競技場から観客が消える
五輪直前 どう決まったのか

東京は、7月12日から、4回目となる緊急事態宣言の期間に入った。
都民や事業者からは「またか」と、ため息が漏れる。
東京オリンピックも宣言下での異例の開催となり、ほとんどの会場が無観客となった。
宣言の発出と無観客での開催は、いかにして決まったのか。
その舞台裏に迫った。
(瀧川学、青木新、今井美佐子、成澤良、野中夕加)

4回目の緊急事態宣言を決定

「東京は緊急事態でいく」

7月7日、水曜の夜。
総理大臣の菅義偉は、官邸の執務室で、関係閣僚を前に、こう述べた。
いつもと変わらない、淡々とした口調だったという。

通称“5大臣会合”と呼ばれる会合で、東京に4回目となる緊急事態宣言を発出する方針が決まった瞬間だった。
メンバーは菅のほか、官房長官の加藤勝信、新型コロナ対策を担当する経済再生担当大臣の西村康稔、厚生労働大臣の田村憲久、国土交通大臣の赤羽一嘉の5人。

会合の直前、東京都は1日に920人の新規感染者数が確認されたと発表した。
5月13日以来の900人超えで、18日連続で前の週の同じ曜日を上回っていた。

“5大臣会合”で方針が固まった

“5大臣会合”は、緊急事態宣言の発出や延長、解除など、新型コロナ対策で重大な政府方針を決定する際に開かれる。
前日の6日火曜にも開かれ、午後3時から1時間にわたって協議が続いた。
官邸をあとにした閣僚たちは、記者団の問いかけに対し、口々に「感染状況の報告」とだけ繰り返し、意思決定はされなかったことを強調した。

しかし、実は、この日の会合が、宣言の発出を方向付ける場となっていたのだ。

「専門家のシミュレーションでも、今月には東京の感染者数は1000人を超えます」

事務方が感染状況を説明したのに続き、西村が口を開いた。
西村は、変異ウイルスの影響で春に感染が急拡大した大阪に対し、早めに宣言を出した東京では比較的、感染を抑えられたと強調した。
田村も「感染者数の増加が続くのは確実だ」と続き、人の移動が活発になる夏を前に対策の強化を訴えた。

この日の会合では、▼東京に宣言を出す案のほか、▼まん延防止等重点措置を延長する案、▼首都圏の1都3県に宣言を出す案など、複数の選択肢が示された。

これに対し、官房長官の加藤が「東京は早めに出した方がいいんじゃないか」と発言し、宣言を発出する流れができた。
そして、菅も「必要なら、宣言にすればいい」と容認した。

“5大臣会合”のメンバーの1人は取材に対し、6月下旬に東京に出されていた3回目の宣言を解除した際、菅に「7月中には、再度の宣言が必要になる」と伝えていたと明らかにした。
その上で「6日の“5大臣会合”の段階で、すでに総理も腹を決めていたのではないか」と菅の心情を推察した。

観客の扱い 組織委などの5者会談で

東京に宣言を発出する今回の方針は、これまでとは違った大きな意味をもっていた。
東京オリンピックの観客の扱いに影響を与えることになるからだ。

観客の扱いは、大会組織委員会、東京都、IOC=国際オリンピック委員会、IPC=国際パラリンピック委員会、政府の5者による会談で決めることになっている。

政府が決定する宣言や重点措置のもとで講じられるイベントの開催制限を踏まえて対応する仕組みになっていた。

しかし“5大臣会合”でも…

観客の扱いを決める場ではないものの、“5大臣会合”でも議論が行われたという。

「もし、オリンピックの直前や大会期間中に宣言を出すことになれば、混乱を招く」

「無観客になるのであれば、テレビ観戦するよう呼びかけ、選手を応援しつつ、感染拡大を防ぐという意味でも、国民がひとつになる大会を発信すべきだ」

取材で得られた“5大臣会合”のやり取りからは、無観客での開催も視野に入れながら、宣言の発出が方向付けられていったことがうかがえる。

緊急事態宣言「意外な判断」 なぜ?

一方、東京への宣言の発出について、政府・与党内では「意外な判断だ」と受け止める向きもある。
宣言は、私権の制約を伴う措置のため、慎重に検討すべきものとされている。
さらに経済への打撃も甚大なため、そもそも、菅は宣言の発出に慎重だと見られていたからだ。

東京の状況を見ても、新規感染者数は、宣言の発出が視野に入る「ステージⅣ」だったが、病床のひっ迫度合いは「ステージⅢ」の水準で踏みとどまっていた。

当初の予想を上回るスピードで進むワクチン接種によって、高齢者の重症化率が目に見えて下がってきていた。それなのに、なぜ宣言の発出に踏み切ったのだろうか。
実は、菅自身が感染対策の切り札として強くこだわってきたワクチン接種の進ちょくが、判断を後押しした形になったことが取材で明らかになった。

「最後の宣言」「最後の我慢」

2日間にわたる“5大臣会合”。
宣言の扱いと同時に多くの時間が割かれたのは、「どうすれば、国民や都民の協力を得ることができるのか」という点だった。
東京では、ことし1月から宣言と重点措置が繰り返され、いずれもない期間は、年始の1週間と、3月から4月にかけての3週間のあわせて4週間しかない。

都民の「自粛疲れ」もピークに達している中、営業時間の短縮要請にもかかわらず、深夜まで営業し、酒を出している店が増えているという情報も多く寄せられ、政府関係者は焦りを募らせていた。

そうした中で宣言の発出方針を決めた7日の“5大臣会合”では、国民に協力を呼びかけるため、あるキーワードが共有された。

「最後の宣言」と「最後の我慢」

会合のメンバーの1人は、こう解説する。
「単に自粛をお願いするだけの宣言では、国民の協力を得るには限界がある。ワクチンの接種が進み、出口が見えつつある状況だからこそ、これまでとは違って、前向きに『最後の宣言』、『最後の我慢』に協力を訴えていくべきだという議論をした」

別のメンバーは「感染を抑えないといけない、オリンピックも成功させなければいけないという、総理の覚悟がにじんでいた」と振り返った。

緊急事態宣言でも観客を

7日の“5大臣会合”で方針が固まった直後、NHKをはじめ報道各社が速報で4回目となる緊急事態宣言の発出方針を伝えた。
ただ、政府内でオリンピックを担当する幹部は、この時点では観客を入れて開催できる可能性はあると踏んでいた。
宣言のもとでのイベントの開催は、会場の収容定員の50%までか、5000人のいずれか少ない方を上限とし、時間は原則、午後9時までとする政府の基準が維持された。
これまでプロ野球やJリーグの試合などでは、感染対策を講じながら、観客を入れて開催してきた実績もある。

この幹部は、取材に対し「官邸は『イベントの上限は維持し、観客の判断は、東京都の小池知事に委ねる』というスタンスだった。『政府は、無観客を判断したのではなく、オリンピックを有観客にする余地を最後まで残した』というのがファクトだ」と話した。

「どうにか観客を」組織委の思惑

一方の大会組織委員会。
開催都市の東京都、ホスト国である日本政府、それぞれの意向を汲みながら、運営面を一手に担う、いわば「イベント屋」的な役回りだ。
イベントに観客は欠かせない。
当然ながら、政府と同様に、観客を入れて開催することを目指してきた。

理由にはいくつかある。
観客をフルで入れた場合に、900億円を見込んでいたチケット収入を少しでも確保したいという財政面での思惑。
また、コロナ禍の新しい社会でも、観客を入れた大規模イベントが可能だということを世界に発信する意義。

そして、組織委員会の会長であり、自身も選手として7回出場した橋本聖子には、オリンピアンとしての特別な思いもあった。

声援に力をもらい、声援の主にも力を与える。

アスリートと観客の間に生まれる輝かしい瞬間を、この日本で大勢の人に体験してもらいたいというのだ。

しかし、現実に目を向けると、その思いを実現させるには困難を極めていた。
開幕直前になっても観客の扱いは決まらず、医療スタッフの配置や輸送計画など大会のあらゆる準備に遅れが生じていた。

7月7日、東京都に緊急事態宣言を出す方針が固まることになるが、この日の朝、メディア各社が観客を巡る観測記事を報じる中、職員から悲痛な声が漏れた。

「もうどっちでもいいから早く決めてくれという感じ。現場は大変な状況になっている」

小池知事の意向を探れ

オリンピックに観客を入れるのか、それとも無観客とするのか。
カギを握るのは、東京都知事、小池百合子の意向だ。
その意向を確かめようと、組織委員会、そして取材する私たちの間でも、臆測が飛び交う。

その日の夕方、同僚記者から慌てた声で電話が入った。
「組織委員会の幹部が、小池知事が夜のぶら下がり会見で都内会場の観客について表明するのではないかと構えている」

直後に取材した別の幹部も「小池さんがお話になるんだって?」と気にしていた。

しかし、夜8時半すぎに行われた会見でも、観客についての言及はなかった。

ただ、この時、組織委員会では東京都と水面下でやりとりを進め「都内会場は無観客」となることを想定した準備を進めていたという。
関係者が明かす。

「事務方から伝わる感触としては無観客だった。緊急事態宣言でも上限5000人を入れられるが、菅総理が無観客も辞さないと発言していたし。ただ、事務方から来る話と、政治的な動きが一致するかどうかはわからないから」

「イベント屋」に、政治家の「政治判断」を推しはかるのは難しいものの、来たるべき時が来る、そんな気配を感じていたのだろうか。

さらに8日午前、橋本と小池が前夜から朝にかけて連絡を取り、無観客を示唆したらしいという話がかけめぐる。

後日、周辺を取材すると、「無観客」ということばは使われなかったようだ。
「橋本会長と小池知事とのやり取りでは、知事からは無観客とは言わなかったようだ。観客を入れるのは難しいですかね、そうですね、というようなやり取りだったようだ」

組織委「都内会場は無観客」の方向へ

水面下の協議と、トップどうしの繊細なやりとりで感触を探り、組織委員会は「都内会場は無観客」の方向へと、かじを切ることになった。
そして、大会準備の遅れを取り戻すためにも、東京都以外の知事の意向調査を急いだ。午後8時からの5者による会談と、その後の関係自治体による連絡協議会が開催できる見通しがたったのは、午後6時をまわっていたという。

5者会談から記者会見まですべての公務を終え、橋本がオフィスを後にしたのは午前0時を回り、すでに日付が変わっていた。

「小池知事の意思は固かったか」という記者団の問いに橋本は「うん、固かった。すごく強かったね」と短く答えて、こう続けた。

「でも、この判断によって、大会を開けるんだと思ってもらって、みなさんに応援してもらえれば」

すべては安全安心の東京大会を実現するために。橋本にとっても重い決断だった。

小池知事 無観客はいつ決断?

政府、組織委員会など関係者が知りたがった東京都知事、小池の意向。
そもそも、小池はどの時点で「無観客」での開催を決断したのだろうか。

東京都に3回目の緊急事態宣言が出ていた5月中旬。
東京オリンピック・パラリンピックを中止すべきだという声も少なくない中、記者会見でこんなやりとりがあった。
東京都議選も間近に控え、オリンピックの中止も念頭に政局を絡めた記者の質問に対し、小池が語気を強めて否定したのだ。

(記者)
「最近、知事がオリンピックに対する発信・発言にあまり積極的でなく、『知事が黙り始めると何か起きるのではないか』という指摘が出ている」

(小池)
「色々な状況の中でスポーツ大会は開かれている。政局絡みで語られるのは、いかがかと思う。安全・安心をどうやって担保するか、まさに今、IOC、組織委員会、国を挙げて対策を講じ、しっかりと進めていくことについては変わることはない。もうそのひと言に尽きる」

6月21日、東京都の宣言はまん延防止等重点措置へと移行するが、感染状況はじわじわと悪化。雲行きは再び怪しくなっていく。

小池知事 「無観客も軸」

翌22日、都議選の告示を3日後に控える中、小池が急きょ入院し、公務を離れることになった。過度の疲労ということだった。
8日後、退院した小池はコメントを発表した。

「新型コロナウイルス対策の只中、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の直前という大切な時期に公務を離れ、多くの方々に御心配、御迷惑をおかけしたことを、心よりお詫び申し上げます」

そして、退院後最初の記者会見で、オリンピックの開催形式で踏み込んだ発言を見せる。

「感染状況をよく注視しながら、どのような形がいいのか、無観客も軸として考えていく必要がある」

政府・与党と水面下の調整

実は、この前日の7月1日、政府・与党のトップ2人も「無観客」に言及していた。

菅首相
「先般、記者から『緊急事態宣言の時はどうするのか』という質問をいただいた時に『無観客もありうる』と私から明言している」

公明党 山口代表
「無観客も視野に入れながら、機を逃さずにきちんと決めてもらいたい」

「無観客も軸」という小池の発言は、菅や山口よりもやや踏み込んだ印象を与えた。

7月5日。都議選では絶妙の立ち回りによって、「無観客開催」を公約に掲げた都民ファーストの会を“大健闘”の結果に導いた翌日。
小池の動きは目まぐるしかった。
午前中の菅との電話会談に続き、午後は山口、自民党幹事長の二階を個別に訪問した。

都の関係者によると、小池は、いずれの会談でも、都議選後の都政運営への協力を求めるとともに、緊急事態宣言が出される場合も想定し、オリンピックの無観客開催の可能性に言及していたという。

選択肢はなくなっていた

この頃、無観客への流れを決定づけるかのように、東京都の感染状況はさらに悪化する。
7月7日、およそ2か月前以来、新規感染者が900人を超えた。

この日の夕方、小池は、都庁で、政府の分科会会長の尾身茂と向き合った。そこで、尾身は、小池にこう警鐘を鳴らしたという。

「今、緊急事態宣言をかけなくても、オリンピック・パラリンピックの期間中には必ずかけることになる」

この日の夜、政府は東京都にとって4回目となる緊急事態宣言を出す方針を決めた。
すでに流れは決していた。最終的には、小池の意向というよりも、覚悟していた「無観客」以外に選択肢はなくなっていたというのが正直なところではないか。

都の幹部は小池の心情をこう解説する。
「知事が最も気にしたのは世論だ。緊急事態宣言が出れば事業者や都民に引き続き負担を強いることになる。収容人数の50%、5000人以下であっても、観客を入れるとなったら大きな批判を受けかねない。オリンピックへの批判にとどまらず、都の要請に応じない人や事業者が増えて、結果的に感染を抑えられなくなるおそれがあるという強い危機感があった。それだけは避けようと、政権幹部と方向性を確認しておく必要があった」

断腸の思い

小池は「無観客」が決定した後の記者会見で悔しさをにじませた。

「断腸の思いだが、ぜひ、家族で、自宅で、安全・安心に大会を存分にご覧いただきたい。何としても感染の拡大を抑え、安全・安心な大会として成功に結びつけていくことが東京や日本の貴重なレガシーになると考えている」

正念場は続く

政府関係者によると、無観客が決まった5者会談の場で、IOC側からは、「なぜ、東京ドームの巨人戦には観客が入っているのに、オリンピックには入れられないんだ」「オリンピック差別ではないか」といった指摘も出されたという。
一方、永田町では、「無観客にするなら、もっと早く決定すべきだった」「いくら損害が出たとしても、いっそのこと中止するべきだった」と、さまざまな声が聞かれる。

9月には自民党総裁の任期満了、そして10月には衆議院議員の任期満了が控える。
菅は、衆議院の解散・総選挙も見据え、大会期間中の感染拡大を何としても回避し、オリンピックを成功させたい考えだ。

一方、宣言の発出にあたり、政府は、飲食店への協力金の支給の迅速化とともに、金融機関から飲食店に働きかけを行ってもらうと表明した。
飲食店での感染対策を徹底する必要に迫られたからだが、「お金を貸す側の金融機関の優越的な地位を使うつもりなのではないか」という批判が相次ぎ、わずか1日で撤回を余儀なくされた。

また、緊急事態宣言の対象地域などで酒の販売事業者に対して、酒の提供禁止に応じない飲食店との取り引きを行わないよう要請した対応について、政府は、与党からも反発が相次いだことを踏まえて撤回した。

日本の感染症対策は、諸外国のような都市封鎖はできず、不要不急の外出自粛を呼びかけるなど、国民の協力を前提に成り立っている。
一連の経緯からは、国民の協力が得られにくくなっている現状に対する、政府の焦りも透けて見える。

緊急事態宣言の期限となる8月22日までに感染を抑え込み、「最後の宣言」と「最後の我慢」にすることができるのか。
ほとんどが無観客となったオリンピックは、どのように歴史に刻まれることになるのか。
菅政権の正念場は続く。
(文中敬称略)

政治部記者
瀧川 学
2006年入局。佐賀局、福岡局を経て2011年より政治部。沖縄局を経て再び政治部。官邸クラブで新型コロナ対策などを取材。
政治部記者
青木 新
2014年入局。大阪局が初任地で、2020年から政治部。官邸クラブで、丸川オリンピック・パラリンピック担当相の番記者。
スポーツニュース部記者
今井 美佐子
2001年入局。岐阜局を経て、2006年よりスポーツニュース部。名古屋局を経て、現在、組織委員会キャップ。スポーツクライミング、車いすテニスを担当。
首都圏局記者
成澤 良
2004年入局。神戸局、政治部を経て2018年から都庁担当。現在、都庁クラブのサブキャップを務める。
首都圏局記者
野中 夕加
2010年入局。松江局、広島局を経て、2019年から首都圏センター、首都圏局で多摩報道室などを担当。現在は都庁クラブでコロナ対策やオリンピックなどを取材。