オリンピックに観客が!
無観客じゃないの?

東京オリンピックは、新型コロナウイルスの感染拡大によって、開会式をはじめ競技のほとんどが無観客となる異例の大会となった。
こうした中、宮城県ではサッカーの競技が観客を入れて行われた。
宮城県知事・村井嘉浩は、なぜ“有観客”を決断したのか。そして、五輪招致の原動力となった“復興五輪”の成果はあったのか。
(家喜誠也)

宮城は観客を入れた

東京オリンピックの男女サッカー予選10試合の会場となった、宮城県利府町にある宮城スタジアム。7月31日まで6日間にわたって熱戦が繰り広げられた。

開会式をはじめ、ほとんどの競技が無観客で行われる中、数少ない観客を入れての競技だった。

宮城県知事の村井嘉浩は、開会式に先立って7月21日に行われたサッカー女子、中国対ブラジルの試合を視察していた。観客の数はおよそ3000人。

試合のあと村井は記者団に対し、満足げにこう振り返った。

「ここに至るまで3年間準備してきて、まさに感無量だ。これだけ大きな世界的スポーツイベントを観客も入れて粛々と行い、感染者も出さないんだということを示す絶好の機会だ」

27日に開催された、なでしこジャパンの試合のあとには、ロッカールームに感謝するメッセージが残されていた。

大会中止を求める声すら上がっていた中で、村井は、なぜ観客を入れることにこだわったのか。
村井の説明から、その経緯をたどる。

橋本会長から再三の電話

7月8日に行われた、大会組織委員会と政府、東京都、IOC=国際オリンピック委員会、IPC=国際パラリンピック委員会の5者会談などで、東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県の会場を無観客とすることが決定した。
一方、宮城、福島、静岡の3県は、収容定員の50%か上限を1万人として観客を入れて開催することになった。
茨城県は競技会場のある自治体などの児童・生徒たちが観戦する“学校連携”のみで、北海道については引き続き検討することになった。

この会談の決定の前、村井の電話が鳴った。大会組織委員会会長の橋本聖子からだった。
「宮城では観客はどうしますか?入れますか?」

村井は「県内では、ほかのスポーツイベントは観客を入れてやっている。オリンピックだけやれないというのはおかしい。宮城はやれると思う」と観客を入れるべきだと主張した。

しかし、翌9日の夜遅く、組織委員会は北海道からの意向を受けて、札幌ドームで開催するサッカー競技はすべて無観客にすると発表。
さらに、福島県知事の内堀雅雄も無観客での開催に傾いていた。

10日の朝、再び村井に橋本から電話があった。
橋本は、福島県から無観客で開催するよう要請があったことを明らかにし、宮城はどうするか尋ねてきた。

この時点で、観客を入れると主張するのは、自転車競技が行われる静岡県知事と村井の2人のみだった。
しかし村井は「有観客で大丈夫、方針に変わりはない」と答え、考えを変えなかった。

橋本の電話から村井は、組織委員会の主体性を感じられなかったと振り返る。
組織委員会は、自治体の意向に影響されすぎているのではないかと感じていた。

仙台市長は断固反対 村井は孤立無援に

橋本とのやりとりが続く中、仙台市長の郡和子は村井に無観客にするよう、再三にわたってメールを送っていた。仙台市はスタジアムのある利府町に隣接している。

これに対し村井は「仙台市内の野球のオールスターゲームも観客を入れる。五輪だけ無観客に方針変更するのは難しい」と断り続けていた。

こうした村井の態度にしびれを切らした郡は13日の記者会見でこう言い放つ。

「多くの観客が仙台市を経由して移動し滞在することが予測される。(県外の)緊急事態宣言地域からの人流の増加は、感染の再拡大に繋がると強く懸念している。組織委員会に無観客での開催を要望する」

これに対し、村井はすかさず報道陣を集めて応戦する。

「仙台市以外の首長や、経済団体などからは観客を入れてやるべきだという声を寄せていただいている。反対なのは郡さんだけだ。賛否両論あるが、総合的に判断するのが私の役目だ」

しかし、村井に同調する声は少なかった。

16日には、仙台市中心部で無観客を求めるデモが行われた。
県庁には、村井の方針に抗議する電話やメールが2000件以上も寄せられた。

さらに、新型コロナ対策でひょうそくを合わせてきた地元の医師会や東北大学病院などの医療関係者も無観客を求めた。

まさに、村井は孤立無援だった。

“引くに引けぬ”市長の事情

隣町で行われる試合にモノを言う郡には、世論に敏感にならざるを得ない理由もあった。
再選を目指す、みずからの市長選挙を控えていたのだ。

市長選挙の告示日。
村井は、郡の街頭演説でマイクを握っていた。

郡の当選が確実視される中、県都仙台との連携を重視するため応援に駆けつけた。

しかし村井は、開口一番、皮肉をぶちまけた。

「“有観客”の第一声にお集まりいただき、ありがとうございます。オリンピックは有観客がダメでも、この第一声は大丈夫です」

無観客を主張する郡が、街頭に集まる“観客”を前に演説を行うことへのあてつけだった。

このひと言に、郡の顔は引きつった。

県の関係者は「世論は無観客が大勢になっていて、郡さんも選挙を意識して無観客を強硬に主張しなければならず、引くに引けなかったのだろう」と郡にも事情があったと察している。

観客の有無をめぐるお互いの主張は平行線のままだった。

有観客に向け対策も

村井は、ある対策を講じる。
宮城でオリンピック競技が始まる7月21日に合わせて、仙台市内全域の酒を提供する飲食店などに営業時間の短縮を要請することを決めたのだ。

多くの観客を入れることを実現するためにはこのタイミングでの判断が必要だったと、村井は振り返った。

「感染の急拡大の兆候があり、少しでも早い対応が必要だった。時短の開始日はいくつか選択肢があったが、21日からがベストだと判断した。宮城スタジアムでの初戦も同じ日で、この日から時短を始めれば、観客が仙台市内で夜に飲みに行けなくなり、結果として安全性が高まるだろうと考えた。オリンピックは関係なく必要な対応ではあったが、飲食店の皆さんは、景気が戻って安堵していた中、申し訳なく、苦渋の決断だった」

観客にこだわった本心は

感染が拡大し全国から厳しい目が向けられる中でも、観客を入れて試合を行うことにこだわった本心は何だったのか。

村井から出たのは“復興五輪”という言葉だった。

「東日本大震災から10年が経って、復興した姿を世界の皆様に知ってもらい感謝する気持ちを伝える。そんなオリンピックにしたかったし、たとえ観客がわずかだとしても無観客とでは大きな違いがある」

10年前の東日本大震災では、スタジアムを含む周辺が支援隊の基地として使われ、体育館は遺体の安置所にもなっていた。

知事として、発生時の初動から復旧・復興の指揮を取った村井にとって、この場所で観客を入れてオリンピックを開催することは何よりも重要なことだったと言う。

「このような場所で平和の祭典、オリンピックが開かれるということに、復興五輪としての意義を感じる。必ずその場所でにぎわいを取り戻し、さらなる復興の足がかりにしたいという思いだった。この程度の観客数では、経済面ではあまり意味は無いことは分かっているが、それでも観客を入れて復興五輪を成立させることを優先させたかった」

そして村井は、同じ被災地として福島県と一緒に復興五輪を発信したかったと振り返った。

“復興五輪” の成果は

“有観客”の開催を終えて、村井は会見で振り返る。
「有観客、やって良かったと思う。外国人はおらず、感謝を伝えることがなかなか達成できなかったが、来ていただいた方々には感謝の気持ちが伝わった部分もあり、当初の目的が全く果たせなかったというとそうではないと思う」

一方、有観客に反対してきた仙台市長・郡もこの日「有観客でやったということは復興の発信に一定程度意味があったが、復興五輪の大きな旗印は残念ながら表現するのは難しい状況だった」と総括した。

「復興した宮城を世界中にアピールし、感謝を伝える」
村井はそうした歓迎ムード一色の“復興五輪”を思い描いてきた。
“復興五輪”としての成果はあったのか。
村井は会見で語気を強めた。
「復興五輪で全く無かったということでは決してない」
(文中敬称略)

仙台局記者
家喜 誠也
2014年入局。宇都宮局を経て2019年8月から仙台局。宮城県政を担当し村井知事を取材。趣味はスキー。