深まるデニーとの溝
議長vs知事の真相は

知事選を来年に控えた沖縄。
与野党が伯仲する沖縄県議会でキャスティングボートを握る議長が、知事の玉城デニーとの間の溝を深めている。
議長と知事はなぜ決別し、対立を強めているのか。
沖縄の政界でいったい何が起きているのか。
(西林明秀、小手森千紗)

相次ぐ前哨戦

7月11日に投開票が行われた、那覇市議選。
来年秋までに行われる沖縄県知事選の前哨戦として注目された。

那覇市議会の定員は40。結果は城間市長の与党で党派を超えて玉城知事を支える「オール沖縄」の勢力が1議席減らして14議席となる一方、自民・公明両党など市長を支持しない勢力が選挙前より5議席増やして19議席と過半数まであと2議席まで迫った。
自民党にとっては、次の衆院選や知事選に向けて大きな弾みとなった。

沖縄では、知事選は県内政治決戦の天王山として特別な意味を持つ。
アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画も絡んで、中央政界も巻き込んで県内を二分する大規模な選挙戦が展開される。
その天王山の前哨戦として、沖縄ではこの半年余りの間に那覇市議選を含めて4つの選挙が行われた。そこで異変が起きている。

赤嶺議長 元々は玉城側

沖縄県議会議長の赤嶺昇(54)。
玉城知事を支える県議会の与党会派「おきなわ」のメンバーでありながら、去年6月の県議選後、自民党が主導する形で電撃的に議長に選出された。
沖縄政界の今後のキーマンと言ってもいいだろう。

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赤嶺はブラジル・サンパウロ生まれ。沖縄からは、かつて多くの県民が豊かさを求めて海外へと渡っていった。ブラジルへの移民は110年以上の歴史を持つ。赤嶺は移民2世だ。

幼い頃、ブラジルの自宅が強盗被害に遭い、11歳の時、家族そろって沖縄に引き揚げてきた。言葉も分からなかったが、最も驚いたのは給食がすべての子どもに平等に与えられることだった。ブラジルの小学校では、家庭の経済状況によって昼食時に食べるものが違っていた。この時の経験から、29歳で浦添市の市議会議員になって以降、子育て・教育支援の重要性を訴えてきた。

赤嶺は、衆議院議員時代の玉城の選挙を10年以上にわたり手伝ってきた。そして2018年の翁長前知事の死去に伴う知事選の時には玉城を支援した。
「我々は玉城デニー氏の態勢構築に向けて、全力で頑張っていく」

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玉城の立候補を後押しして、立候補会見にも同席した。

そんな赤嶺が、この半年間、沖縄の政界で物議を醸してきている。

総理から電話 支援を求められたが…

「菅です。松本さんをお願いします」
今年の初め、赤嶺の携帯電話が鳴った。登録していない番号だった。

電話の相手は、菅総理大臣。
浦添市長選を2月7日に控え、自民・公明両党が推薦した現職の松本哲治を支援してほしいという内容だった。
この市長選も知事選の前哨戦として注目された。
現職市長の松本が、玉城知事を支える「オール沖縄」が支援する新人の伊礼悠記と、激しい選挙戦を展開していた。

浦添市は赤嶺の地元で、前々回の県議選(前回は無投票)では9845票を獲得しトップ当選を果たしている。
その赤嶺に、総理がみずから電話をかけてきたのだった。与党内の分断を図ろうとしたのだろうか…
しかし赤嶺は態度は明確にせず、動かなかった。

応援が逆鱗に触れた

そんな中、玉城のある行動が赤嶺の逆鱗に触れる。
市長選の告示後、玉城が伊礼の応援に入ったのだった。

伊礼は、アメリカ軍那覇軍港の浦添移設計画に反対を訴えていた。
那覇市にある那覇軍港を、浦添市沖に移設する計画は、経緯と立場が複雑に入り組んだ基地問題の一つで、選挙戦の争点となっていた。

玉城を支える与党のうち共産党は、移設ではなく無条件の早期返還を求めているが、沖縄県は亡くなった翁長前知事時代から移設を容認する立場だった。

「軍港移設反対を打ち出している候補に応援なんて、翁長さんへの裏切り。来年の知事選を見据え、みずからを支援する共産党の顔色をうかがっての行動だ」

赤嶺の目にはそう映った。

与党が野党候補を推薦!?

玉城の応援入りから2日後の2月5日、赤嶺は驚きの行動に出る。
赤嶺が所属する県政の与党会派「おきなわ」が、2か月後の4月に予定されていた、うるま市長選で、自民が推薦する元うるま市議の中村正人に推薦を出したのだ。

うるま市長選も知事選の前哨戦として位置づけられ、玉城知事を支える「オール沖縄」が支援する沖縄国際大学の名誉教授、照屋寛之との一騎打ちが予定されていた。

与党会派が野党が推薦する候補を推薦するという異例の展開に県内政界に激震が走った。
「知事の浦添入りが、この決断に踏み切らせたと言っても過言ではない。ただの推薦ではなく、知事と対立していくという意味を込めた推薦だ」

電話ごしで記者にそう語る赤嶺の言葉には、玉城への対決姿勢があふれていた。
これは同時に、玉城の足元を大きく揺さぶることを意味していた。

県議会では、与党が25議席に対し、野党・中立があわせて23議席と、2議席差できっ抗している。赤嶺の少数与党会派「おきなわ」は、所属議員が3人と少数ながらも県政のキャスティングボートを握っているのだ。

つまり、赤嶺の行動は、知事を支える与党が今後、過半数割れを起こす可能性を意味している。
これまで表だった知事批判をしなかった赤嶺が、知事への敵意を鮮明にした瞬間だった。

一方の玉城。

記者の取材に対して、赤嶺の行動をこうこぼした。
「はあ?と言いたくなるね。県政を批判したいだけがための行動だ」

玉城を支える「オール沖縄」からも、赤嶺への批判が相次ぐ。

玉城側近の県議は「化けの皮が剥がれた。彼は正真正銘『オール沖縄』ではなくなった。徹底的に干してやる」と勢い込む。

加速する玉城批判の末

うるま市長選の告示日。

「この沖縄県は、離島県でありながら、コロナの感染が蔓延している。はっきり申し上げます。玉城県政のコロナ対策は失敗でございます。沖縄の経済、いまの沖縄の状況は人災ではないかと思います」

赤嶺は、自民が推薦する中村候補の街頭での応援で玉城批判を加速させる。
あからさまに玉城の県政運営をたたいて、中村陣営を湧かせた。
赤嶺は取材に対し「思ってたことを言っただけ」と言ってみせた。

当選したのは中村だった。開票を見守る中村のすぐ後ろには赤嶺の姿があった。

赤嶺が地盤のないうるま市で、実質的な選挙支援をできた訳ではなかったが、玉城に弓を引き始めたことを世間に強く印象づけた。

玉城は語った。
「私の力不足ですよ。ひっくり返せた選挙ですから」

浦添市長選に続き2連敗を喫し、知事選を控える玉城にとっては、手痛い結果となった。

最大の感染拡大の波を “玉城おろし”に

5月に入ると沖縄は感染拡大の波に襲われた。
大型連休の直後から新規感染者数は増え続けた。5月下旬には人口10万人あたりの新規感染者数が全国最悪にまで悪化し、新規感染者数が初めて300人を超えた。県民がこれまで経験したことがない感染拡大の波に突入した。

新規感染者数が300人を超えた夜、赤嶺は自民党と公明党と共同で記者会見を開いた。

その会見で配られたペーパーは3者連名で、驚くべき文言が書かれていた。
「新型コロナウイルス沖縄県対策本部長に担当の副知事を充てることを求める要請」

つまりは、新型コロナの陣頭指揮を執る対策本部長から、玉城を引きずりおろそうとしたのだった。

玉城にこれ以上、沖縄のコロナ対策を任せておけないという赤嶺の決意の表れだった。

決別 その狙いとは

来年の知事選に向けて、沖縄ではこのあとも重要な選挙がめじろ押しだ。
名護市長選、石垣市長選、沖縄市長選、そして、知事選、直後には那覇市長選と続き、いずれも知事選に直結する重要な選挙となる。

県議会の中では、赤嶺が知事選への立候補を目指すのではないかとの見方がある。
3年前に翁長前知事が亡くなった直後、赤嶺の名前が知事候補として挙がったこともある。
狙いは何なのか。本人に聞いてみた。

「それは自分が決めることではない。一県議が出たいですと言って自分から手をあげるものではない」

では、知事選で赤嶺はどう動くのか。

「より良い人材が出れば、その人が『オール沖縄』でも自民でも応援する。玉城県政でもう1期やると、県民の命と生活は守れない」
玉城との決別を明確にしてみせた。

「政治の世界は甘くない」

こうした動きに対して、玉城は警戒感を強める。

玉城は周囲に語気を強めてこう語っているという。
「赤嶺が知事選に出たいのは、前から目に見えている。ここまでの行動をとる魂胆には、最後は自民党とくっつくところまで描いているんだろう。ただ政治の世界はそんなに甘くないと彼に伝えたほうがいい」

自民はいまだ玉城の対立候補を立てられていない。
依然、根強い人気がある玉城に立ちはだかる候補は出てくるのか。そして赤嶺はどう動くのか。

秋までに行われる衆院選もにらみながら、沖縄の政界は来年秋に向けて早くも熱を帯び始めている。
(文中敬称略)

沖縄局記者
西林 明秀
2015年入局。松江局を経て2020年から沖縄局。玉城デニー知事の担当。大学のゼミで沖縄の基地問題を学ぶ中、大田・稲嶺元知事に直接話を聞いたことも。
沖縄局記者
小手森 千紗
2017年入局。岐阜局を経て2020年から沖縄局。赤嶺昇議長の担当。大学生時代、沖縄で戦没者の遺骨収集に参加した。