現職市長が惨敗
衝撃の供託金没収

大惨敗、そして供託金の没収。
千葉県市川市で行われた市長選挙。

現職市長の2期目を目指す戦いが厳しいものになることは、取材を続けてきた私も予想していた。
紆余曲折の4年間だったからだ。
しかし、得票率が1割を切るとは誰が想像できただろうか。

「テスラ」と「シャワー」
この2つのキーワードに象徴された現職の市政運営と政治姿勢に市民は冷静な判断を下した。
(金子ひとみ)

「見誤った。反省しています」

現職の自治体の長が2期目を目指す選挙は、一般的には強いと言われる。
4年間の取り組みが形になり始め、知名度も定着してくる時期だからだ。

しかし、3月27日の市川市長選挙で、現職・村越祐民は大敗した。

当選したのは元衆議院議員の田中甲(65)。
村越は3番手だった。

得票率は9.9%。有効投票総数の10%に満たず、立候補にあたって国に預けた「供託金」の100万円は没収されることになった。
供託金はもともと候補者が乱立することを防ぐための制度で、現職が没収されるのは異例のことだ。

一夜明けて、市川市政の担当記者である私は、村越に連絡をとった。かなりショックを受けているのではないかと想像したが、予想外に村越は落ち着いた声で応じた。

サバサバしてます。きれいに一本取られましたね。前回、私に入れてくれた票がみんな上位2人に行った。それぐらい、『テスラ』と『シャワー』けしからんということなのでしょう。見誤った。反省しています。ここまで怒ってるとは思わなかったです」

「こちらからすると、実績は出してます、それを見てもらいたかった。でも、そこが争点ではなかった。けしからん市長をすげかえるということだった。田中さんには18年間負けたことなかったけど、今回で18年分一気に負けたんじゃないですか」

アメリカ・テスラ社の高級電気自動車を公用車に導入したことと、市長室にシャワー室を設置したこと。この2つの問題の影響の大きさを見誤ったことを、淡々と認めていた。

“18年分の負け”

市川市は、人口約49万人。東京に隣接し、都内に通勤・通学する「千葉都民」と呼ばれる人たちも多い。

村越はその市川市で1974年に生まれた。現在48歳。
千葉県議会議員を半年で辞め、29歳の時、衆議院議員選挙で千葉5区に当時の民主党公認で立候補して初当選。落選を経てあわせて2回務めた。前回2018年の市川市長選挙では、立憲民主党、共産党などから推薦を受け、激戦を制して、市川市長に就任。

2003年11月、初当選した衆院選で村越が争ったのが、今回、市川市長に当選した田中甲だ。村越は、当時、3期連続で衆議院議員に当選していた田中の4選を阻止した。2人は、その後も衆院選と前回の市川市長選挙で直接対決しているが、いずれも村越が勝った。

18年分一気に負けた」、田中に勝ち続けた村越にとって本当に大きな1敗となった。

「テスラ」と「シャワー」

そしてこの負けの大きな要因。それが、村越が「テスラ」と「シャワー」で招いた市政運営の混乱だった。

就任2年目の2019年7月。
村越は温暖化対策の一環として、燃料費と二酸化炭素の排出量が従来の3分の1に削減できるとして、アメリカ・テスラ社の電気自動車を新たに公用車に導入した。
市内のゴミ処理施設で記者会見を開いた村越は、この施設でバイオマス発電を行って生まれた電気を活用する構想を説明した。公約だった環境への取り組みをアピールする狙いだった。

しかし、市民の受け止めは違った。
導入した車は、扉がスポーツカーのように上に開く「ファルコンウイング」という珍しいタイプ。
高級車でリース料金は1か月で14万円とこれまでの2倍以上に上る。
公用車としてふさわしいのか」「国産の電気自動車でもよいのではないか」という批判が市民や市議会から相次いだ。ワイドショーの取材も殺到し、村越は結局、「政策判断は正しかったと思っているが、市議会からの申し入れを重く受け止める」として、導入から2か月後の9月、リース契約を解除する方針を示した。


さらに市政の混乱を招いたもう1つの要因が、去年、2021年2月に明るみに出た「シャワー」問題だった。

その前年の2020年10月、市長室のトイレの中にシャワー室を設置していたことが市議会の質問で明らかになった。工事費はおよそ360万円。庁舎内にはすでに3台のシャワーが設置されていたが、村越は「災害時、500人以上の職員が泊まり込んで対応するにあたって、3台では不十分。自分や職員の使用を想定し、必要であると判断した」と説明した。

このころ、大阪・池田市では当時の市長が市長室の中に家庭用サウナを持ち込んでいたことが話題になっていた。
再び村越のもとに報道機関からの取材が殺到し「西のサウナ、東のシャワー」と並び評された。市民からは「市川市のイメージが落ちた」と嘆く声もあがった。

市議会は「工事について説明がなく、受け入れられない」として撤去を求める決議案を可決したが、村越は「必要な施設だ」としてすぐには応じなかった。

2度目の決議案が可決されてようやく村越は撤去を決め、シャワー室は別の施設へ移された。

問題を問われるたびに、本人は「私心を持ってなにかをしたことは一度もない。それぞれ必要があると考えて導入した」と一貫して説明した。

「テスラ」も「シャワー」も、村越が4年間で取り組んだ数ある政策のほんの一部だ。
しかし、この2つをめぐる混乱は、今回の選挙戦の行方にも大きく影響を与えることになった。

村越市政の是非を問う

前回の市川市長選挙は村越を含む立候補した新人5人がいずれも得票数が当選に必要な「法定得票数」に届かず異例の再選挙が行われた。
今回の選挙で、立候補したのは、過去最多の6人。


また再選挙になるのでは」との臆測も飛んだが、実質、現職の村越、そしていずれも新人の田中甲、守屋貴子の3人の戦いになると見られた。

選挙は、村越市政の是非を問う戦いとなった。

「悪いことはしません」

元衆議院議員の田中甲(65)は、前回の再選挙で、村越に惜敗した。2003年の衆院選で村越に負けて以来、数々の選挙に挑戦したが落選が続き、公職から離れていた。今回は、どの候補者よりも早く、選挙の1年半も前に立候補を表明し、政治家としての再起をかけて準備を進めた。

スローガンは「行政への信頼を取り戻す
ポスターやビラには、「お約束 悪いことはしません」という文字を入れた。

田中本人にその意図をたずねると「現職が良くないことばかりしているから、その対比で、私は大丈夫ですよ、というのを示したかった」という答えが返ってきた。今回はあくまでも村越に勝つ戦い。狙いは明確だった。

政党からの正式な推薦は受けなかったが、出陣式には自民党や公明党など千葉県政界の重鎮の顔が並んだ。衆議院議員時代から30年間使っている「こう!と決めたら田中甲」のフレーズを連呼し、運動量は他を圧倒していた。

朝の駅での街頭演説を終えた田中に手応えを聞いたことがある。田中はしばらく黙り込んで考えた末、「リードしている実感も余裕もみじんもない。追い風もわからない」と慎重だった。

当選後、改めて聞くと「実際は、前回と手応えがまったく違った。ただ結果が伴わなかったときのショックを考えると、軽々とは言えなかった」と当時の心境を明かした。

政党色を消した戦い

そしてもう1人、守屋貴子(54)。

市川市選出の県議会議員を務め、前回の市長選挙では村越を全面的に応援していた。
村越の市政運営に不満を持つ市民の強い要請に応える形で、「信頼を取り戻す」と立候補した。

所属していた立憲民主党は離党し、選挙戦では当初、政党色を一切消して活動していた。
自民党など地元選出の地方議員などから、党派を超えて幅広い応援を取り付けるためだ。

ただ、選挙戦に入り、地元紙の千葉日報が「田中がリード、守屋が追う展開で、立憲民主党の支持層が分散している」と伝えると戦い方を変える。

隣の船橋市を地盤とする元総理大臣・野田佳彦に加えて枝野幸男。知名度のある立憲民主党の政治家が続々と応援に立った。

野田は演説で、もともと仲間だった村越について「公用車がどうのシャワーがどうのという話がありました。みなさんの血税を使ったお金。説明がつかない、納得ができない予算を作っちゃ絶対にいけないんですよ」と明確に批判した。

その上で「いろんな選挙分析の話などを聞き、悔いの残らないように私もマイクを持たなくてはいけないという決意で参上した」と守屋支援を訴えた。

ただ、野田も、翌日に応援に入った枝野も、演説の中で「立憲民主党」という政党名を一度も口にしないことに気付いた。
守屋の支援者の自民党員の女性社長は「演説の中で絶対に立憲民主党の名前を出さないように要請した」と明かした。党派を超えて支援を求める難しさがかいま見えた。

実績 評価する声も

そして、現職の村越。前回の選挙では、立憲民主党や共産党など野党の全面支援を受けて勝った。

3年前、次の選挙への戦略を聞いた時、村越は「次の選挙では、これまでの政党に加え、自民党の推薦を取ることが理想だと思っている」と話していた。

しかし、もくろみは大きく外れた。立憲民主党や共産党は、村越のもとを離れ、自民党の推薦も得られなかった。「テスラ」と「シャワー」の問題が大きく尾を引いていたからだ。

それでも、選挙を戦う上で村越自身は4年間の実績は2つの問題を打ち消すのに十分だと考えていた。保育所の待機児童ゼロの達成、市の借金削減と貯蓄の増加、低所得世帯への現金10万円の独自支給。また、市内を拠点に活動したミュージシャン、JAGUAR(ジャガー)と並んでふるさと納税の寄付を呼びかけて話題を呼ぶなど、硬軟織り交ぜた政策を展開してきた。

こうした実績をアピールしながら2期目に向けては学校給食の無償化や子どもの医療費助成制度拡充といった公約を掲げた。

実際に、商工会議所や農協の関係者のほか市議会議員9人もその実績を評価して支援に入った。
このほか市内の母親たちが「危険な通学路の改善に取り組んでくれた」などとして、村越の実績を記したビラを自分たちで手作りし、家事や仕事の合間に配り歩いていた。ベテランの運動員への取材が多かった私にとって、「選挙運動に関わるのは初めてで手探りなんです」という彼女たちの姿は、とても新鮮だった。

告示前の3月14日、青年会議所による立候補予定者の公開討論会が開かれた。
終了後、会場に来た人たちに話を聞くと、村越の弁を評価する声が相次いだ。

話が具体的でわかりやすい
市の将来のことを一番考えている
今回は守屋さんに入れようと思っていたけど、やっぱり村越さんもいいですね

村越自身もこのころは、「高齢者層は田中になびいているが、若年層や子育て世代には自らの訴えが届いている」と再選に自信を見せていた。

村越が競り勝つ可能性もあるのかもしれない、私はこのとき、そんな印象を心の中で持った。
しかし1週間、選挙戦の取材を進める中で、その予想は簡単に覆されることになる。

トップ交代を求める有権者の声

後輩記者の力も借りて、選挙期間中の4日間、期日前投票を終えた有権者244人に、誰に投票したのか聞いた。
その結果、新人の田中と守屋と答えた人たちはほぼ同数だったが、村越と答えた人はその3分の1にとどまっていた。
またこれまでの村越市政の評価については、およそ4分の3が「あまり評価しない」「まったく評価しない」と答えた。

奇抜なことばかりで目立ってしまった」(70代以上男性・田中に投票)
普段は選挙に行かないけど、許せないから今回は来た。市議会の言うことを聞かないのが不誠実だ(50代女性・守屋に投票)
上に扉が開く車のイメージが悪かった。ゴミ処理場で会見をしたのも意味がわからなかった」(70代以上女性・田中に投票)

村越が手がけた実績を話題にする人になかなか行き当たらない。田中や守屋への積極的な期待と比べ、村越への批判の方が熱を帯びていた。市のトップ交代を求めるうねりが起きていると感じた。

大惨敗 供託金は没収

そして迎えた3月27日、市長選挙投票日。

午後9時10分、市の体育館で開票が始まった。

私は観覧席から開票作業を見つめた。担当者が投票箱の鍵を開ける。

箱を逆さまにして、中に入っていた投票用紙を机に広げていく。
田中、守屋の2人に比べて、村越の票が少ないことは、一目瞭然だった。

しかし、得票率9.9%。ここまで現職が惨敗するとは…。私は衝撃を受けた。

大勢が判明した午後11時半すぎ、落選の見通しとなった村越は、支援者の前に静かに現れた。

大変厳しい結果が出ました。すべて候補者本人、不徳のいたすところでありまして、厳しい結果を真摯に受け止めております。当選された田中甲さんに祝福を申し上げたいと思います

選挙戦については「冷たい雨の中、わざわざマンションの部屋から降りて激励してくれる人もいて、反応はよく、いつもの選挙という感じだった」と語った。

ただ、「テスラ」と「シャワー」の問題について問われると、自分の非を認めた。
有権者が極めて深刻にとらえていた。説明が後手に回り不十分だったと受け止めざるを得ない

政策論争にはならず

翌日、新市長となる田中は、選挙戦をこう振り返った。

現市長のおかげということばを使うとまずいかもしれないが、あまりにも市民を裏切ってしまった。市川を変えましょうという声が市民に伝わった。そのコントラストは自分にとってはプラスだった

また、政策論争ではなく、村越に勝つためのイメージ戦略を前面に出したことを認めた。

政策に踏み込む前に、安定した市政を作るというところ、入口を有権者に約束するということで、それは政策ではない。『みなさんが誇りに思える市川市を作ります』というのは具体的な政策とは違うが、それが現実だった

投票率は、38.75%。前回の再選挙を4.78ポイント上回り、市民の関心は前回よりは高まったといえる。
市民は村越市政の刷新を求めた。
しかし、注目を集めた今回の選挙でも、有権者の3分の2近くは、その権利を行使せず、沈黙した。

今後は

落選からまだ間もない4月2日。
市の文化会館のリニューアル式典に、残りの任期中、市長として公務にあたる村越の姿があった。

ステージで児童合唱団が歌うのはアニメ「忍たま乱太郎」の主題歌「勇気100%」。がっかりして、めそめそして」という歌い出しでおなじみの曲だ。

この式典の前にかけた電話で、村越が明かした。
実は、いい歌だと思って私がリクエストしていたんです。でもこの歌詞をこのタイミングで聞くことになるとは…

式典で祝辞を述べる村越の姿はひょうひょうとしていた。
市長を辞めた後の身の振り方については「政治家は続ける」という意向を示している。
次はどのような一歩を踏み出すのだろうか。

一方、田中は衆議院議員以来、18年余りを経て公職につく。
周辺には早くも「険しい道が待っていると思う。前の市長のほうがよかったということにならないようにしなくては」と話す関係者もいる。

(文中敬称略)

千葉局記者
金子 ひとみ
2006年入局。いったん退職し、2018年に4年ぶりに再入局して千葉局。千葉県内の政治を追って5年目。船橋市西部在住。