“10万円給付”
異例の方針転換はなぜ?

岸田内閣が打ち出した目玉政策、“10万円給付”。
所得制限を設けた上で18歳以下を対象にクーポンと現金で5万円ずつ給付する事業だ。
しかし、クーポン給付に対し、自治体が「事務費や手間がかかる」と猛反発。
結局、政府は12月13日、現金一括給付を全面的に認める結果となった。
異例の方針転換はどのように行われたのか、検証した。
(小口佳伸、関口裕也、清水大志)

“10万円給付”の始まりは?

そもそも最初に10万円給付を主張したのは公明党だった。
衆議院選挙の公約に盛り込んだのだ。

その後、衆院選で多数の議席を得た自民・公明両党は、政府がまとめる新たな経済対策に10万円給付を盛り込むことを目指し、与党内で議論を始めた。

自民党幹事長の茂木敏充は、公明党幹事長の石井啓一との協議の中で、給付を一律に行うのではなく、年収960万円を軸に所得制限を設けることなどを提案した。「バラマキ」批判が出るのを懸念したためだ。

この960万円という額は、現在行われている児童手当の所得制限と同じ基準で、この線引きであれば、自治体の給付作業も児童手当の仕組みを使ってスムーズに行われるのではないか、という考えから出てきたものだった。

全世帯への給付を目指していた公明党は、当初、この基準に難色を示したものの、総理大臣の岸田文雄と公明党代表の山口那津男のトップ会談で、年収960万円の所得制限を設けることで最終合意。
あわせて、10万円相当の給付を行う際は、現金で5万円を給付し、残る5万円相当はクーポンで行う仕組みとすることでも合意した。

なぜクーポン?

なぜクーポンにする必要があったのか。
このアイデアは茂木が石井との幹事長どうしの協議の中で提示したものだ。
ただ、関係者によると、元々は財務省が発案したものだという。

現金給付は、使われずに預貯金にまわり、消費の拡大などにつながらないという懸念があったからだ。実際、2020年に行われた現金10万円の一律給付も大部分が預貯金にまわったという指摘もある。

今回の給付の目的について、事業を担当する内閣府は、新型コロナの影響がさまざまな人に及ぶ中、子どもたちを力強く支援し、子どもたちの未来をひらく観点から給付すると、子どものための給付であると説明している。

来年春の卒業・入学シーズンに向けて、子育て関連の商品やサービスに使いみちを限定したクーポンを送ることで、確実に子どものための用途に給付が使われるという子育て世帯の生活支援に加えて、消費を喚起し、経済の回復につなげたいという狙いもあった。

しかし、こうした複雑な制度にしたことで、ワクチンの3回目接種に取り組まなければならない全国の自治体に、さらに負担がかかることになった。

霞が関や永田町界隈では「来年の参議院選挙の前に、もう一度給付をすべきだという声が出てくるのを避けるため、財務省があえて2段階にしたのではないか」などといった噂も広がった。

巨額の事務費 1200億円!?

さらにクーポン給付に反発を招く事実が明らかになった。
11月26日の臨時国会の召集前に開かれた衆議院予算委員会の理事懇談会の場だ。

野党側は、クーポンで行われる給付の事務費がいくらかかるのか、財務省に説明を求めた。ここで財務省が示した数字が波紋を広げた。

「現金とクーポンに分けて給付するための事務的な経費は1200億円」

10万円を現金で一括給付する場合と比較して、およそ900億円も経費が高くなることを示していた。

地方自治体からは次々と反発の声があがった。

大阪市長 松井一郎
「(クーポン給付は)多額のコストもかかり、現実的ではない。子育て世代に使ってもらうには 現金給付しかないとわれわれは考えており、手法については自治体に判断させていただきたい」

高松市長 大西秀人
「コストを低くして行う方法を考えなければならず、かなり混乱する恐れがあるのではないか。迅速かつ簡便に配るには現金が一番望ましいといえる」

逆風の中 官房長官は…

クーポン給付に対する逆風は、日に日に強くなっていった。

このころ総理大臣官邸で開かれる官房長官・松野博一の記者会見では、たびたび、10万円給付の質問が出ていた。しかし、一貫して現金とクーポンの併用が基本だと説明していた。

そうしたさなかの12月7日。
松野の発言が変化した。

この日、群馬県太田市が10万円相当給付を全額現金で支給する方針を表明したことの受け止めについて質問が及んだ。
記者団は、いつものように「現金とクーポンによる給付が基本だ」と言うのだろうと思っていた。

しかし、松野は予想外の発言をする。
「クーポンを基本とした給付を行う。ただし、地方自治体の実情に応じて現金給付も可能とすることとしています」

実は、政府が11月19日に閣議決定した経済対策の中に「地方自治体の実情に応じて現金給付も可能とする」という一文が入っていたのだ。

ただ、この一文は、近くにクーポンを使うことができる商業施設などがない地域や、人手の少ない自治体を想定した、例外的な規定だった。

松野の発言は、外形的には経済対策に盛り込まれた文言をそのまま読んだだけだ。
ただ、もともとあったこの一文をわざわざ読み上げることに、政治的な意味があったのだ。

方針転換の舞台裏

12月7日の松野発言の背景には何があったのか。
実はもうこの時、岸田はクーポン給付にこだわる必要はないと考えていた。

岸田のもとには、経済再生担当大臣の山際大志郎らを通じて、自治体からの批判的な声が届いていた。

「早く決断してもらえれば、年内のうちに10万円を給付することができる」
「クーポンは準備に時間がかかるので、実際の給付は来年の6月や7月になってしまう」
「新型コロナの対応もある中で、自治体側がパンクしてしまう」
「クーポンでの給付を行う時期として想定されている3月は年度末で忙しい」

山際は、会議などで岸田と会う機会を見つけては、複数回にわたって「現金給付を認めるよう、早めの決断を」と伝えていたという。

複数の政府関係者は、岸田から12月6日ごろ「自治体の意見を踏まえて柔軟な運用ができないのか、現金給付について検討してほしい」と指示を受けたと明かす。

しかし、政府としては一度行った閣議決定をやり直す事態は避けたい。
岸田が指示した、整理すべき項目は3点だったという。

①閣議決定の文言の範囲内でどこまで柔軟に現金給付を認めることができるか。
②年内に現金で一括給付する場合に、財源が今年度予算の予備費と、今年度の補正予算にまたがっても、予算措置に問題はないか。
③現状、地方自治体にはどんな通知が行っていて、どの程度動き出しているか。

ここから内々に官邸内部で現金給付の容認に向けた作業が進んだ。

自治体の空気が官邸に

岸田自身も、12月9日に衆議院で行われた代表質問で、現金とクーポンでの給付を原則としながらも、柔軟な制度設計を進める考えを示し、現金一括給付に向けて踏み込む。

政府関係者はこう話した。
「岸田総理は、クーポンにこだわりがあったわけではなかった。全額現金の給付で問題がなければ、条件なしでの10万円の全額現金給付を年内に行うことについても、可能だということは、10日の金曜日までになんとなく見えていた」

事務方の間では、衆議院の予算委員会が始まる翌13日の週から、これまでの言いぶりよりも、現金一括給付を容認するトーンを強めることが内々に確認された。

加速する流れ 全面的な方針転換

そして週が明けた13日。
衆議院予算委員会で岸田は現金一括給付の容認を表明した。

「自治体の判断により、地域の実情に応じて、年内からでも10万円の現金を一括で給付する形で対策を実行することも選択肢の1つとして加えたいと思っている」

全額現金給付をただ容認するだけでなく、年内の一括給付も認める発言。
全面的な方針転換だった。

地方の反応は

政府の方針転換を、地方はどう受け止めたのか。

名古屋市長 河村たかし
「現金とクーポンのどちらでもいいとなれば皆さん当然、生活に困っている人も多くいるので現金がいいということになる。ころっと方針が変わったのは事実だが、それをどうのこうの言っても仕方がない」

東京・江東区長 山崎孝明
「(東京23区内で)クーポンはゼロ。考えてみれば誰でも早くもらいたい。現金が一番、手っ取り早くて、誰もが喜ぶのは現金。何か政策を実行していくプランを作る場合は現場の声を聞いて制度設計してほしい」
速やかな対応を評価する声がある一方、「時間がたつにつれて、中身が変わったことは、実際に給付実務を担う自治体に混乱を招いた」と批判する声もあがった。

子どものための10万円になるか?

10万円の一括現金給付の容認に至った岸田内閣。
方針転換により、10万円の給付が当初の予定より早まったことを評価する声が出る一方、早く支給されても貯蓄に回ってしまっては、必ずしも当初の政策目的を達成したことにはならない。
岸田内閣のこの間の対応を、迷走とみるか柔軟な対応とみるか。
10万円が本当に子どものために使われたのかという視点で、引き続き取材を進めたい。
(文中敬称略)

政治部記者 
小口 佳伸
2002年入局。札幌局、長野局、首都圏局を経験。現在は政治部で若手と切磋琢磨する日々。
政治部記者
関口 裕也
2010年入局。福島局、横浜局を経て政治部。現在は、政府の経済政策や新型コロナウイルス対策を取材。
政治部記者
清水 大志
2011年入局。自民党・岸田派の担当などを経て官邸クラブに。今月、女児が生まれ2児の父親に。