玉城と佐喜真 どちらを

翁長知事の突然の死去。沖縄県は、今月13日告示、30日投票の日程で知事選挙を迎える。
翁長知事を支持してきた勢力が支援する自由党の玉城デニー幹事長と、自民・公明・維新の各党が支援する佐喜真淳 前宜野湾市長が対決する構図だ。激戦を予感させる現地の今をリポートする。
(沖縄局 瀧川学 堀之内公彦/報道局選挙プロジェクト 仲秀和)

玉城氏 後継候補として

先月29日。立候補表明の記者会見に臨んだ玉城デニー氏は、冒頭こう切り出した。
「はいさい、ぐすーよーちゅーうがなびら(こんにちは、みなさんご機嫌いかがですか)」
会場に選んだ那覇市のホテルは、翁長前知事の自宅のすぐ裏手。
発言の要所で、うちなーぐち(沖縄方言)を使うスタイルは、翁長氏に重なる。

壇上、玉城氏の隣の空席には、辺野古の海をイメージしたという翁長氏のマリンブルーの帽子が置かれていた。

「揺らぐことのない決意がいつも県民とともにあることを最期の瞬間まで命がけで発信し続けた翁長知事。その強さ、優しさ、沖縄への愛情は、ここにいる私の背中を押してくれている」

「弔い合戦だ」。陣営の関係者から何度もその言葉を聞いた。

そして、玉城氏は翁長氏の最大のライフワークについて、こう明言した。
「しっかりと翁長知事の遺志を引き継ぎ、『辺野古新基地建設』阻止の立場であることを表明する」

突然、もたらされた情報

「玉城氏擁立」は急転直下の出来事だった。

翁長県政を支えてきた、共産党や社民党、それに保守系の企業などで作る、いわゆる「オール沖縄」。
今年5月、翁長氏がすい臓がんであることを告白すると、次の選挙も戦えるのか、気をもむ向きもあった。

しかし、「翁長氏以外の選択肢は考えられない」

こうした中でのリーダーの死去は激震以外の何ものでもなかった。

後継選びの行方に関係者が焦りを感じ始めていた矢先。ある情報がもたらされた。翁長氏が生前、後継候補に期待する人物として、玉城氏の名前を挙げていたとされる音声データがある、という話だった。

玉城氏は翁長氏とは特別、親しい間柄という訳ではなかったという。
「音声データが本当にあるのか?」
疑問視する指摘もあったが、一気に傾いた流れは変わらなかった。
「翁長氏の遺志」は、政治的な距離を乗り越えて結成された「オール沖縄」をつなぎとめる「切り札」だったからに他ならない。

政権と対決、結束を

実際、「オール沖縄」では、今年に入って、不協和音が目立っていた。これまで支えてきた有力企業の中に、距離を置くようになったところもある。保守系の関係者からは、一部の革新勢力が前面に立ちすぎると反発が出ていた。
「まとまりを欠いた、バラバラの状況では『オール沖縄』とは言えない。看板を下ろしたらどうか」

「保守・中道」の立場を掲げ、日米安保容認を明言する玉城氏が後継候補となったことで、オール沖縄の最大の特徴である「ウイングの広さ」が維持できたと安堵する関係者は多い。

玉城氏は、いまの政権との対決姿勢を鮮明にして、結束を呼びかける。
「基地と経済振興をからませて揺さぶり、県民の中に対立と分断を持ち込もうとしている。従来の東京とのパイプを強調する時代から、いまや沖縄の存在感と可能性は格段にあがっている」

「戦後沖縄の象徴的存在」

陣営が期待するのが、玉城氏の知名度だ。タレントとして、地元ラジオの帯番組でDJを務めた。
当時30~40代。同じ世代は、あまり使わなくなった「うちなーぐち」を駆使して、おじい・おばあに親しまれたという。

父親は、沖縄のアメリカ兵。「デニー」というカタカナ名も、そこに由来する。
「アメリカ人の父を持ち、日本人の母を持つ私は、戦後沖縄の象徴的存在であるかもしれません」

佐喜真氏「対立から対話へ」

佐喜真淳氏が、演説などでいつも口にする言葉がある。
「対立から対話へ」

基地問題をめぐる県と国の対立が深まった結果、政府との対話の窓口が閉ざされ、振興予算の減額が続いた。市民生活にまで支障が出ている状況を目の当たりにしてきた、と佐喜真氏。

「いちゃりばちょーでー」(一度会えば皆兄弟)の精神こそ、沖縄らしさだと訴え、県民が一体となることや、政府とも対話を通じて、一緒に沖縄の将来を描いていきたいと語りかける。

「県民の暮らし最優先」

「何よりも重要なのは県民の暮らしだ。豊かで明るい沖縄をともに築いていこう」
今月3日。政策発表のための記者会見で、佐喜真氏は力を込めた。

パンフレットには、「県民所得300万円の実現」、「子どもの貧困撲滅」、「保育・給食費・医療費の無償化」など、生活に身近な項目が並ぶ。

翁長氏の突然の死去は、佐喜真氏の陣営にも、少なからず衝撃を与えた。
情に厚い島の人たち。翁長県政との全面対決を想定していた当初の戦略通りでいいものか。

「翁長知事に恥じない政治を作っていくことが、残された私たちの責任だ」
佐喜真氏は、周囲にこう語り、かつては、自民党の重鎮として指導も受けた先輩政治家に敬意を示した。

狙いは名護市長選挙の再現

今回の選挙、自民・公明・維新の各党は、そろって佐喜真氏を推薦。得意の組織戦を展開する構えだ。
3党の協力体制は、今年2月の名護市長選挙、3月の石垣市長選挙、4月の沖縄市長選挙と、立て続けに成果を上げた。とりわけ、普天間基地の移設先、辺野古を抱える名護市長選挙は、移設に反対してきた当時の現職を破って勝利。翁長県政に、大きな衝撃を与えた。陣営幹部も「県知事選挙に向けた必勝パターンができた」と自信をのぞかせる。

中でも、前回の知事選挙では自主投票だった公明党の集票力にかかる期待は大きい。去年の衆議院選挙では、比例代表で、自民党に次ぐ10万8600票余りを獲得。得票率は17%を超えた。
すでに、多くの国会議員や地方議員が、関係する企業や団体などに支持を呼びかけていることが話題となっている。

今回、佐喜真氏は、辺野古への移設について、賛否を明言していない。「辺野古の埋め立て承認の撤回をめぐる国と県との法廷闘争の動きを見守る」という立場だ。移設に反対している公明党県本部への配慮もあるが、陣営幹部は、県民世論の複雑さを踏まえたスタンスだと解説する。
「県民は誰もが『基地はないに越したことはない』と思っている。しかし、県民生活を置き去りにすることは誰も望んでいない。『辺野古反対』だけの沖縄ではいけないと考える層は多い」。

普天間基地を見続けて

佐喜真氏は、生まれも育ちも宜野湾市。長年、街のど真ん中にある普天間基地と向き合ってきた。

普天間基地の返還合意から22年。しかし、基地が閉鎖されるメドは立っていない。
去年12月には小学校のグラウンドに、アメリカ軍のヘリコプターから窓が落下する事故もあった。不安におびえる市民の姿を、誰よりも近くで見てきたと自負している。

先月、市長を退任する際、佐喜真氏は神妙な表情で語った。
「普天間基地の返還が実現できなかったことは残念で、市民の皆様に申し訳なく思う。これからも1日も早い実現に取り組みたい」

いまの沖縄は…

リゾート地としての魅力にあふれる沖縄は、近年、海外からの観光客が増加の一途。去年一年間に訪れた人は、およそ940万人。5年連続で過去最高を更新した。

多くの地方自治体が人口減少に悩む中で、県の人口増加率は全国トップクラス。年齢別に見ると15歳未満の割合が全国最高となっているなど、国全体と比べると、「若い県」であることが特徴だ。

一方で、県民所得や最低賃金は全国でも最低クラスの状況が続く。宿泊業やサービス業など第三次産業が8割余りを占め、非正規雇用の割合も高くなっている。

そして、沖縄戦から73年がたった今も、在日アメリカ軍の専用施設のおよそ7割が、沖縄に集中している現状がある。

今度の知事は、その任期中に、本土復帰から50年の節目を迎える。
戦後日本の中で、とりわけ特別な歴史を歩んできた沖縄県。未来に向けた県民の選択に注目したい。

 

沖縄局記者
瀧川 学
平成18年入局。佐賀局、福岡局を経て報道局政治部。去年、沖縄局に赴任し、現在、県政キャップ。趣味はマラソン。
沖縄局記者
堀之内 公彦
平成20年入局。長野局、社会部警視庁担当を経て、去年、沖縄局に。現在、県政サブキャップ。趣味はサウナと水風呂。
報道局選挙プロジェクト記者
仲 秀和
平成21年入局。前橋局、首都圏センターを経て、選挙プロジェクトに。太平洋を見て育つ。