変わる「比例代表候補」の集票力 その参院選候補者の実像とは

全国比例の候補者

参議院選挙の比例代表は、政党名と候補者名の、どちらでも投票できる仕組みで、個人名を多く書いてもらった順に当選者が決まっていく。
当選を目指す候補者からすれば、いかに自分の名前を多くの人に書いてもらえるかが勝負。
職域団体や労働組合といった組織の代表として国政参加を目指す「組織内候補」も多い。
当事者以外には見えにくい比例代表の選挙戦。自民党から立候補した3人に密着すると、時代を映した状況が見えてきた。
(柳生寛吾、山田康博、並木幸一)

【リンク】参議院選挙の「選挙区」と「比例代表」の仕組みはこちら

薄氷の勝利 意地見せた医師会

日本医師会の政治団体、日本医師連盟の「組織内候補」である自見英子(はなこ)。

日本医師連盟の「組織内候補」である自見英子(じみはなこ)
自民党が比例代表で獲得した18議席のうち、上位8番目(特定枠の2人を含む)で2回目の当選を果たした。
みずからも小児科医である自見。
再選の喜びとは裏腹に今回の選挙はかなり苦戦し、薄氷の勝利だったと振り返る。
全国の開業医や勤務医およそ17万人が加入する巨大組織である日本医師会を背景にしながらも、なぜ苦戦したのか。

「皆さんの代表として国会に送り返していただきたい」

選挙公示2日後の6月24日。
自見の姿は東京・有楽町の東京国際フォーラムにあった。

1300人が駆け付けた決起大会
1300人が駆け付けた自見の決起大会。
壇上には日本医師会の幹部に加え、自民党で社会保障政策に強い影響力を持った元衆議院議長の伊吹文明や、元厚生労働大臣の田村憲久らが並んだ。

「かなりの出遅れ感が否めない」
「まだ支援は十分ではない。さらに上乗せしないといけない」

医師会の幹部からは危機感を示す訴えが続いた。

自見を支援する日本医師会は、大正5年に設立された前身の「大日本医師会」から数えて100年以上の歴史を持ち、政治とは切っても切れない関係にある。
例えば、医療機関に支払われる公的価格の「診療報酬」がその典型だ。

通常2年に1度(薬価は毎年)の診療報酬の改定にあたっては、報酬をできるだけ抑えたい健康保険組合などと、報酬を確保したい医師会側などとの間で、政府・与党を巻き込んだ激しい交渉が繰り広げられる。

そして、時の総理大臣も含めた「政治決着」で、報酬の増減が決まるとされている。

医師会は自分たちの主張を政治に届けようと、昭和49年の参院選から自民党の「組織内候補」として擁立し、国会に送り出している。

医師会の「組織内候補」の得票は、前回まで3回連続で減り続けていて、これが自見の危機感につながっていた。

「組織内候補」の得票は、前回まで3回連続で減少
得票が減っている理由として医師会関係者は、医師会以外にも、看護や介護、歯科医師など医療系の団体が、それぞれ候補者を擁立するようになったためだと指摘する。
医師会が必ずしも医療界の代表とはみなされず、今回の選挙では7つの医療系団体が組織内候補を擁立し、乱立模様となった。

また、ことし春の新型コロナの第6波や、このところの感染の急拡大を受けて、医療現場はコロナ対応に追われ、「選挙どころでない」という声も聞かれていた。

さらに、医師会と自民党との微妙な関係も、選挙に影響を与えていた。

6月まで日本医師会の会長を務めた中川俊男は、時には政権に対して“モノを言う会長”として知られていた。

日本医師会の会長を務めた中川俊男

新型コロナ対応では、政府を挙げて取り組んだ東京オリンピック・パラリンピックの開催にあたり、医療崩壊が起こることに懸念を示して、緊急事態宣言の発出を求めたほか、「Go Toトラベル」と感染との関係について「間違いなく十分に関与している」と述べるなど、政府への苦言ともとれる発言を繰り返してきた。

このため、自民党内からは「中川は政権の足を引っ張っている」という見方も出て、自見は医師会と党との板挟みにあっていた。

日本医師会の会長選挙
そして、集中して支持固めをしなければならない参院選の期間中に日本医師会の会長選挙が行われることになり、自見の体制づくりは遅れが生じていた。

これを挽回するため、自見は前回以上に取り組みを進めた。
組織内候補を擁立していない医師会以外の医療系団体からも初めて推薦をもらったほか、これまで縁が薄かった産婦人科医などとも交流を深め、支援してくれる医師を増やした。

父親で元郵政大臣の自見庄三郎と

さらに、地元の福岡を拠点に活動を強化し、父親で元郵政大臣の自見庄三郎と並んで活動するなど、医師会以外にも支援を広げようと選挙戦を展開した。

その結果、医師連盟が支援した組織内候補としては前回を6万票ほど上回り当選を果たした。

医療系組織内候補の得票は自見がトップ

自見は、厳しい選挙だったと振り返りつつ、業界の事情に通じた組織内候補として当選する意味はあると語る。
「コロナ対応にしても専門用語がわからないと何もできないし、役所よりも詳しい議員がいないといけない。ただ、今回の結果は組織票だけでは到底届かなかった票数で、多くの一般有権者の支援があった。組織のためではなく、国民一人一人のための医療や子ども政策を行うことを忘れてはならない」

遺族会は議席守れず

終戦から77年となることしの参院選では、戦没者の遺族が支えてきた議席が失われた。
主に太平洋戦争で亡くなった戦没者の遺族らでつくる日本遺族会の政治団体は、現職の水落敏栄を「組織内候補」として擁立し、4回目の当選を目指したが、かなわなかった。

演説する水落敏栄
自民党の比例代表の獲得議席は18議席。水落は上から23番目で涙を飲んだ。
前身の「日本遺族厚生連盟」が昭和25年の参院選で「組織内候補」を当選させて以来、議席を保ってきたが、今回で途絶えた。

自身の父親を空襲で亡くした水落は、日本遺族会の会長も務めている。

総理大臣を務めた橋本龍太郎と、自民党元幹事長の古賀誠

日本遺族会の会長は、総理大臣を務めた橋本龍太郎や、自民党元幹事長の古賀誠など実力者が務めてきた。
しかし、6年前の選挙での水落の得票は11万4485票。
自民党が獲得した比例代表の19議席のうち、下から2番目の18位での辛勝だった。

水落自身、今回は立候補を見送ることも考えたが、「次世代につなぐ議席を残したい」と決心したという。
「ウクライナでは、地下道で何万人もの人が、着るものがなく食べるものがなく赤ちゃんのミルクもない状況で苦しんでいる。戦争ほど悲惨なものはなく、日本で悲惨な戦争が人々から忘れ去られようとしている中、平和を訴えていきたい」

今回の選挙で水落は、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、改めて平和の大切さを訴えの中心に据えた。
ただ、戦争遺児の平均年齢は80歳を超えている。
遺族会の会員も年々減り、新型コロナでの外出自粛の影響もあり、水落の選挙準備は遅れていた。
そのため、選挙戦終盤で水落は、遺族会の会員以外での支持を固めようと出身地の新潟に張り付いて活動を強化した。
自身が所属する自民党岸田派ナンバー2で外務大臣の林芳正に応援を依頼。
得票の上積みを図った。

林芳正外務大臣の応援
「ロシアによるウクライナ侵略の中で、平和を守ることが、いまほどこの言葉が身にしみることはない。水落さんの大きな力を世界の平和のために使って頂けるかは、みなさんにかかっている」

選挙期間中、連日の猛暑。
79歳の水落にとって厳しい環境の中、最後の力を振り絞って追い上げを図ったものの、及ばなかった。
水落は選挙のあと、遺族会が議席を失ったことは戦後の1つの節目だと指摘した。
「組織の高齢化を感じた選挙の結果だった。各地で集会を開いて支持の拡大をお願いしても、6年前ほど広がっていく実感は得られなかった。私が国会議員でなくなっても、戦争の悲惨さを次の世代につなぐ政治をどうにか続けて欲しい」

新たな支持層獲得へ

今回の選挙で、自民党トップの52万8053票を獲得したのが、漫画家の赤松健だ。

漫画家の赤松健
「ラブひな」や「魔法先生ネギま!」といったヒット作を世に送り出し、コミックスの累計発行部数は5000万部を超えるヒットメーカーで、全国を駆けめぐった選挙カーには、みずからのマンガのキャラクターが全面に描かれた。

選挙カーにはマンガ

赤松は選挙戦で、マンガやアニメなどが過度に規制されず、豊かな創作活動ができる社会の実現を訴えるとともに、日本文化の海外輸出や海賊版対策の強化を与党の立場から実現したいと強調した。
「私が重要視していくのは何と言っても表現の自由。クリエーターが創作活動しやすい環境づくりを実現し、表現の自由を守って著作権を有効活用していく」

作業する赤松
赤松は日本漫画家協会の常務理事を務め、政治との関わりを持ってきた。
その1つが平成26年に成立した改正児童ポルノ法だ。
当初、自民・公明両党や日本維新の会が共同で提出した改正案には、「マンガやアニメなどが児童の権利侵害にどう影響を及ぼすかについて調査し、必要な措置をとる」という内容が盛り込まれ、これが表現の自由の制限につながるのではないかとの懸念が広がった。

赤松は、仲間の漫画家などとともに法務大臣や野党の代表らのもとを訪れ、表現の自由の重要性を訴えた。
その後、与野党の協議を経て、懸念された文言は条文から削除された。
赤松はこの時、クリエーターにとって重要な表現の自由が政治によって制限されかねないという経験をした。
それが今回、国会議員を目指すきっかけの1つになった。

特定の組織や団体の支援がない赤松の選挙戦は、若者やマンガが好きな層に投票を呼びかけることが柱となった。

街頭演説は東京・秋葉原や大阪・日本橋など、アニメやマンガの聖地と呼ばれる場所を中心に行った。
また、党内でもネットやSNSの事情通として知られる参議院議員・山田太郎の協力も得て戦略を練った。

ボランティアのSNS投稿の様子

ボランティアのスタッフが、写真や動画を編集し、SNSに投稿。

候補者におなじみの事務所の「ため書き」も、ネットで送れる「電子ため書き」を活用し、支援の輪を広げた。
赤松のツイッターのフォロワーは20万を数えるまでに至った。

電子ため書き

参議院議員になる赤松は、表現の自由を重視する自民党内の議員と連携していくつもりだ。
「なぜ日本で多様で豊かなマンガやアニメが生まれてきたかといえば、それは表現の自由が保障されているからであり、守っていきたい。マンガを使って国会の議論を紹介することで、楽しくてみんなが参加できる政治を目指していきたい」

議員として結果出せるか

今回の参院選でも、多くの「組織内候補」や業界を代表する候補者が当選を果たした。
ただ、憲法では国会議員は「全国民を代表する」と規定されている。
組織出身の参議院議員は、専門性を生かしつつ組織や団体、特定の年代に偏らない活動があわせて求められる。
良識の府と言われる参議院にふさわしい活動をしていくのか、注目していきたい。

(文中敬称略)

【リンク】参議院選挙の結果はこちらのNHK特設サイトから

政治部記者
柳生 寛吾
2012年入局。長崎局を経て政治部。これまで官邸や総務省などを取材し、現在、参議院自民党を担当。今回は自見候補を取材。
政治部記者
山田 康博
2012年入局。京都局を経て政治部。これまで法務省や公明党などを取材し、現在、自民党岸田派を担当。今回は水落候補を取材。
政治部記者
並木 幸一
2011年入局。山口局を経て政治部。これまで立憲民主党などを取材し、現在、自民党茂木派を担当。今回は赤松候補を取材。