万8000票余りの差をつけられ、敗れ去った。
党の参議院幹事長も務め、抜群の知名度を誇った森はなぜ負けたのか?
(山田剛史、野口恭平)

大差での敗北

7月10日午後9時29分。
NHKが新潟選挙区で自民党の新人、小林一大(49)の当選確実を伝えると、森の支持者が集まったホテルの一室は静まり返った。

定数削減で「1人区」となった6年前、森は事実上の野党統一候補として自民党の現職に挑み、わずか2279票差で勝利を収めた。

ところが今回は一転、自民党の新人に6万8930票の差をつけられ、一敗地に塗れた。

森は悲痛な表情で集まった支持者に謝罪した。

残念ながら、この壮絶な権力との戦いということで守り切ることができませんでした。
これはすべて私の責任であり、力不足であります。非常に重い責任を果たせなかったこと、みなさま本当に申し訳ありませんでした

前触れは知事選に

前触れは参議院選挙の直前、5月に行われた新潟県知事選挙にあった。

知事選では自民党と国民民主党、連合が現職の花角英世を支援する一方、共産党と社民党は対立候補の新人を支援。立憲民主党は特定の候補を支援せず「自主投票」とし、野党内で対応が分かれた。
共産党との連携に否定的な連合に配慮しつつ、共産党と社民党の顔も立てる。立憲民主党が置かれた微妙な立場がそこに映し出されていた。

森は対立候補の支援を選んだ。
この動きが自分にとってプラスになるかマイナスになるか分からない
そんな複雑な思いも抱いていたが、自身が改選を迎える参院選を目前に控え、共産党との連携を深めたいという思惑があったのは明らかだった。

しかし、結果は森からすれば目を覆わんばかりのものだった。森が支えた候補は現職の花角にトリプルスコアの差をつけられる大敗を喫した。
対する自民党。参院選を見据え、知事選で「野党分断」を狙い、その効果に強い手応えを感じていた。

「新潟モデル」の成功体験

新潟県では、野党各党の間で「新潟モデル」とも呼ばれる選挙協力体制が築かれていた。その核心は共産党を含め、野党が結束して選挙に臨むことだった。

事の始まりは2016年、議席を失っていた森が無所属で参院選に挑んだ時に遡る。旧民進党や共産党、社民党などが森を支えて自民党の現職に競り勝ち、それは強烈な成功体験として野党各党の記憶に刻まれた。

その秋の知事選、2019年の参院選でも野党統一候補が勝利を収め、「新潟モデル」は確立されていった。

社民党県連合の幹事長、渡辺英明はこう振り返る。
共産党も含め、『自分たちの候補だ』という意識で活動を進めた。勝利は自信につながっていった。その始まりの森はある意味で野党共闘の象徴だ

軋む野党連携

共産党との連携に否定的な連合、そして従来から森の選挙を支えてきた共産党。両者から支援を得たいと考えた森は、自身の選挙を取りしきる組織を2つに分けた。立憲民主党県連と連合新潟が参加する「合同選対」、そして共産党県委員会や社民党県連合なども参加する「野党連絡調整会議」だ。


参院選の公示まで2週間余りとなった6月4日。合同選対の会議後、立憲民主党県連の代表を務める菊田真紀子は選挙運動の方針について次のように語った。
菊田
連合との合同選対で方針を決め、野党連絡調整会議に方針を伝える。あくまで合同選対が中心になる

知事選での大敗を踏まえ、連合新潟により重きを置こうという姿勢を示す発言は瞬く間に野党内にさざ波を引き起こし、共産党や社民党の反発を招いた。
社民党関係者
6年前の参議院選挙は森が無所属だったので、各党による連絡調整会議が運動方針を正式に決定して、連合新潟に落とし込むという流れで、お互いの意見を聞いていた。菊田の発言は『手足になれ』と私たちに言っているのも同然だ

さらに共産党の不満に拍車をかける出来事が起こった。

6月12日。共産党委員長の志位和夫が街頭演説のため新潟市を訪れた際、そこに森の姿はなかった。
森は「日程が合わなかった」と説明したが、関係者によると連合に配慮した行動だったという。

街頭演説後、志位は記者団の取材に冷静に答えた。
志位
非礼だとは考えない。それぞれ日程があって動いている。新潟では野党共闘によって参議院選挙で勝ち続けてきた。立場の違いはあってもリスペクトし合いながら協力するという姿勢で私たちは頑張っていく

だが、共産党県委員会の幹部は不安を口にしていた。党トップの街頭演説に森が姿を見せなかったことはある種のメッセージとして党員や支援者に受けとられかねないからだ。
共産党県委員会幹部
特に熱心に活動している共産党員のやる気が落ちた。『私たちは一生懸命、森を支援しているのになぜ森は来なかったのか』と。森への思いが無くなるとポスティングなどの活動が減る

謝罪、そして…

5日後の6月17日。
こうした状況に危機感を覚えた立憲民主党県連の幹部は、共産党県委員会や社民党県連合の幹部と水面下で接触を図った。新潟市中央区のビルの一室に集まった約30人を前に森と菊田は謝罪の言葉を口にした。

連合を大事にして我々を無視するのか
そう詰め寄られた森は「いろいろあって私もつらい」と釈明したという。
そして、「合同選対」と「野党連絡調整会議」を同列と位置づけ、互いの意見を尊重しながら運動を進めていくと繰り返し説明した。
出席者
森は恩を感じてしっかり返そうとする人だから今の状況を悲しんでいるのだと思った。具体的な理由は言わなかったが、連合新潟への配慮というのは明らかで、森が苦しんでいるのも分かるから同情的な雰囲気になった

立憲民主党、共産党、社民党の3党が連携して選挙に臨むことを確認したが、しこりは残ったままだった。

一方、野党の一角を占める国民民主党県連はこうした動きと一線を画した。「自民党を利さず、共産党を含む連携には加わらない」として、事実上の自主投票を決めた。
自民党の新人候補を支援しないが、森も支援しない」、国民民主党はそう宣言したのだった。
電力会社の労働組合から支援を受ける国民民主党。県連幹部の1人は「森は国民民主党を出て行って、『原発ゼロ』を掲げる立憲民主党に合流した。共産党との関係も近く、支援は難しい」と話していた。

ギクシャクする野党3党の連携に、独自色を強める国民民主党。
「新潟モデル」の崩壊は止められなかった。

いざ選挙戦も

選挙戦が始まると森は多い時には1日に約50か所で街頭演説を展開。強みである「足で票を稼ぐ戦術」を徹底した。
しかし、野党の足並みの乱れは目に見える形であらわれた。

選挙戦の序盤、陣営の関係者は不安を漏らしていた。
陣営関係者
前回の選挙では共産党やボランティアが1日20人ほど集まってビラ配りや電話かけを行ってくれた。でも今回は5人くらいしか来ない。街頭演説の動員でもなかなか集まってくれない。共産党県委員会と社民党県連合の幹部は票固めに動いてくれているが、実際の運動量は少なくなっている

選挙戦最後の日曜日となった7月3日。
新潟駅前で行われた森の街頭演説には約1000人が集まり、県選出の野党系の国会議員全員が顔を揃えた。

支援の輪を広げようと、連合新潟の幹部や野党系の県議会議員が手を取り合って選挙カーの上に並ぶ中、連合新潟と共産党双方への配慮がにじんだ。
森陣営関係者
交代で選挙カーに上ってもらうことで、連合新潟と共産党は並ばないようにした。応援弁士を紹介する垂れ幕に党名を書かなかった。『立憲民主党』と『共産党』が並ぶのを避けるためだ。勝つためには野党の団結が必要で工夫をするしかない

自民党に議席を明け渡す事態は何としても避けたい。その1点でまとまりたい。しかし…

連合新潟の幹部は苦しい胸の内を吐露していた。
連合新潟 幹部
連合新潟と立憲民主党だけでは手が足りない。勝つためには共産党も含めて野党でまとまる必要があるのは現実的に分かっている。ただ、どこまで出来るのか、ギリギリのラインを探らないと傘下の労働組合のメンバーに説明がつかない。こっちも苦慮しているんだ

異例の最後の訴え

一方、森に挑んだ自民党。

大きな悲しみもありました。絶対に忘れることができない選挙となりました。だからこそこの新潟選挙区、負けるわけにはいかない

選挙戦最終日の7月9日の午後7時過ぎ。新潟市中心部の繁華街に、拳を振り上げて熱く訴える自民党総裁の岸田文雄の姿があった。集まった約4000人(※陣営発表)の聴衆からは割れんばかりの拍手が沸き上がっていた。

岸田は選挙戦の締めくくりとなる場所として新潟を選んだ。東京・秋葉原が定番となっていた自民党総裁の「マイク納め」。地方で行うのは極めて異例で、自民党が新潟の勝敗に強くこだわっていたことを象徴する場面となった。

去年の衆院選で自民党は新潟県内6つの小選挙区のうち、議席を確保したのはわずか2つ。参院選では前々回、前回と連敗し、結党以来守り続けた新潟での議席を失った。議席奪還は何が何でも成し遂げなければならない最重要目標だった。

連日のように閣僚、党幹部などを送り込む一方、演説会場では「投票に行こう」などと書かれたフリップを手にした支援者がずらりと並び、道行く有権者に訴えた。「これまでに無いほどの活発な運動」(自民党関係者)は、与党の支持層を着実に固めるとともに、無党派層へも徐々に浸透していった。

森に始まり、森に終わる

ふたを開ければ新潟県内37市区町村のうち36で自民党の小林が制し、森を完全に打ち負かした。

議席を失った夜、森ゆうこは、言葉を絞り出すように語った。
野党が1つにまとまるまで少し時間はかかったが、皆さんに結集してもらって、これ以上ない運動を展開していただいた。勝利できれば最高だったが結果を出せなかったのは私の責任。力不足以外の何物でもないと思っている

今後の政治活動については「今は頭が真っ白で考えられない」とだけ語り、支持者が集まった会場を後にした。

立憲民主党県連代表の菊田真紀子は野党連携のあり方を見直すのか記者団から問われると、次のように話した。
菊田
あれだけ高い組織力と資金力、そして圧倒的に高い支持率を持つ自民党と一騎打ちをする上で野党が力を合わせないとスタートラインにすら並べない。無党派層や自民党の支持層にも食い込むような活動をしないと勝利には到達できない

連合新潟会長の牧野茂夫は、選挙のあと、NHKのインタビューに応じた。
牧野
6年前と形は変わっているが、今回は立憲民主党公認だったため県連にもしっかりとした形で選挙戦を進めるようお願いしたし、間違ってはいなかったと思う。今後の野党共闘については政党間でしっかりとした協議を行ってほしい

そして、次のように奮起を促した。
立憲民主党はしっかりとした地方組織を作りきれていない。全県規模の選挙になると人員が足りていない。来年の統一地方選挙では立憲民主党、国民民主党の地方議員を当選させないと、いつまでもこういう状況を抜け出せない

一方、共産党県委員長の樋󠄀渡士自夫は、こう話す。
樋󠄀
党の支持者の森への支持は固めたものの、周りへ広げようとする熱量は低かったと言わざるを得ない。最後の1週間は一体感が出たが、野党間の協力がもっと早ければ違う結果が出たのではないか。野党の一体感を出して無党派層まで広げないといけないがそれが出来なかった

投開票日の翌日、立憲民主党県連の関係者がふと口にした言葉が象徴的だった。
連合もよくやってくれたが1番の敗因は野党共闘が崩れたことだ。これだけ差がついたことがその証明だ。新潟の野党共闘は『森に始まり、森に終わる』。これは1つの転換点なのかもしれない

戦いは終わった。同時に新たな戦いへの号砲が鳴らされた。
新潟の野党はどこに向かうのか。
これからも現場の息づかいを取材し、伝えていきたい。
(文中敬称略)

新潟局山田剛史記者
新潟局記者
山田 剛史
2018年入局。新潟局初任地の九州男児。好物は馬刺し・お米。
新潟局野口恭平記者
新潟局記者
野口 恭平
2008年入局。徳島局、経済部を経て2020年より新潟局。