熊谷人気、なぜそこまで?

次点に100万票以上の差をつける圧勝。
千葉県のリーダーを決める3月21日の知事選挙、千葉市長だった熊谷俊人が当選した。熊谷優勢が伝えられたとはいえ、なぜこれほどの大差がついたのかという驚きの声が与野党双方から上がっている。
31歳で当時の全国最年少市長になり、43歳での知事への転身。
「何でそんなに人気なの?」
取材メモをもとに検証する。
(金子ひとみ、尾垣和幸、岩澤千太朗)

当選確実、そのとき

午後8時。投票締め切りと同時に、熊谷の当選確実を報じた。

支援者の待つ会場に熊谷が現れたのは10分後。
新型コロナウイルスへの対応や災害への備えについて語った。

「まずは新型コロナ対策で市町村との連携を深め、市町村のみなさん、議会と連携をしながら、オール千葉でコロナ対策に取り組み、乗り越えていきたい。災害においていまだに復興できていない地域があります。市町村と連携し、1日も早い復旧復興をしていきたい」

今回、熊谷が得たのは、歴代最多となる140万票余り。
20年ぶりに自民党が推薦を出した、元県議会議員の関政幸に100万票以上の差をつけた「圧勝」だった。

今回の選挙、第一声や政見放送などの各候補の主張がネット上で大きな話題になった。


NHKは立候補した8人に、アンケートを実施。
「政治家を志したきっかけ」や「人生最大の決断」、「人生最大の失敗」など、多岐にわたる質問を投げかけてみた。
千葉県知事選挙立候補者アンケートはこちら

答えは実に多種多様。

高校時代に友人と組んだバンドでチューニングを間違えたまま演奏したのが人生最大の失敗だと語る人、三国志を読んで政治家を目指したという人、バラエティーに富んだ答えが寄せられるなかで、熊谷が答えた「人生最大の決断」は「妻へのプロポーズ」だった。

大久保利通が好き

熊谷は1978年2月生まれの43歳。

ことし1月に高校生との間で開いたオンライン意見交換会では「早生まれで背が低く、人前に出るのが苦手だった。目立ちたくない子どもだったしリーダー的な生き方や生徒会長もしてこなかった」と振り返った。

一方で、「小学生のときから政治に興味があり、中学生になると新聞を読み比べ、日曜はテレビの討論番組を全てはしごするぐらい政治マニアだった」という一面も明かした。


「歴史好きで、戦国・江戸・幕末・明治・大正・昭和と追ううちに現代政治に行き着いた。歴史上の人物では、坂本龍馬とか西郷隆盛のようなわかりやすいヒーローではなく、社会のシステム作りを嫌われてもやりきった大久保利通が好き」

神戸に住んでいた高校2年生のときに阪神・淡路大震災が発生し、地域によって復興の進み具合に差が生まれることを目の当たりにしたことが、地方政治を目指す原点だったという。

控えめだった熊谷少年の転機は大学時代。歴史好きの集うホームページの運用などをするうちに性格やとらえ方が変わってきたということだった。

地方自治を極めたい

早稲田大学政治経済学部を卒業後、NTTコミュニケーションズに入社。
経営コンサルタントの大前研一が創設した政策塾を経て、千葉市議会議員に稲毛区から初出馬でトップ当選。
1期目途中の2009年、当時の市長が汚職事件で逮捕されて辞職したことにともなう市長選に挑み、31歳で初当選し、当時、全国最年少の市長として脚光を浴びた。

熊谷の擁立に動いた元市議会議員の布施貴良は、「市長選候補を誰にするか悩んでいたとき目の前にいた熊谷さんが『私にやらせてください』と言ってきた。10秒後に『やってみるか』と返した。この人間なら勝てると直感が走った」と語っている。

市議時代から付き合いがある大阪・堺市議会議員の西哲史は「昔はもう少しおとなしかったが、市長になってから『迫力』をまとうようになってきた」と振り返った。
西によると、千葉市長になったばかりの頃、「将来は国会議員になるの?」と聞くと、「自分は地方自治を極めたい。大学の先生とかかなあ」などと将来の進路について語っていたという。

いつから知事を意識?

では熊谷は、いつから知事を目指していたのか。

去年12月末の選挙事務所の開所式。壇上の熊谷は、「3期目に当選した3年前から、千葉市長の経験をどのように千葉県に恩返しするのか考えてきた、千葉県政もったいない、もっとこうすればいいのにという思いを抱いてきた」と述べ、知事選を意識していたことを明かした。
そして2019年9月。熊谷は転機を迎える。

千葉県を襲った台風15号。県庁は初動対応が遅れ、市町村との連携不足が露呈。知事の森田健作は大きな批判を浴びた。一方、熊谷は、つきあいのある首長に直接連絡を取り、職員や物資を県内各地に送った。

多古町長の所一重は「水道が止まり電話もつながらなくなる中、熊谷さんは市職員を派遣してたくさんの水を届けてくれた。町が助けてもらった」と話す。所は、自民党員だが、今回、熊谷の出陣式でガンバローコールを担当した。

所のみならず、何人もの首長が自民党が推薦する関との距離に悩みつつも、熊谷の支援にまわった。

取材の中で熊谷は「3年間の県議会の議事録も全部読んでいるし、各会派の予算要望書も全部目を通している」と、万全の準備をもって知事選に臨むと語った。

熊谷と森田が比較されることが多くなってきたここ1、2年、2人の関係は冷えていた。


まったくタイプの違う政治家だというのも要因だろう。
去年11月の知事会見で、森田は、熊谷について質問され、「各首長のことをとやかくは言わない」と述べるにとどめた。

4月5日に行われる2人の執務引き継ぎも注目だ。

「運」を引き寄せる力

今回の選挙戦、自民党は元県議会議員の関を推薦。そのかたわらで熊谷は、千葉県政界で独特の存在感を示す、自民党・石井準一と公明党・富田茂之から支援を受けた。


1年半ほど前、石井に「知事選は熊谷を応援するのか?」と聞いたことがある。
石井の回答は「いいや」

実は石井はこのとき、自身が立候補することや財政に詳しい50歳ぐらいの官僚を擁立することを思い描いていた。しかし、そのいずれも断念。

一方、自民党県連は、オリンピック金メダリストで元スポーツ庁長官の鈴木大地の擁立を画策していた。ところが、石井は一貫して鈴木の擁立に反対。県連とたもとを分かった。

その後、熊谷と近かった富田から協力を求められ、熊谷本人の決意も聞く中で、熊谷支援に舵を切った。石井は当時を「熱意と実績で熊谷を超える候補者はいない。こうなったらとことん熊谷で覚悟を決めてやろうと考えた。『鼻つまみ者』としての意地だった」と振り返る。

結局、鈴木は立候補を見送り、自民党は12月半ば、関の推薦を決定した。

今回の選挙戦、石井は「反党行為はしない」として、表には出てこなかったが、毎日のように熊谷と電話でやりとりしてアドバイスを送っていた。

これに加え熊谷は、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党、社民党の地方組織の支援も得た。
立憲民主党のチラシではコロナ禍を意識し、医師との対談を載せる一方で、日本維新の会のチラシでは、大阪府の吉村知事との2ショットを載せるなど、戦略的だった。

そして、忘れてはいけないのが、千葉県が産んだ元総理大臣、野田佳彦との関係だ。

熊谷と野田は、早稲田大学政治経済学部の先輩と後輩。最初に千葉市長選挙に立候補したときも、野田は支援した。野田は去年11月、「熊谷氏を全力で応援する決意だ」と記したチラシを支援者に配布。はやばやと支援者固めを進めた。

熊谷が市長時代に信頼関係を築いた県医師会の政治団体「千葉県医師連盟」も推薦を決定した。県医師会会長の入江康文は優秀党員として表彰されたこともあったという長年の自民党員だ。しかし、地方自治での実績がない著名人が知事候補になることは反対だった。一方で熊谷の手を打つ早さや実践力は買っていた。
入江は「おととしの台風のあと、熊谷さんが知事になるべきだと強く思った。ただ、自民党が最初から実績ある候補を立てようとしたならば、対応を悩んだかもしれない」と打ち明けた。

「熊谷のよいところはどこか?」
今回の政治マガジンを執筆することが決まった後、取材相手に何度もこの質問を繰り返してきた。
石井、入江、そして長年、熊谷をそばでみてきた立憲民主党の田嶋要、3人はいずれも同じポイントをあげた。

「まず、運を持ってる」

3人とも即答だった。
確かに31歳という若さでの千葉市長初当選、知事選の届け出順は抽選の結果8人中1番で、幅広い支援を得て圧勝するまで…風は熊谷に吹いていたような気がする。

反発や短所は

一方、熊谷のもとで働いた人間からは批判と反発の声も上がる。

千葉市の元幹部は「人に謝るのをあまり見たことがない」と振り返ったほか、現幹部は「厳しい。『できない』と言うのは許されない」と漏らした。

「熊谷の短所はどこか?」関係者に聞いてまわると、県議会議員の1人は
「部下にはイエスマンが多い。知事の顔色をうかがう人間が増えるのは困る」

ベテラン議員秘書の1人は
「若くして勢いで市長になった。エリートでとりつく島もない感じ」
ばっさり斬る声も聞かれた。

熊谷を取材していると、「真面目すぎるのではないか」と思うことがある。

2月20日に行われた会見で、「今の性格で直したいところはどこか?」という質問をしたことがあった。
笑いを取ったり、少し本音を見せる回答を予想していたが返ってきたのは
「いつも意識しているのは焦らないというところ。拙速にならないようぐっと待つことを意識している」
そうか、まじめに返してくるのか。

人気の秘密は?

選挙戦が始まる前、私たちはここまで熊谷の人気が高いとは予想していなかった。

前回の衆議院選挙では県内に13ある小選挙区中、12で自民党が勝利している。
熊谷が優勢とはいえ、関もその組織力を駆使して、ある程度迫ってくるのではないかと考えた。


しかし、いざ選挙戦が始まると熊谷が関を圧倒した。

SNSで熊谷のスケジュールを知った人たちが演説に集まった。驚いたのは高齢者、働き盛り世代、子連れの女性など、支持する層が幅広いことだった。演説を終えた熊谷のもとには、写真撮影を待つ列ができ、サインを求める人や手紙を渡す子どももいた。

「自民党員だけど知事選は別。この人しかいない」と語る75歳の夫婦。
「台風の対応でファンになった。政治家の話を生で聞くのは初めてなので、ドキドキしている」という38歳の介護職女性。
「テレビではなく、熊谷さんのインスタを流しながら料理をしている」という50歳の主婦。

ツイッターのフォロワーは24万人。本人も「こっちが出したい情報だけじゃなくて、多くの人にとって意味のある情報、知りたい情報を出していくこと、受け手目線の情報が大事だと思う」と話している。発信の早さと情報の質が、県民のニーズに想像以上に刺さっているということか。


終わってみれば、得票率はおよそ70%。完勝だった。

ただ、本人はマスコミがSNSでの発信にばかり目を向けることには不満もあるようだ。

投開票翌日の取材の中で、熊谷は「ネットだけでなく、リアルでも見ている人は見てくれている。3期にわたる千葉市のかじ取り、苦しい選択もやってきた。『なぜそれが必要なのか』説明を丁寧に重ねた。やったことを見える化し、なぜやったのか、どのようにやったのか、その結果どうなったのかを見える化している、その姿勢を評価してもらっている。じゃなきゃ自民党支持層の半分以上が私を支持するわけがない」

その手法だけでなく、実績や姿勢にもっと目を向けてほしいと熱弁した。

待ち受ける“ワンボイス”

熊谷が知事になって、まずやらなければならないのが、なんといっても新型コロナウイルス対策だ。

この間、緊急事態宣言の解除などをめぐって、ワンボイスと言い続けてきた1都3県の足並みの乱れも指摘された。政治家としてのキャリアが違う小池都知事と向き合わなければならない。熊谷は小池やほかの首都圏の知事との今後の連携、関係をどう考えているのか。

「対立を喜んでいる時点で終わっている。小池さんがどうとか、別にないでしょって。小池さんを含めてコロナ対策していく上で、首都圏の連携はきわめて不可欠なので、そこは常にお互いの意見、考え方を共有し合って、1都3県がまとまって行動できるようにしていくということだと思います」

具体的には?
「1都3県の人の流れ、特に東京を中心とした人の流れのやりとりがある以上、その移動に関しても含めて、東京都とそれぞれ連携していくというのは対策として当然じゃないかな。お互いがお互いの考えでやって、いいものは横展開していけばいいんじゃないかなと思います。特段、他者とのやりとりのなかでどうこうありきというのはないんじゃないか。目的の中でその都度判断していけばいいというふうに思っています」

知事としての幕は開けた

43歳での知事就任。全国では2番目に若い知事となる。
しかし、誰も彼に初々しさは求めないだろう。140万票の期待がのしかかる。
千葉県議会の過半数を占める自民党の県議会議員は全員が関を応援していた。直前まで敵だった熊谷への警戒心は大きい。

熊谷はこう語る。
「県議会と戦うつもりはない。僕は仕事したい。政治の世界って感情的な世界だと思うけど、僕はビジネスだと思っている。嫌いな人とか相性のよしあし関係なく、仕事の話をしましょうって。そこを評価する」

県議会自民党とどう折り合いをつけるのか。今後、熊谷にさらに求められてくるのは、やはり「政治力」ではないだろうか。投開票翌日までに、首都圏の3人の知事に加え、菅総理大臣ともやりとりしたという。

熊谷は新生・千葉県をどのように作り、どんな道を歩んでいくのか。
最後に尋ねた。

「政治をやっていて感じるのは、見ている人は見てくれているということ。地道にしっかりと不偏不党で市民にとって最善の選択肢をとり続けていくということが大事なんだなと感じます。ことばを尽くして説明していきます」
(文中敬称略)

千葉県知事選で候補と高校生が意見交換!記事はこちら
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千葉局記者
金子 ひとみ
2006年入局 千葉県政担当 選挙で熊谷候補を担当 最大の決断は「一度退職して夫のインド赴任に同行したこと」
千葉局記者
尾垣 和幸
新聞記者を経て2017年入局 市長時代の熊谷氏を担当 最大の決断は「前の会社を辞めてNHKに入局したこと」
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岩澤 千太朗
2016年入局 成田支局で航空担当 選挙で関候補を担当 最大の決断は「実家の果物農家を継がずに記者になったこと」