コロナ禍の首相交代劇
麻生太郎の証言
「集約化した権力は必要」

コロナ禍で日本社会が大きな岐路に立った2021年。
総理大臣の座は、菅義偉から岸田文雄へと移行した。ワクチン接種をコロナ対策の切り札として推し進めながらも支持率が落ち込み、志半ばで退任した菅。その舞台裏で何があったのか?
そして前回の自民党総裁選挙で大敗した岸田は、どのように総裁の座を手にすることができたのか?
キーパーソンによる証言からコロナ禍の政権移行の内幕に迫り、日本政治の行方を展望。
NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」の取材をもとに、詳細な証言を掲載する。
今回は、自民党副総裁の麻生太郎に話を聞いた。

菅政権について

Q)菅政権について。安倍政権と比べて、政権を支える構図が変化したという見方もあるが、どのように考えるか?

A)安倍政権が2期目でできた時には、党に高村副総裁と谷垣幹事長。そして政府には安倍と麻生。その4本の柱がしっかり支えてきた。甘利さんという柱がもう1つあったんですけど、甘利さんは途中で辞められたものですから、結果として4人の柱だった。少なくとも政権として4本立ってるというのは大きかったでしょうね。
それが菅さんになってどうでしょう。二階さんと菅さんは、安倍政権ができる前後までそんなに付き合いはなかったと思うんですよね。昔からの関係があるとか書いてあるものもありましたけど、2人の関係はそんなに古くはないと記憶しますけどね。

二階元幹事長について

Q)二階氏は、歴代最長の幹事長在任となっていたが、どのように見ていたか?

A)自民党から1回出ておられますしね。20年ぐらい前ですか。私が政調会長をしている頃に、二階さんが幹事長みたいな形でよく政策調整などの時に来ておられました。私らと思想というか政局の読みが違うし、県会議員もしておられましたし、よく地方の事も分かっておられる感じでしたね。あんまり口数の多い方じゃありませんから。

Q)菅政権で二階氏が幹事長を続投したことをどのように思ったか?

A)安倍内閣から菅内閣に変わっていった経緯において、「官房長官から総理・総裁に」という案を二階さんは非常に推されたんじゃないんですかね。それが大きな理由かな。よく分かりません、そこのところは。衆議院選挙は1年後(までに行われる)というのは、はっきりしてましたんで、僕は体力的な問題から、二階さんの幹事長続投は無理があるだろうなとは思いましたね。

コロナ禍での政局について

Q)コロナの感染拡大に伴って支持率が下落する中、7月29日に安倍元総理大臣と会談したとのことだが、どんな話をしたのか?

A)この種の話は言わないことになってる上に、あまり記憶力がいい方じゃないから、ちょっと覚えてませんけどね。あの頃、内閣支持率が下がってきたので、いわゆる任期満了選挙というのは、「追い込まれ選挙」とか書かれて、大体、自民党にとってあまりいい結果を生んでないというのが、これまでの例でもありましたので、「菅でこのまま行くんだったら早めに選挙を」ということは申し上げましたし、その時は全国を回れる元気の良い幹事長で、早めにやった方が良いという話はいろいろしたような記憶はありますね。

Q)つまり菅政権を支えるスタンスだということか?

A)はい。政局にしてどうのこうのという気はありませんでしたね。

Q)早く選挙をやるべきという話は、菅氏に伝えたのか?

A)菅前総理大臣に申し上げたことは、私も安倍総理大臣も意外と戦闘的ですから、解散・選挙というのはサッとやった方がいいというのは、もともとそうですけれども、菅さんとか大島衆議院議長は、大体、解散に関しては極めて慎重でした。慎重派だという感じは、私が総理をしてる時もそうでしたから、大体そういう傾向はある方だとは思いますけれども、解散は早めにやるべきということは申し上げましたね。僕は、政権を引き継がれた直後、安倍から菅に移った直後に解散というのが私の意見でしたですけどね。

Q)菅氏の反応は?

A)何とも言われませんでしたね。あんまり反応をハッキリ言われない方ですから、相談したら「うん」とうなずくようなこともありましたけど、明確にイエスともノーとも反応はなかったというような記憶ですね。
体力的な話がありますから、総選挙の時の幹事長というのはしんどいと思っていましたから、(二階幹事長を)代えられるべきだと。幹事長だけ代えるわけにいかないんだったら、三役そろって代えられるべきだと。解散をするんだったら、そういうことは申し上げましたね。

Q)菅・二階両氏のもとでの解散・総選挙についてはどう考えていたか?

A)選挙になれば勝敗の数字が全てですから、負けたら菅内閣が終わるだけのことですから。自民党が過半数割るという感じはありませんでしたが、2人で総選挙をやられた場合には、僕は結果は260議席以上の獲得なんていうことにはならなかったと思いますけどね。

横浜市長選挙の影響について

Q)8月22日の横浜市長選挙で自民党候補が負けたことは、潮目を変える要因になったと思うか?

A)大きい要素だったことは間違いないでしょう。非常に「え?」という感じがおありになったし。小此木さん(元国家公安委員長)が出られるという事になった理由も私はよく知りませんけれども、ある日、突然出るというお話になられて。極めて厳しい結果だったと、ご自分で思っておられると思いますね。

Q)あのまま衆議院選挙に向かえると考えたか?

A)自民党としては、きついものになると思いましたね。負けるという感じ。政権がひっくり返るような騒ぎにまで負けるかと言えば、よく分かりませんけれど、少なくとも260なんて議席が取れる雰囲気ではなかった。過半数行くか行かないかのところまで落ちるかなっていう感じはありましたね。

Q)党内には「菅総理では選挙が戦えない」という声はあったか?

A)それはもういっぱいありましたよ。横浜市長選挙の前からそういった声は出てましたね。若い人に特に多かったんじゃないでしょうかね。若い人は安倍政権になってからしか選挙したことないですから、3回生以下は、何となくこのままではアゲインストな選挙になって軒並み落ちるという危機意識は極めて高かった。そういう声はいろんなところで聞かされた話ですね。

Q)菅氏には総選挙への危機感を伝えたのか?

A)閣内にいるので、ちょこちょこお目にかかる機会があったと思いますけれども、任期満了が迫って、早めに総裁選挙をやらないと間に合わないという意識はありましたから、早めにやらんといかんなっていう感じで申し上げた記憶はあります。
その当時、いろいろ悩んではおられたとは思いますけれども、まだ総裁選挙に出るという意識はおありになったと思いますね。でも横浜市長選挙に負けた以降は、何となく総裁選挙を戦うという戦闘意欲は落ちられたかなという感じは、肌感覚ですけれども、そんな感じはありましたね。

二階幹事長の交代について

Q)一方で、岸田文雄・総理大臣が8月26日に総裁選挙への立候補を表明した際、党役員の任期制限を打ち出した。どのような印象を持ったか?

A)この方(岸田氏)は、「出るな」っていう勢力が自分の派閥内にいて、その意見に足を引っ張られてなかなか出られなかった。1年前の安倍総裁退陣の時も「出るな」という方がいらしたわけですけれども、あの時はえらい悩まれてたと思いますが、今回は全く思い悩むことなくスパッと決めた。「出るな」と言っておられた方々を切って、自分で立候補表明した。1年前にしときゃ、あの時に(総裁に)なっていたかもしれない。
今回、ご自分で掲げた公約の1つに、党改革として党役員の人事は1期1年で3期以上やらないということを表明されたので、「それが言えるなら、1年前に言っておけば、1年前になっとるわい」と言っていた周りのベテラン議員は大勢いました。
1期3年以上継続しておられる方というのは二階さんぐらいで、二階を切るということを表明されたわけですから、それはそれなりの決断だったと思います。そういう決断が何となくできにくいという評判が岸田総裁にはついてましたから、そういった意味では、そういった決断をスパッと自分で決められたというのは、非常に岸田文雄の評価が上がったものの1つじゃないですかね。

Q)解散・総選挙の時期が取り沙汰される中、菅氏が、幹事長人事を行うことを耳にしたときは、どう受け止めたか?

A)僕は報道をあまり信用してないもんですから、言ったとか言わないとか、ブレたとかブレないとか、そういう情報をハナから信用してませんので、それ以上、特に感想はありませんね。

Q)二階氏の手腕と選挙における功績については?

A)私は閣僚で政府の方にいましたんで、自分の派閥のことならともかく、他の派閥の方々のことまでそんなに全部知ってるわけじゃありませんので、どんな対応しておられたかは、よく分かりませんけれども。後半は体力的なものがあって、あちこちに飛び回るのはしんどかったろうかなという感じはしますけどね。

解散報道と菅氏の退陣について

Q)9月3日に、菅氏が退任を表明したが、近くでどのように見ていたか?

A)自分の進退もともかく、(衆議院)解散の話で、465人の衆議院議員の職を切るわけですから、なかなか簡単な話じゃないので悩んでおられるなという感じはしましたね。

Q)菅氏が退任に追い込まれたのは何が要因だったと思うか?

A)やっぱり自分では、総裁選挙をやって勝てるって自信がおありになったとは思いますけれども、総選挙で勝てるという自信はなかった。そこが大きな要因じゃないですかね。悩まれた大きな理由は多分そこかなと思いますけどね。

Q)衆議院選挙は厳しい結果になるという予想を菅氏に伝えたことはあったか?

A)私から直接伝えた記憶はないですね。それは感じるもんですよ、自分で。私も総選挙をやった経験がありますけれども、「負けるな」という感じはわかるもんですよ。少なくとも新聞社の予想よりは正確に当たりますよ。

Q)総裁選の前に退陣すれば政治力を保ったまま辞めることができると助言した?

A)どうでしょう。(菅氏は)派閥を持っておられるわけじゃありませんし、そういったことに関心がある総理大臣と、関心がない総理大臣が世の中いらっしゃいますのでね。あとあと影響力を残し得ると思うんだったら、派閥を作るということを考えるんだと思いますけど、そういうことをされてるふうもありませんし、グループみたいなものはちょこちょこありましたけれども、「派閥を立ち上げて何とかしよう」という欲は、あんまり見えてきませんから。

Q)菅氏は、自分が退陣することで自民党が勝つと思ったと考えるか?

A)それはあったでしょうね。やっぱり党のことを考えるのは総裁として当然ですし、十分に考えられたとは思いますね。

Q)そのように助言したことは?

A)いや、それはないと思いますね。

Q)横浜市長選挙の直後、甘利明・前幹事長が、麻生氏に「菅さんの名誉ある撤退」というのを、菅さんに対して言えるのは麻生さんくらいしかいないんだと伝えたと言うが?

A)事実です。菅義偉という人の政策は、今頃になって評価されている。「後になったら評価されますよ」と。菅が1年でやったことは、あの状況の中じゃ、ほぼベストだった。ワクチンを優先順位で一番にして、1日100万回やりますという話を、自衛隊や歯医者を動員して行った。当時、マスコミは絶対できないと書いてましたよね。だけど、現実は100万以上いきましたから。結果として今日、ワクチンのおかげだと思いますけど、日本の場合、オミクロン株についても被害が少ないという状況になっていることも確かですから。ワクチン接種を徹底してやるということに決めた菅前総理大臣の決断というのは、大きかったんじゃないですかね。

自民党総裁選挙について

Q)総裁選挙では、麻生派に所属する河野太郎氏も立候補したが、派閥の支持を一本化しなかったのは、何故か?

A)やっぱり河野太郎というのは私どもとしては大事なタマだと思ってますし、将来、総理・総裁になりうる条件というものを備えているとは思いますけれども。今の段階で、河野太郎が総理・総裁として、お国のために役に立つかと言えば、もう少し彼の場合には、いろんな意味で経験が必要なんじゃないか。視野がもう少し広いとか、いろんな意味が必要なんじゃないか。
例えばエネルギー政策1つとっても、いきなり今の時代、電力を再生エネルギーだけでやれるなんてことはできないことは、みんなよく知っているところですから。そうすると、そのつなぎとして原子力発電所を使わざるを得ないと。CO2等々を考えれば。そういったことを考えずに「原発廃止」とか言われても、将来はそういうことになっても、なかなかそれに至るまでの時間というのを考えて対応しなきゃならん。電力需要が増えれば、日本の場合は電力を隣の国から買って持ってくるわけにはなかなかいかない国際情勢でもありますから、そうしたことも考えないといかんと思いますけどね。

Q)河野氏は、小泉進次郎・前環境大臣や、石破茂・元幹事長と連合軍のような形で戦いを展開したが、どう見ていたか?

A)よくわかっておられないなと思いましたね。やっぱり政局が分かってる人が秘書官なりにいれば、その部屋に入って行こうとしたら、後ろから止めるでしょうね。「石破の部屋には行っちゃいかんですよ」と言って、うちの秘書だったら止めると思いますね。だけど誰もついて行ってなかったのか、どうして行かれたんだか知りませんけど。しかも中で20~30分しゃべっている。石破さんが付いたら増える票もあるでしょうけど、減る票もあるという、そちらの読みができないと、やっぱり選挙っていうのは難しいんだと思いますけどね。

Q)菅氏が河野氏を支持したことは、どのように思ったか?

A)いいとこ目付けてるな。同じ神奈川県だし、見えてるだろうなという感じはしましたね。選挙は強いし、発信力はあるし、いろんな意味で河野太郎っていうのは今後、政治家として十分伸びる余地がある。今でも私はそう思ってますから。
そういった意味では、きっちり育ってないと、欠点だけあげつらわれて、結論いいとこが生まれないままに潰される。まだまだ粗削りなところがあると思いますから、もう少し時間をかけないと、経験が育ってこないんだと思いますけどね。僕は岸田文雄という人も、何回か総裁選挙で痛い目に遭った経験が今日の岸田文雄を安定したものに作り上げたと思いますけどね。

Q)菅氏は河野氏を支持していたが、どう感じていた?

A)菅さんは前から、同じ神奈川県でおられたんで、河野さんをひいきにしておられましたんで、菅さんのバックアップがつくということ自体は決してマイナスだとは思いませんけどね。

Q)菅氏は、後継を河野氏にという気持ちだったと?

A)そういう気持ちもあったとは思いますね。

Q)菅氏が自身の代わりに河野氏を立てたという話は聞いたことがあるか?

A)私はご本人から聞いた事はありません。

Q)世代交代を懸念して、河野氏支援で派閥を一本化しなかったのか?

A)世代交代ってのは、放っておいても進むんですよ。私より若くても危なそうな人、いっぱいいますからね。だから、人によって年齢だけで言うのはいかがなものかと僕は思いますけれども。経験が政治家に与える影響は大きいんで、今度の総裁選挙なんかも河野太郎という政治家としての成長には大きな役になったと思いますけどね。

今後の政局は 権力とは

Q)権力を担い続けることの意味、権力とは何か?

A)権力というのは単なる手段で、その権力を使って何をするかが目的ですから。手段が目的化しないように、きちんと整理をして頭の中で持ってないと権力の権化みたいになって、およそ弊害しか生まれないことになりかねません。そこのところは権力を持ってる側が、きちんと意識を常にしておかないと、いい結果を生まないことになります。それと、権力は全く無いと結果的には何も生まれませんから、新しい方に進んでいきませんから、そういった意味では必ず集約化した権力は必要なことは確かだと思います。

Q)このところ安倍さんと距離が離れているという見方もあるが?

A)この間も飯を一緒に食べましたけれども。新聞記者につけられたこともバレたこともないんです。仲がいいんだということを見せるためには「今日は飯食いに行きますよ」という話をした方が演出としてはいいのかもしれませんけど、そういう演出をする必要をまったく認めませんから、飯を楽しく食う方を選びました。双方、距離が開いてるとかいうような意識は少なくとも私の方にはないと思いますね。

Q)岸田政権は、長期政権になり得るか?

A)どうでしょうね。安倍晋三(政権)がこれだけ長期になると思った人は1人もいないし、小泉純一郎が長くなると思った人は1人もいないし、あまり予想なんて当てにならんのですよ。(総裁候補4人の名前をもじった)「麻垣康三」という名前を新聞が作ったのは、20年ぐらい前ですけれども、それ以後、そういった言葉を新聞記者が作れない。作れない新聞がダメなのか、そういった候補者が政治家の中にいないのかよくわかりませんけれども、「三角大福」の時は、みんな2年ずつということになりました。「麻垣康三」もみんな早かった。もう1回、晋三に戻ってずっと続いたのは代わる人がいなかったからでしょう。岸田の後にそういった代わる人がいるのか。河野さんなのか、いろんな人が出てくると思うが、その人たちがどれくらい伸びてくるか。そこのところで変わってくるので、岸田さんでしばらくいけるというような状況になるのか。国際情勢、国内の政治も含めて、今の段階でどれぐらい続くか分かりませんけど。ただ、たった今の現状を見れば、極めて波は静かですな。ということは常識的には安定した政権が続きうるということだと思いますけどね。

Q)今回の総裁選挙で疑似政権交代ができ、党内が活性化したという見方もあるが?

A)疑似政権交代。それは野党が政権交代能力を急激に失っていったのが大きな背景であって。それは自由民主党が野党との間で、これは政権を落とされるかもしらんといえば自民党は結束するんですよ。それがそういった状態が起きていないとなれば、それは自民党の中でいわゆる疑似政権交代というものがおこる。世代交代に限らず、党内での権力闘争が政権交代に代わるいい芽を作り出してるという事は確かでしょうね。

Q)権力を維持するために、自戒すべきことは何か?

A)そうですね。権力の中に長くいて、自戒しなくちゃいかんことは、やっぱり情報が入ってこなくなるんですよ。新聞記者も年増の記者ばかり周りにたまって、若い現場を歩いてる記者の声が入ってこなくなる。特に具合の悪い情報、痛い情報、そういったのが入ってこなくなるのを避けるためには、自分の方から情報を取りにいくという姿勢をずっと持ち続けてるというのは、権力を持つ側に立った時には大事にしておかないといかん意識じゃないですかね。

NHKスペシャル「証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 コロナ禍の首相交代劇」