方領土に行ってみた

現場に行けない。記者にとってこれほどつらいことはない。
私はことし7月まで外務省担当の記者として、日本とロシアの北方領土をめぐる問題を取材してきた。しかし、現場である北方領土には行くことができない。ロシアに不法に占拠されているからだ。私は現場を見ることなしに外交交渉の空中戦を取材するもどかしさに悶々としていた。そんな私に突然、現地に行く機会が飛び込んできた。そこで目にしたものとは。
(国際部記者 辻浩平)

「お土産は買わないでください」

「興味があるなら行ってみないか」

きっかけは取材先からのひと言だった。北方領土の元島民などと現地に住むロシア人との交流事業に参加しないかというのだ。

政府などの支援で毎年行われている「ビザ無し交流」の訪問団として、私は国後島と色丹島を訪れることになった。

北方領土は日本固有の領土というのが政府の立場でありながら、簡単に行くことはできない。ロシアが不法に占拠し、通常、現地入りするためにはロシアのビザ(査証)を求められる。これはおよそ日本の立場と相いれないためだ。外務省の関係者に訪問することになったと伝えると、思わぬ言葉が返ってきた。

「お土産は買わないでくださいね」

冗談かと思っていると本気だと言う。その理由は日ロ両国の主権に深く根ざしていることを後々知ることになる。

4泊5日、船の旅

訪問団は元島民をはじめ政府や北方領土の返還運動の関係者など総勢61人。

北方領土の対岸にある根室港から船に乗り込む。

4泊5日、この船などで寝泊まりすることになる。私は3人の相部屋。2段ベッドで、船内には風呂もついている。目的地の国後島と色丹島まではおよそ3時間の船旅。思ったよりも近い。

「島での暮らしは豊かだった」

船内で最初に話を伺ったのが、元島民の山口千鶴子さん(82)。終戦直後まで歯舞群島の多楽島で暮らしていた。

9歳まで生活した千鶴子さんの島での記憶は驚くほど鮮明だ。
当時の暮らしを色鉛筆で描いたイラストを見せながら話してくれた。

昆布漁で生計を立てていた両親。
漁は一家総出で、千鶴子さんも手伝った。

「島での暮らしは豊かで、本当に楽しかった。まさにふるさと」

千鶴子さんとの出会いで、期待が高まる。上陸が待ちきれない。

上陸したら、そこはロシア

船が国後島に近づいてきた。
甲板から見る島は思ったより大きい。
それもそのはず、国後島は沖縄本島より大きいのだ。

ロシア国境警備局による上陸手続きを済ませ、日本製の中古車に乗り込んで島内を走ると車窓からはカラフルな建物の数々が目に入る。

はじめに案内されたのはここ数年で完成したばかりのスポーツ施設や幼稚園。

幼稚園には140人の園児が通っているが、ロシア政府の支援策で人口が増えているため待機児童までいるという。建設中の公共住宅もあちらこちらに目に付く。

インフラ整備が強化されているのは、北方四島の開発のために、ロシア政府が大規模な予算を投入してきた結果だ。千鶴子さんが話してくれた「ふるさと」はどこにも見当たらない。

「給料6倍になりました」

ロシア政府は北方四島に国民を移住させる政策も続けている。

獣医師のビクトル・コスタエフさん(37)は、政府の募集に応じてロシア中央部の町から7年前、家族と移住してきた。

驚いたのはその給料だ。
移住前に1万2000ルーブル(日本円でおよそ2万円)だった月給は7万5000ルーブル、実に6倍以上に増えたという。

ロシアのほかの地域と比べてもひときわ高く、コスタエフさんは所得増を実感していた。さらに、15年間住み続ければ、年金の支給開始年齢が5歳引き下がり、55歳から受け取れるという。

大胆な移住支援策を目の当たりにして、北方領土の「ロシア化」が着実に進んでいる現実を見せつけられた思いだった。

「日本に諦めさせる狙い」

訪問団を新しい施設に次々と案内するロシア側。

その狙いを同行した慶応大学の廣瀬陽子教授はこう解説する。

「ロシア側が見せたいところだけ見せている可能性もあり、うのみにはできないが、発展を見せつけることで、日本に領土返還を諦めさせる狙いがあるのではないか」

博物館は“嫌な場所”

「嫌ですよ。自分たちの島のようにふるまって」

温和な千鶴子さんが厳しい口調になったのは、地元の博物館を訪れた時だ。ロシア人職員が、島の動植物や、かつて住んでいた日本人の食器などの展示品を案内していた。

千鶴子さんの表情がみるみる曇っていく。
ふるさとの思い出がロシア人によって上書きされてしまう感覚なのだろうか。

千鶴子さん一家は終戦直後、着の身着のままで島をあとにしている。当時、北方領土で暮らしていた日本人は、およそ1万7000人。全員が強制的に島からの引き揚げを余儀なくされた。

「みんな不安でいっぱいだった」

突如としてふるさとを失った千鶴子さんの思い出話が頭をよぎる。

「島を引き渡す愚か者はいない」

島の返還について住民はどう思っているのか。

地元新聞社の編集長、セルゲイ・キセリョフさんに聞くと、「島を引き渡す愚か者はいない」とにべもない答え。

北方四島は長らくロシア(旧ソビエト連邦)政府から冷遇されてきたが、プーチン大統領のもとで政府による開発が進み、住民は領土の引き渡しにますます否定的になっているとの説明だった。

北方領土は“二重の世界”

北方領土で急速に進む「ロシア化」に対して、日本政府はどのように対応しているのか。

不法な占拠を認めないために、訪問団には細かい注意事項が与えられている。

▼携帯電話は使わない
(日本政府の許可なしに出しているロシア側の電波を拾ってしまうから)

▼行動は「東京時間」で
(現地のロシア人は2時間早い時差を使っているが、日本から見ればあくまで国内なので訪問団員は地元で使われている時間ではなく、「東京時間」を使う)

▼「入国」ではなく「入域」
(北方領土に入るにはロシアの国境警備局による手続きが必要になるが、あくまでも「入域」手続きであり「入国」手続きではない。)

北方四島はロシア政府が第2次世界大戦後に獲得した自国の一部だと主張し、70年以上占拠を続けている。一方、日本政府も四島は日本に帰属するという立場だ。

1つの現実に2つの対立する主張が存在する、いわば“二重の世界”が北方四島には広がっている。

冒頭で紹介した外務省関係者の「お土産を買わないで」という話も、金を使えば、北方領土でのロシア通貨ルーブルの流通を認め、ひいてはロシアによる占拠を追認してしまうという理由からだったのだ。

北方領土にも中国の影

訪問の最終目的地は色丹島だ。
海岸を歩いている時、地元のロシア人当局者が突然立ち止まって、地面を指さした。

「あそこに赤い目印が見えるか。あれが中国が設置した高速通信用の海底ケーブルだ」

2週間ほど前の話だという。日本政府は、北方領土で第三国の企業がロシアの法律に基づいて活動することを受け入れておらず、ロシア政府などに抗議もしている。

北方四島の中で、ロシアによる開発が後回しにされてきた色丹島。
そこにすら、ロシア主導による、中国企業はじめ第三国の手がじわじわと伸びているのだ。

「北方四島の返還は、手の届かないところまで来ているのかもしれない」

そんな思いを胸に、私は島をあとにした。

「日の丸と一緒に撮影してください」

船が色丹島を離れる際、雨と霧が続いた天候がわずかに晴れ間を見せたので、私は甲板に出て島の風景を撮影していた。

船尾には日の丸が掲げられている。
カメラを手にした千鶴子さんが、にこにこしながら近づいてきた。

「日の丸と一緒に撮影してください」

日の丸ごしの色丹島を背景に自分を撮影してほしいと言うのだ。
島が日本の領土だと思い起こしたいのかもしれない。

千鶴子さんはこう話してくれた。

「島が(事実上)ロシアのものになってしまっているのに、日本のように感じられたからですかね。なぜだかわかりませんが、ただ嬉しくて」

私は黙ってシャッターボタンを押し続けた。

北方領土返還の見通しは?

日本政府は領土問題を前に進める打開策を2年前に打ち出した。
日ロ首脳会談で合意した北方四島での共同経済活動だ。

海産物の養殖などを両国が共同で行う事業だが、その進捗は順調ではない。

上記の「二重の世界」がネックになっているためだ。
両国が主権を主張する北方領土では、一方の国の法律に基づいて共同経済活動を進めることはできない。相手国の主権を認めることにつながるからだ。

このため、両国の法的立場を害さない「特別な制度」のもとで行うとされているが、どの法律を適用するかは主権の根幹に関わるだけに両国ともに譲歩が難しいのだ。

打開策とされた共同経済活動の事業開始のめどは立たず、領土返還への道のりは先行きが見えないままだ。

取材を終えて

「お土産は買わないでくださいね」

取材の始めにかけられた主権をめぐるこの言葉が、領土問題の複雑さの象徴のように私の脳裏に残っている。

私は4年前まで中東のエルサレムで特派員として中東和平問題を取材していた。現地ではイスラエルによって70年前に住む土地を追われたパレスチナ難民の、帰ることができないふるさとへの思いを幾度となく耳にした。

占領が長引くほど既成事実化が進み、元の状態に戻すのは難しくなる。そんな構図が北方領土問題と重なっていると感じた。

北方領土の「ロシア化」は日に日に進んでいる。元島民の平均年齢はことし83歳を超えた。
残された時間は少ない。

国際部記者
辻 浩平
平成14年入局 鳥取局、エルサレム特派員、盛岡局、政治部外務省担当を経て、現在、国際部