ベテラン議員 敗戦の弁

今回の衆院選では、「世代交代」が一つのキーワードとなった。
多くの実績と高い知名度を誇るベテランが、年少の候補者に敗れる選挙区が相次いだ。

「落選すればタダの人」とも言われる厳しい勝負の世界。

敗者は何を語ったのか。
(衆院選取材班)

「私の軽率な行動で…」
神奈川1区 松本純

緊急事態宣言が続く中、深夜まで銀座のクラブなどに出入りしていたことを受けて自民党を離党し、今回は無所属で戦った神奈川1区の松本純(71)。
当選7回、国家公安委員長も務めた。

NHKがすべての候補者を対象に行ったアンケートで、松本は衆院選の最大の争点について、「新型コロナウイルス対応」と答え、汚名返上を誓っていた。
しかし、立憲民主党の46歳に破れた。
落選が決まった後もコロナ禍での自らの行動を反省するしかなかった。

「有権者の皆様に対しては 私の軽率な行動によりまして多大なるご迷惑をおかけしたということで、改めてお詫びを申し上げなければならないと思います。選挙が始まった時から『真摯に反省、謙虚に再出発』という言葉で私の気持ちをお伝えしていたつもりでございます。 今回の選挙だけに限ったことではなく、私が生涯背負っていくものと受け止めております」

“石原ブランド”に陰り
東京8区 石原伸晃

東京8区の石原伸晃(64)、当選10回。
野党統一候補、立憲民主党の49歳女性に敗れた。
自民党で派閥を率いる領袖だが、苦戦が伝えられた今回は、他の候補者の応援には行かず選挙区に張り付いた。
大学生の息子が運動を手伝う姿も見られた。
3区の弟、宏高も小選挙区で敗れ、東京で長く人気を誇ってきた「石原ブランド」も時代の節目を迎えた。

午後8時過ぎ、テレビの中継で敗因を聞かれて伸晃はこう答えた。


「本当に私の力が足りなかった。コロナ禍ということで、街に出て皆さん方とお会いする機会が少なかった、こんなことも一因ではないかと印象としては感じています」
そして、自民党が選挙前から議席を減らす見通しとなっていることを尋ねられたのに対し、
「悪いところ、至らぬ点が多々あることは申し訳ないという素直な気持ちを大切にしていかなければならないのが保守だと思っています」

“敗戦は”天が与えた試練
茨城7区 中村喜四郎

「無敗の男」が敗れた
茨城7区、立憲民主党の中村喜四郎(72)。当選14回。かつては自民党のホープとして将来を嘱望されたが、ゼネコン汚職事件で実刑判決を受け、失職。
だが、その後も逆境をはねのけ、勝ち続けてきた。
地域をくまなく回って築き上げた個人後援会の強さと、自らオートバイにまたがり、支持を訴える選挙スタイルはあまりにも有名だ。

最近では、選挙の指南役として、党の若手の指導にも当たってきた。
今回は長くこの選挙区で争ってきた自民党の女性候補に敗れた。
「過去14回選挙戦を戦わせていただきましたが、オートバイで207回の街頭演説をおこなったのは過去最高の回数でした。ひとえに後援会の皆さん方のお力のたまものと深く感謝申し上げます」
「日本再建と与野党伯仲は今回は残念ながら道半ばになりましたが、国家国民のためのまともな政治を取り戻すための運動はこれからもしっかり前を向いて進めていかなければならないと決意をもっております」

そして、最後にこう結んだ。
「中村喜四郎は過去に事件で逮捕され、裁判で3度もたたきのめされ、そして刑に服してからも皆さん方に支え抜いていただきました。天が中村喜四郎に与えた試練と受け止めてこれからも前を向いて正々堂々とがんばって参ります」
この後、中村は比例代表で復活し15回目の当選が決まった。

「しっかりやれ、私の分まで」
福岡5区 原田義昭

自民党から現職と元県議会議員の2人が立候補する意向を示し、保守分裂の可能性があった福岡5区。
自民党が公示直前に公認したのは現職だった原田義昭(77)、当選8回。
分裂は回避されたものの、原田は落選。


選挙区内の地方議員や多くの団体が立候補を断念した元県議会議員を直前まで支援していたため、「しこり」が完全には解消されず、従来のような組織戦を十分に展開できなかった。
「公認が決まる前は、なかなか難しい雰囲気でしたけど、 決まってからはびっくりするようなスピードで、(公認を争った)栗原陣営の方も応援に駆けつけてくれて、ありがたい、感謝の気持ちです」
そして、かつて自らの秘書を務めた53才の男性がこの夜、北海道6区で初当選したことを紹介し、
「さっき電話がかかってきたので、『しっかりやれ、私の分まで』と伝えました」

「まだ、やり残したことがある」
熊本2区 野田毅

保守分裂のまま選挙戦に入った熊本2区。自民党公認の野田毅(80)、当選16回。
大蔵省出身で党内きっての税制通。党税制調査会長や自治大臣を務めた。初当選は昭和47年。在職50年が目前に迫っていた。
危機感を覚えた今回は、政治家人生で初めて朝の街頭演説を行うなど、これまでにない運動を展開した。


しかし、財務省出身という同門の後輩、43歳の保守系無所属の新人に大差をつけられた。

落選直後のインタビューで、「まだやり残したことがある」と答えた野田。
やり残したこととは何なのか、2日が経った火曜日の夜、話を聞いた。
「ふるさとからどんどん人が減っている。人がいなくなって、災害も起きやすくなる。ふるさとを守るための人材の育成が必要で、政策を総動員しなければいけない。DXだけではふるさとは守れないよ。

それと、社会保障を守っていくための税制をどうするのか。内外の課題は待ったなし。このタイミングで仕事をしなくてどうするんだという気持ちだ」
霞が関の官僚から今後もアドバイスをお願いしたいという連絡がさかんに来ているという。
「公務員は、自民党を守るためではなく、国のために働くという気持ちをしっかり持ってほしい。これからも連絡所のようなところを作ってお手伝いしたいと思っています」

維新の勢いの前に…
大阪11区 平野博文 10区 辻元清美

日本維新の会が選挙区で擁立した15人全員が当選した大阪。

立憲民主党の幹部2人が相次いで敗れた。
11区の平野博文(72)、当選7回。民主党政権では、鳩山内閣の官房長官も務めた。
今回は党の選挙対策委員長の立場で野党共闘を進めた。
しかし、自らの選挙では維新の65歳新人に敗れ、自民にも得票数で下回り3位だった。

「コロナ禍で維新の代表、副代表がこの1年半以上にわたり、コロナ対策をしたので、そのことが評価されたんじゃないかなと。ただ、私は評価とは思っていないが、そういう審判を有権者がしたので、それは真摯に向き合わないといけない」

これまでの選挙では抜群の強さを見せてきた10区の副代表、辻元清美(61)、当選7回。
今回は46歳、維新の新人に敗れた。
市民運動に早くから関わり、NGO団体のピースボートを立ち上げ、平和運動や難民支援の活動に取り組んできた。
自社さ政権時代の平成8年、社民党から立候補して初当選。
早口の大阪弁で閣僚を追及する姿が特徴的だった。

「今まで、しんどい人とか弱い人たち、特にコロナの中で苦しむ人たち、女性たちや、そういう人たちの声を国会に届けたいという気持ちで活動してきたんですけど、それができなくなることが私自身もつらい思いです」

対峙する相手が二手に分かれていたことで難しい選挙戦だったと振り返った。
「国政選挙ですので、自公政権に対しての審判というのが通常だが、大阪の場合は維新の大きな力があるということで、少しやりにくい選挙だったと思う。でも維新の10区の候補者だけではなく大阪では大きな支持を得てますので、それは私も自覚していかないといけないと思っています」

この他、自民党幹事長の甘利明(72)は神奈川13区で、前職としては最多の当選回数17回だった立憲民主党、小沢一郎(79)も岩手3区で議席を失い、比例代表でそれぞれ復活当選した。

ベテラン議員の相次ぐ敗戦については、コロナによって新しい生活様式を求められた有権者が、政治にも新しい風を望んだ結果だという指摘もある。
メンバーが入れ替わった新しい国会がそんな有権者の変化を敏感にくみ取り、活発な議論を展開していくことを望みたい。
(文中敬称略)