「こども庁」って本気なの?

「子どもたちの未来に責任を持つために新たな組織の創設を」
「パンドラの箱をあけてしまった」

この春、自民党では「こども庁」の創設に向けた議論が始まり、衆議院選挙の目玉政策にすべきだという意見の一方「過去の失敗」を引き合いに実現を疑問視する声も少なくない。関係省庁の縄張り争いも表面化しつつある。
菅総理大臣の肝いりで誕生する「デジタル庁」に続き「こども庁」は実現に至るのか。その背景と課題に迫る。
(宮内宏樹、関口裕也)

瓢箪から駒の「こども庁」構想

新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、突如として浮上した印象もある「こども庁」構想だが、そのきっかけは何だったのか。話は、ことし1月まで遡る。

通常国会が召集されて最初の日曜の1月24日。
自民党参議院議員の山田太郎は、菅義偉から総理大臣公邸に呼ばれた。

それほど菅に近いわけではないが、おととしの参議院選挙でSNSを駆使した活動で当選を果たした山田は、ネットやSNSの事情通として知られている。
菅が声をかけたのは、若者への情報発信についてアドバイスを求めるのが目的だった。

「総理は自身のツイッターの文章を見ていますか。『きょう誰々に会いました』とか『何々しました』とか書いてるだけで、正直、魂がこもっていません。熱量が足りません」

山田はタブレットを使って、ネット上で菅がどのように評価されているかなどを率直に説明した。そして、ある資料を見せた。
前週に菅が初めて行った施政方針演説の内容を、政策分野別に色分けしたものだ。

「具体的でいいんですが、分かりにくいと思います。4分の1以上が、子どもや周産期医療、不妊治療の問題ですが、デジタル庁と共に『こども庁』のような組織をつくった方が分かりやすい。縦割りと多重行政を廃し、一貫した行政の司令塔が必要です。少子化対策の目玉として国民にダイレクトで強力なメッセージが伝わる」

そして「こども庁」創設の案を手渡した。菅は、ただ聞いていたという。
山田は「正直、総理の腹をつかみきれなかった」と振り返る。

しかし菅の反応は早かった。2日後、官房長官の加藤勝信からの電話が鳴った。

「総理から『こども庁』の資料をもらった。総理がすごく興味を持っている。ぜひ検討したい」

「こども庁」構想が動き出した瞬間だった。

なぜ、いま「こども庁」?

山田は党内の若手議員による勉強会の立ち上げを急いだ。
そして菅と会った翌週の2月2日に初会合を開いた。
山田とともに、この勉強会を仕掛けたのが、元厚生労働政務官の自見英子だ。

なぜ、いま「こども庁」が必要なのか。
小児科医でもある自見は、ある幼児虐待事件を例に挙げた。
3年前、「もうおねがいゆるしてください」と書き残して亡くなった船戸結愛ちゃんの事件だ。

転居に伴う自治体間の引き継ぎが不十分だったため、虐待が見逃されてしまったと自見は指摘する。

「あの事件は自治体と自治体の狭間に落っこちている。結愛ちゃんを不安に思った小児科医は、転居先の児童相談所に電話したが取り合ってもらえなかった。例えば『こども庁』のような、ほかに電話をかける先があったら違ったんじゃないか。『こども庁』ができれば、虐待事案について自治体間の連携にも関わるようにする」

山田と自見は加藤とも水面下でやりとりを続けた。政府内でも、加藤を中心に検討が始まっていたのだ。
加藤は、人目につかないよう議員会館の事務所で、文部科学大臣の萩生田光一や厚生労働大臣の田村憲久らを集め「こども庁」の具体的な制度設計について協議を進めていた。
山田は、加藤と課題の整理や議論の進め方について意見を交わしたと明かす。

「組織論に振り回されると何も前に進まないから、何が必要かを整理するのが大事だよねと言われた。加藤さんは、僕が思っていたより、かなり考えていた」

山田と自見は有識者のヒアリングを重ね、3月16日の勉強会で提言案をまとめた。
立ち上げから1か月余りで提言案をまとめた理由は、衆議院選挙がいつあってもいいようにという思いからだった。

提言案では「こども庁」創設の理由として、保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省、認定こども園は内閣府が所管するなど、縦割りで省庁間の連携が不足していると指摘した。
その上で政策を一元的に担当するため専任の大臣を置き、虐待の防止や不登校への対応、子どもの貧困など政策の立案や遂行に強い権限を持たせることなどを求めた。

みずから根回し

菅はこうした動きを横目で見ながら、周辺に「やろうと思っている」と語っていたという。
3月21日の自民党大会の演説では「こども庁」という言葉こそ出さなかったものの強い意欲をにじませた。

「私自身、なんとしても進めたいのが、未来を担う子どもたちのための政策だ。子どもが生まれ、育ち、学んでいく。その1つ1つに光をあてて前に進めていく」

そして4月1日。
菅は午前中に山田たちから勉強会の提言を「正式に」受け取ると、その日の午後、自民党幹事長の二階俊博と官邸で会談した。そして党内に新たな機関を立ち上げて具体的な検討を進めるよう指示した。

実は、菅は勉強会の提言を受け取る前から、二階に「こども庁の立ち上げに向けて、党で議論を始めるようお願いしたい」と伝える段取りを決めていたという。
党内調整を円滑に進めようと、菅が入念に準備をしていたことがうかがえる。

秋までに行われる衆議院選挙もにらみ、すべては段取り通りだった。

ところが…

「そんなものは実現しない」その背景には

「いくら選挙があるからといって、できもしないことは言うのは良くない」
「菅総理が衆議院選挙のために格好をつけたいだけだろう」

自民党内からは「こども庁」構想を歓迎する一方、冷ややかな声も少なからず聞こえた。
「そんなものは実現しない」とまで断言する閣僚経験者もいた。

こうした冷めた見方がある背景には、過去の失敗がある。
議論と頓挫を繰り返してきた「幼保一元化」構想だ。

文部科学省が所管する「」稚園と、厚生労働省が所管する「」育所。
所管省庁だけでなく、根拠となる法律や対象年齢など、その成り立ちが異なる2つを統合し、制度を一本化しようというのが「幼保一元化」だ。

18年前の2003年、当時の小泉政権は「三位一体の改革」の一角をなす、国から地方への補助金の削減のため、幼稚園と保育所を一元化することを検討した。

しかし保育所と幼稚園には、それぞれ全国組織の業界団体があり、一元化されれば経営が立ちゆかなくなるなどと反発を強めた。業界団体は、自民党内のいわゆる「族議員」の有力な支持組織でもあり、その頂点では、2人の元総理大臣がにらみをきかせていた。
橋本龍太郎と森喜朗である。

当時を知る官僚OBは「厚生労働省は、保育行政の小さなことまで口を出していた橋本さんをだしに使って、議論を進めようとしなかった。文部科学省も、教育関係団体がうるさいと言って消極的な姿勢だった」と証言する。

政治的対立が懸念された中、官房副長官を務めていた古川貞二郎があるアイデアを思いつく。幼稚園と保育所の枠組みを残しつつ、両方の要素を吸い上げた「総合施設」を作ろうという、いわば折衷案だった。
古川から進言を受けた小泉は「いいアイデアじゃないか。すぐに進めてくれ」と指示し、その日のうちに橋本と森の了承も得たという。

結局、幼保一元化は実現に至らなかったが、当時の政権幹部は「『総合施設』をつくるという案は、幼稚園も保育所もつぶすと言っていないところがミソだった。保護者が『総合施設』を選んでいった結果、将来的に幼保一元化の問題が解決すればいいと、一歩でも前に進めたいという思いだった」と振り返る。

引きずる頓挫の歴史

幼保一元化が議論されたのは、小泉政権が初めてではない。
幼稚園と保育所が急速に普及した1960年代から、二元行政の問題点は繰り返し指摘されてきた。
70年代から80年代にかけて、当時の文部省と厚生省が懇談会を設置し、両者の関係のあり方を検討したが、「簡単に一元化できる状況ではない」という結論になった。

90年代に入り女性の社会参加や核家族化が進み、保育のニーズが高まったことを背景に再び検討会などが設置され、政府内で議論が本格化した。
その後、地方分権や規制改革の観点からも議論が及び「一元化すべき」という声は強まったが、議論は長期化する。2001年に発足した小泉政権にまで持ち越されることとなった。

1+1が “3重行政に”

その小泉政権で捻り出された古川の「総合施設」案は、2006年に「認定こども園」という形で具体化された。幼稚園と保育所の機能を総合的に提供できる施設として、保護者が働いている、いないにかかわらず、0歳児から小学校入学前の子どもであれば誰でも利用できるというものだ。

小泉政権で文部科学大臣を務めた河村建夫は、「総合施設」の具体化に向け、文部科学省と厚生労働省の担当者を入れ替えるよう、小泉から指示を受けたと明かした。

「最初、『文科省と厚労省の担当局長を交代させて勉強させたらどうだ』と言われたんだけど、局長の所掌範囲は広いもんだから、なかなか難しいだろうと。そこで、保育担当の課長と幼児教育の担当の課長が入れ替わって、いろいろ研究した」

しかし結局は、当初想定していた形ではなく、より事態が複雑になったと河村は振り返る。

「認定こども園が生まれたが、『どこの役所が見るんだ』という話になり、文科省か厚労省のどちらかに絞るわけにいかんので、結局、内閣府に置くことになった。結果的には“3重行政”みたいになってしまった」

自民 「党を挙げて議論を」

過去のいきさつもはらみ「こども庁」の議論はどうなるのか。
菅が二階に指示してから、およそ2週間後の4月13日。自民党内に設置された新たな機関で議論が始まった。本部長の二階は議論に臨むにあたっての覚悟を強調した。

「子どもの視点に立って改めて施策の見直しを行い、党を挙げて議論を深めていきたい。すべての子どもの未来に責任を持つのが自民党だという覚悟を持って、この問題に取り組む」

党の機関では、有識者のヒアリングを行うなどして議論を進め、衆議院選挙の政権公約や、ことしの政府の「骨太の方針」への反映を目指すことにしている。

うごめく霞が関

「こども庁」創設が政治課題にのぼったことで、霞が関では早速、各省の縄張り争いが始まっている。

動き出しが早かったのが文部科学省だ。
ある幹部は菅が二階に指示した翌日、即座に幹事長室をはじめ党幹部にアポイントを取り相次いで面会した。そして教育に関する政策はあくまで文部科学省が一元的に管理すべきだとして、次のように主張したという。

「保育所を所管する厚労省のこども家庭局と、内閣府のこども園を文科省にもってくるべきだ。その実現のためには『文部科学省』という名前を捨てることもいとわない」

一方、厚生労働省の幹部は「文部科学省は組織の危機を感じて、『こども庁』を自分たちの所管に引っ張り込もうと画策して、いろいろ動いているが、厚生労働省は新型コロナウイルス対策もあり、主体的に動ける暇がない」とこぼす。

4案乱立 どこが担う?

関係省庁の思惑が交錯する中、今回の取材で、少なくとも4つの案が自民党議員に示されていることがわかった。

①文部科学省設置案
「こども庁」を文部科学省の外局にした上で、小中学校の義務教育を担う部局などから、子どもの福祉や保健と関連の深い課の業務を移す。こども政策担当大臣を内閣官房に設けるとしている。

②内閣府設置案A
「こども庁」を各省から独立した組織として内閣府に新設し、義務教育も所管する。

③内閣府設置案B
「こども庁」を各省から独立した組織として内閣府に新設し、義務教育は切り離す。

④こども「省」案
義務教育の幼児までの拡大を検討した上で、義務教育も所管し、庁ではなく「こども省」にする。

いずれも、幼稚園と保育所、認定こども園の所管をまとめることでは一致している。

水面下で案が乱立している状況について、党内議論をリードしてきた山田は次のように指摘する。

「詳細な案が出ているということは、『今度ばかりは再編のメスが入るのは仕方ない』と白旗を上げたという意味であり、再編しやすくはなったのかもしれない。ただ、現存の組織を右につけるか左につけるかの議論は何の意味もない。どこが重複しているのか、どこが不足しているのかの整理をせずに組織の話をしてもナンセンスだ」

では、菅や加藤ら官邸中枢はこの組織論をどう考えているのか。過去に失敗を繰り返してきた「幼保一元化」に再び本気で挑戦しようとしているのか。4月下旬、自民党内の議論のとりまとめ役の議員は、政府高官と面会し官邸側の腹を探った。
加藤が「幼保一元化」の必要性を訴えているという情報があったからだ。
この高官はこう答えた。
「加藤長官もこだわっている訳ではない。できないものはできないと理解している」

「こども庁」の創設に向けどこまで踏み込んだ議論を進めるべきか、党側と官邸側とで落としどころを探る動きが続いている。

選挙にらみ議論活発に

政府・自民党の動きに負けじと、永田町では与野党双方で子どもに関する行政をめぐる議論が活発化している。
公明党は新たに作業チームを設け、子育て世帯の負担軽減策や中央省庁の再編の是非などについて検討を始めた。
これに対し野党側も、立憲民主党が、家庭にも寄り添いながら政策を進める「子ども家庭庁」を設置するため、立法化も視野に対案の検討を進めている。
立憲民主党内には、義務教育に関わる業務も含めて広く一元化すべきだという声もあり、対案がまとまりしだい自民党に示すとともに、与野党での協議を呼びかける考えだ。

いずれも、秋までに行われる衆議院選挙もにらんだ動きだ。新たな組織が担う役割や、中央省庁の再編の是非などで多少違いがあるが、問題意識は各党でそれほど違いがあるようには見えない。具体化に向けて各党が接点を探る動きにつながるかが焦点となる。

組織だけでなく中身も

各党の動きに、かつて小泉政権で「幼保一元化」を検討した官僚OBは、組織をつくるだけの議論では意味がないとクギを刺す。

「今の議論は、枠だけをつくろうとしていて何をやるのか中身がない。選挙に向けた手柄にしたいだけではないか。本当に必要なのか、丁寧に議論しないといけない。政治は『こども庁』を作れば実績として残るが、行政の組織としてはずっと残るわけで、あとで『お荷物』と言われてしまうようでは意味がない。やったような気になる行政は一番よくない」

「こども庁」構想が選挙目当ての単なる組織改編にとどまるのか。それとも、子ども本位で少子化対策や子育て政策を含めた実効性ある政策を立案・遂行する組織をつくれるのか。
菅政権、そして各党の本気度が問われている。
(文中敬称略)

政治部記者
宮内 宏樹
2010年入局。福井局、報道局選挙プロジェクトを経て政治部。自民党の無派閥議員、衆議院などの取材を担当。
政治部記者
関口 裕也
2010年入局。福島局、横浜局を経て政治部へ。自民党二階派を担当。