菅とコロナ
ワクチンに賭けた菅の決意

オミクロン株による新型コロナの第6波に直面している岸田政権。
夏に参議院選挙を控え、感染の拡大を食い止め、国民の生命や暮らしを守ることができるかが大きな課題になっている。

前総理大臣・菅義偉がコロナと戦った384日は、まさにワクチンと向き合う日々だった。コロナと格闘し、ワクチン接種を推し進めて感染者の大幅な減少につなげた菅政権の教訓は、今に生きるのだろうか。

菅へのインタビューからひもとく。
(花岡伸行)
※以下「」内は菅の発言

コロナとの戦いが宿命だった政権

2020年9月16日。総理大臣に就任した菅義偉は、この日の記者会見で新型コロナ対策に全力を挙げる考えを強調した。

「取り組むべき最優先の課題は新型コロナウイルス対策だ。欧米諸国のような爆発的な感染拡大は絶対に阻止し、国民の命と健康を守り抜き、社会経済活動との両立を目指す。そうしなければ、国民生活が成り立たなくなる」

菅は、この時を振り返り、インタビューでみずからの政権と新型コロナの関係性を次のように表現する。

「コロナとは密接に関係があったと思っています。もっと言うと、正直言って、コロナがなければ総裁選挙に出馬することはなかったと思います

菅政権は、発足時から、新型コロナの収束と、1年後の自民党総裁の任期満了・衆議院議員の任期満了という大きな宿命を背負っていた。

「国民のために働く内閣」を掲げて、携帯電話料金の値下げや、脱炭素社会の実現などの政策を打ち出し、支持率は当初62%の高さを誇った。このため、自民党内からは、「支持率の高いうちが有利」と、早期の解散を求める声が上がった。

しかし、菅の頭の中に解散はなかったという。
コロナ対策と経済対策が急務で、解散により政治空白を作ることは許されないと考えたからだ。
「(早期の解散は)まったく考えていなかったですね。私の使命は、コロナ対策と経済の立て直し。失業者を出さない、企業を倒産させない、継続させる。コロナ対策が最優先、その中で国民の生活をしっかり守っていく、このことが最大の使命でした

感染拡大の中ワクチンを切り札に

感染拡大の波が日本を襲う中、菅が感染対策の切り札として打ち出したのがワクチンだった。その理由は。

「海外では日本より厳しいロックダウンも行いましたが、新型コロナを収束させることができなかった。しかし、ワクチン接種を始めて接種率が40%を超えてくると外出したり、イベントを始めたり、家族や仲間と楽しそうにしている映像が日本に流れ始めたんです。そうした中で、さまざまな情報を海外から収集し、私自身も新型コロナ対策はワクチン接種が切り札だと確信するようになったんです

ただ、ワクチン接種を日本で進めるには多くの壁が立ちはだかった。

治験の壁

コロナワクチンは日本国内には製造拠点がなく、海外からの輸入に頼るしかない。
2020年12月中旬、アメリカの製薬大手ファイザーが厚生労働省に承認申請を行った。
海外での治験データが添付されていたが、日本の制度では、国内で改めて治験を行うことが必要だった。

「ファイザー、モデルナは国際治験をやっています。確か数万人の治験をやっている。しかし、日本の規制当局は、それだけでは認可・承認をしない。日本人に対しての治験が必要だと。国会でも、国内治験をやれという付帯決議を付けられました。
そうすると、通常は半年以上、遅れてしまいます。今回は3か月くらいまで縮めましたが、そこは非常に残念でした。世界の国々のように、日本も緊急事態には緊急承認という制度を作った方がいいと思います」

国内で初めてコロナワクチンが厚生労働省から承認されたのは、2月中旬。申請から2か月が経過していた。

そしてワクチン確保の壁

国内でようやくワクチンが承認され、接種も始まったが、ワクチンの供給量は限られており、世界的な争奪戦となっていた。大量のワクチンの確保が大きな課題となった。

そうした中、菅は4月、バイデン大統領との会談のためアメリカを訪問した際、みずからファイザー社のブーラCEOと電話で直接交渉に臨むことを決断。総理大臣が企業のトップと直接交渉することは異例のことだ。

その結果、5000万回分の追加供給という成果を得る。

「一番大変だったのは、EUから海外に輸出するワクチンの半分以上が日本だったため、『日本はやり過ぎではないか』と、そうしたことがあったことです。ただ、ブーラさんは、『日本という国は約束を守る国だ』と、日本への信頼感が非常に大きかった。5000万回分を確保することで、9月までの接種の予定数が確保できた。それが11月までに希望するすべての人に接種を終えることができる1つの大きな要素でした」

「1日100万回」の覚悟

ワクチンの確保に成功し帰国した菅はすかざず、5月7日に1日100万回接種という目標を掲げる。100万回の実現は不可能だと批判が起きた。当初、ワクチンの接種に協力する医師は一部に限られ、打ち手不足という課題にも直面した。

このため、中央省庁の縦割りを排し、歯科医師や救急救命士なども接種の担い手となることを特例で認め、接種を加速していった。

「批判もされましたが、いろいろな準備をしました。インフルエンザのワクチン接種は最高で1日あたり60万回くらいということだったので、所管の厚生労働省だけではなく総務省も参戦すれば100万回は行くだろうと。さらに、文部科学省を中心に学生の接種、経済産業省が窓口になって職域接種と、霞が関の縦割りを壊して進めました。打ち手が足りないと思ったので、歯科医師会の皆さんにもお願いしました。大動員をかけてやりましたので、それなりに自信を持っていました」

接種の加速でワクチン不足の懸念

しかし、思わぬ事態が起きる。

職域接種に予想を超える数の企業から申し込みが殺到。ワクチン接種は、菅の指示を大幅に上回って、7月初めには最も多い日でおよそ170万回に達し、ワクチンの供給が追いつかなくなるおそれが出てきたのだ。

このため菅は、東京オリンピックの開会式に出席するため日本を訪れていたブーラCEOと再び直接交渉に臨むことになる。

「7月に1日平均150万回行って、8月にはワクチンが足りなくなりそうだという話がありました。たまたまブーラさんがオリンピック開会式に出席していたので、迎賓館に招待しようと。迎賓館は従来、民間の人は招待することはなかったのですが、まさに国民の命が懸かっているので、招待して直談判しようということで、朝、会食しました」

この交渉では、意外なものが役に立ったという。

「迎賓館には庭園と池があって、鯉に餌まきをできるようになっていますが、トランプ大統領を安倍元総理がお招きした時、トランプ大統領がそこで餌をまいたのを、本人はテレビで見て知っていたんです。『トランプ大統領がやった所か』と、えらい喜んでいました。結果として700万回分を前倒ししてもらい、11月で接種をほぼ終えたということです」

ただ、当時、会談によって供給の前倒しが約束されたことは伏せられていた。

コロナワクチンはまさに世界の争奪戦ですから、『これだけ供給したと絶対に言わないでほしい』と。それだけ真剣勝負、厳しい獲得競争でした

デルタ株が猛威 感染が急拡大

順調に進むワクチン接種。

新型コロナ収束への期待は高まったが、想定外の事態が起こる。感染力の強いデルタ株が世界的に猛威を振るい、日本でも感染者数が急拡大したのだ。

8月。感染の拡大と緊急事態宣言の日々で国民に募った不満や不安は、菅政権に向かっていく。内閣支持率はコロナの感染者数と連動するかのように下落し、29%に落ち込んだ。
10月22日の衆議院議員の任期が迫っていたが、菅は依然として、感染者が多い中での解散・総選挙には慎重だった。

「東京などに出されていた緊急事態宣言の期限を9月12日に設定するわけですが、その時に、またそこで宣言を延長せざるを得ない状況になったら、やはり総選挙はやるべきではないと思っていました。とにかく緊急事態宣言が行われている間は、国民から理解を得ることは難しいという思いでした」

菅の頭には、緊急事態宣言を解除できない状況が続けば、任期満了まで衆議院を解散しないという選択肢もあったという。

退陣表明、その理由とは?

8月26日に自民党総裁選挙の日程が決まると、その日にすぐさま、前政務調査会長(当時)の岸田文雄が記者会見し立候補を表明。それにより、総裁選挙の実施が確実になった。

9月3日。菅は「コロナ対策に専念をしたい」と総裁選挙に立候補しないことを決断。
事実上の退陣を表明した。

「そこ(退陣)は常に考えてやっていましたから。それを「考えています」と言う人はいないんじゃないですか。やはり(解散は)緊急事態宣言を終えてですよね、本来であれば。そこが、また延長せざるを得ない。確かにあの時は、感染者数がぐっと下がり始めた時だったんです。でも、1万人くらいいましたから、そこは国民は許してくれないと思いましたね。緊急事態宣言をせざるを得ない状況であれば、(総理を)続けるべきではないだろうと思っていました

菅が退陣表明して程なく感染者数は急速に減少し、9月末で緊急事態宣言は解除された。歴史に「たら・れば」はないと言うが、感染収束がもう少し早ければ、退陣には至らなかったという思いはなかったか。

「『たられば』は、私は何もなかったです。やはり緊急事態宣言の中で選挙をやったら、それは理解されないし、自民党が批判されるし、そこで選挙をやっても、いい結果も出ないだろうと。そうしたことすべて考えた上での判断でした」

感染が落ち着いた中で行われた去年10月の衆議院選挙では、多くの候補者から応援演説を要請され、集まった聴衆からはワクチン接種への感謝の声もとんだ。

「総理大臣を辞めたあとの選挙ですから、ものすごく心配していました。しかし、街頭遊説に呼んで頂き、行ったところで今までにない多くの有権者の皆さんに来て頂いて、逆に励まされた。政治家冥利に尽きた遊説でした」

岸田は前政権の教訓を生かせるか

菅は、今回のインタビューで、総理大臣の立場から見た「権力」と「責任」は、長らく務めた官房長官の立場から見たそれとは、全く異なるものだったと語った。

総理大臣は、自分が最終判断者。権力には責任も伴う。最高権力者が判断することは、非常に重いと思います

菅政権の退陣を受けて岸田政権が誕生して3か月。年明けからの新型コロナの急速な感染拡大は、ちょうど1年前、菅政権を取り巻いていた環境と酷似しているようにも見える。

そして、夏には参議院選挙を控える。

ワクチン接種を推し進めた菅政権の「遺産」は岸田政権にも引き継がれているが、オミクロン株という変異種への対応や、3回目のワクチン接種、治療薬の普及など、新たな課題も浮かび上がってきた。

最高権力者が負う責任の重さ。
総理大臣となった岸田は、コロナから国民を守るため、どのような舵取りを見せるだろうか。
(文中敬称略)

政治部記者
花岡 伸行
2006年入局。秋田局を経て11年に政治部。その後、函館局を経て再び政治部に。19年8月からは官邸クラブに所属。菅内閣の取材では、官房長官番を担当。