コロナで父を亡くした男は
町長になった

「父親の遺体は、感染防止のためにシートにくるまれていました。なぜ父親なのか…という気持ちでした。悲しいというか、悔しさが残るんです」

新型コロナウイルスで父親を亡くした男性のことばです。
その男性は今、三重県中南部にある小さな町で、町長として感染対策の最前線に立っています。

なぜ、父親は死ななければならなかったのか、そして今、自分にできることとは。男性の“思い”を聞きました。
(周防則志)

父親との“シート越し”の別れ

「それまでは、はっきり言うと“他人事”みたいなところもあったんですよ。感染者がまだあまり出ていない地域でしたし、まさか自分の周り、それも両親が感染するとは思っていなかったので」

服部吉人さん(62)は、当時を思い返し、そのように語ります。

ことし1月、大紀町内に住む両親が、新型コロナウイルスに感染しました。

3月に行われる町長選挙に立候補を予定していた服部さん。選挙にどのような影響が出るか頭をよぎりましたが、両親の状態については、あまり心配していなかったと言います。

「感染がわかった時点では、症状がそれほどなかったんです。病院に行くときも『気をつけて行ってこいよ』と言ったくらいで。まぁ、2週間たったら退院できるのかなという感じでした」

母親は次第に回復し、およそ2週間で退院できました。しかし、91歳と高齢の父親は容体が悪化したこともあり、入院が続きました。

母親の退院から3日後の朝。
「血圧が上がらない」と、病院から服部さんの姉に連絡がありました。姉の家族は、すぐに病院に向かったと言います。

しかし、選挙準備に追われていた服部さん。病院に向かうことになったのは、「危篤になった」との連絡を受けた、夕方からでした。

姉の家族は、防護服を着るなどの感染対策を取って、父親にどうにか会うことができましたが、服部さんは間に合いませんでした。

妻と駆けつけた服部さんは、遠目にしか父の姿を見ることができませんでした。

翌朝、服部さんが対面したのは透明のシートに包まれた父親の姿でした。

「顔の所は見えたんです。病院でとても丁寧に対応してくれたんだなと思いました。でも、やはり透明のシートに包まれている父の姿を見ると、悲しいなという思いがこみ上げてきましたね」

それまでまっすぐ前を見て話していた服部さんですが、このとき初めて、目線を落としました。

本来なら、自宅できちんとお経を上げたり、告別式を行ったりするところですが、それもできず、父親は、そのまま火葬場に行くことになったといいます。

棺の中にものを入れることもできないまま、シート越しに親族だけで最後の別れを告げることになりました。

撤退しない“決意”と広がる“うわさ話”

「父が亡くなっても選挙には出る。でも、苦戦するかも知れない…」

地元の高校を出て、合併前の村役場に入ってから42年の公務員生活。去年の夏、副町長を最後に役場をやめ、選挙の準備を進めてきた服部さん。
後援会での活動など、すでに多くの人に協力をしてもらっている中、“撤退”の選択肢はあり得ませんでした。

ただ、父親の感染と死が、選挙に与える影響は大きいのではないか…。不安が押し寄せてきたと言います。

そんな服部さんに追い打ちをかけたのが、“うわさ話”でした。

「服部さんも感染しているらしい」
「それだけじゃない、妻も感染しているらしいぞ」

ことしに入るまで感染者が確認されていなかった大紀町。人口わずか8000人の町に根も葉もない話が広がるのに時間はかかりませんでした。

「精神的にもつらかったですね。自分が感染していたら、周りの人たちにうつしていないか…責任感や不安がどんどん出てくるんです。とはいえ、町の皆さんだって、小さい町なんで、不安にはなりますよね」

選挙戦で訴えた“コロナ対策”

後援会の代表を務める中村直幸さん(75)によると、この時、「とにかく真っ正直に話そう」と対処方針を決めたと言います。
そして、両親の感染の経緯や、それ以外の家族は検査の結果、陰性だったことなどを、後援会の会報で伝えていくことにしました。

「とにかく正確な情報を発信したい強い思いで進めました。私は会報などで情報を発信することができましたが、そうでなかったら、果たしてどうしたかなと…。いずれにしても不安をあおるようなうわさや発言だけはやめてもらいたいです。それを多くの人には伝えたいです」

“感染対策の徹底”
“不安をあおる発言をなくす”

選挙戦に入っても、この2点については特に強調したという服部さん。町内を回る中で、父親の感染についてみずから切り出したり、逆に町民からそのことについて声をかけられたりすることもあったといいます。

正確な情報を伝えることで、徐々にうわさ話は消えていくとともに、町民に自身の思いが届きつつあるという確かな手応えを感じられるようになりました。

そして投開票の当日。

得票数3643票。
対立候補に1400票近くの差をつけて、服部さんは当選しました。

父を失った経験もとに町長として

「痛くなかった?大丈夫?」

毎週日曜日に町内で行われている新型コロナの集団接種。その会場に服部さんはいました。

町長になり、今は町の感染対策の最前線に立つ服部さん。毎週のように会場を訪れ、ひとりひとりに声をかけていきます。

「高齢の方を見ると、父親とかぶるところもあって…。そういう点でも、できるだけ声をかけたいなと思っているんです。副反応などの不安があるという方もいるので、少しでも和らげられたらいいかなと」

町民のおよそ半数が高齢者の大紀町。接種を予約しているおよそ9割の高齢者について、平日の個別接種とあわせて進めることで、7月末には予定通り完了する見通しです。

「もちろん接種は希望された方が受けるものです。父親のことを考えると、やはり命の大事さを知ってもらいたい。できれば1人でも多くの方に打ってもらいたい気持ちがあります」

今、服部さんの心の支えになっているものがあります。

父親が愛用していたという懐中時計です。
服部さんが遺品を整理している中で偶然見つけました。元国鉄の職員で、時間に厳しかったという父親は、この懐中時計を肌身離さず持っていたといいます。

服部さんは、時計を机の上に置いて、時折眺めながら仕事にあたっています。

「父親を亡くした悔しさもそうですが、病気に対しての悔しさがあったんです。こんな思いをする人は、もう1人でも出てほしくない。そして、もし感染者が出たとしても、本人や家族の立場になって、一緒に考えられるような町長になりたいですね」

父親を失ったつらい経験を胸に秘め、服部さんはきょうも町の感染対策の先頭に立ちます。

津局記者
周防 則志
2020年入局 津局が初任地 “地域の課題を解決する”報道を目指している