急事態宣言 どう決めた?

史上初めてとなる「緊急事態宣言」。
社会に与える影響の大きさゆえに「伝家の宝刀」にも例えられた。
積極論と慎重論がせめぎ合う中、安倍総理大臣は4月7日、その「刀」を抜いた。
そこに至る内幕、何があったのか、取材した。
(長谷川実)

「GOサイン」は5日に

安倍が「緊急事態宣言」を出す方針を表明する前日、4月5日の日曜日。
ある閣僚が記者に対し、「綱引きの綱の、真ん中が動いた」という表現を使った。

宣言を出すべきか否かという激しい議論に決着がつき、安倍が「GOサイン」を出したことを示唆したのだ。

その日の東京都内の感染者数は、累積で1032人。3月31日の521人から、5日間で約2倍に膨れ上がっていた――

「緩んでしまった」

感染拡大の兆候。それは東京都内の1日当たりの感染者が10人前後で推移していた3月中旬にあった。

安倍が大規模イベントの中止要請や学校の一斉休校要請を打ち出してから、およそ2週間が経ち、再び各地で多くの人出が見られるようになっていた。

3月18日、政府関係者が記者に漏らしたことばには、懸念の色がにじんでいた。
「ちょっと緩んできている。原宿の竹下通りにも人が大勢出てきているらしい」

翌19日。
政府の専門家会議が、感染が収束に向かい始めている地域は、リスクの低い活動から徐々に解除を検討することなどを盛り込んだ提言を発表した。

安倍は20日、大規模イベントの主催者に対し、引き続き慎重な対応を求める一方、全国一律の休校要請については、新学期を迎える学校の再開に向けた方針をとりまとめるよう文部科学省に指示した。

安倍は、学校への対応をどう発表するか、ひそかに悩んでいたという。「学校が再開される」ことだけが強調され、「自粛が解除される」と誤って受け取られるおそれがあったからだ。

不安は的中する。
東京ではことし、観測史上、最も早く桜が開花。20日からの3連休は、桜の満開が予想されたこともあり、各地の行楽地は、多くの人出でにぎわった。

総理大臣官邸から東京・渋谷の私邸に車で戻る際、多くの人出を目の当たりにした安倍は、「まずい」とつぶやいた。

閣僚の1人も顔をしかめた。
「19日の専門家会議の見解と、20日の総理のメッセージは、『緩めていい』というものではないが、結果的に各地の動きは緩んでしまった」

「ロックダウンの可能性」

専門家たちは危機感を募らせていた。

3連休の最終日の22日。
政府の専門家会議のメンバーが非公式に会合を開き、「現在の感染状況は、特別措置法に基づく政府対策本部を設置しなければならない状態だ」という意見で一致する。

一方、東京都の小池知事も危機感を募らせていた。

3連休明けの23日月曜日。
都内では、それまでで最も多い16人の感染が確認された。
小池の記者会見での発言は、各方面に衝撃を与えた。

「事態の今後の推移によっては都市の封鎖、いわゆる『ロックダウン』など、強力な措置をとらざるをえない状況が出てくる可能性がある」

そして、3月25日。
都内で、それまでで最も多かった数の2倍を超える41人の感染が確認される。
小池は記者会見で、「いまの状況を感染爆発の重大局面ととらえ、この認識を共有したい」と強い危機感を示した。

大阪でも感染者が増えていく。吉村知事は、不要不急の外出自粛を要請するとともに、バーやナイトクラブといった接客を伴った飲食店の利用を控えるよう呼びかけた。

感染拡大のペースが速まる中、日本医師会の幹部は、自民党幹部に対し、極めて厳しい見通しを伝えた。
「これから戦争状態になる」

「宣言」の前提、対策本部を設置

東京などの感染が急速に拡大する中、特別措置法に基づく「政府対策本部」をいつ設置するのかが焦点となった。対策本部の設置は「緊急事態宣言」の前提となる。

3月26日。
政府の専門家会議は、国内の感染状況について、「まん延のおそれが高いと認められる」とする報告書を了承。政府は、その日のうちに対策本部を設置した。当初予定していた日程を前倒し、対応を急いだ。

政府や都道府県、医療機関などが取り組むべき全般的な方針を盛り込んだ「基本的対処方針」も決定。宣言を行うための法律上の手続きが整った。

この日の夜、都知事の小池が総理大臣官邸を訪れて、安倍と会談。

特別措置法に基づいて、どのような対応が可能か具体的に検討し、速やかに情報提供を行うよう要望した。
要するに、宣言を早く出すよう求めたのだ。

強い慎重論

しかし、政府内では、経済面への影響は計り知れないとして、菅官房長官や麻生副総理兼財務大臣を中心に慎重に対応すべきだという意見が強かった。

菅は、27日の記者会見で、
「緊急事態宣言は国民生活に重大な影響を与えることから、各方面からの専門的知見に基づき、慎重に判断することが必要だ。現時点では宣言を行う状況にない」
と述べた。

政府関係者は、宣言の必要はないとする理由について、
◇東京で数十人の感染者が出ても、人口比ではまだ少ない水準
◇感染経路を比較的把握できている
などを挙げた。

別の関係者も「緊急事態宣言を出したら、負の側面なんてものではない。経済が止まって大変なことになる」と指摘した。

また、小池が23日の会見で「ロックダウン」に言及した際、一部で買い占めが起きたことで、政府内には、同様の事態が起きることに懸念があった。「緊急事態宣言」と「ロックダウン」がメディアに盛んに取り上げられ、緊急事態宣言=ロックダウンという認識が広まっているのではないか。そうしたおそれもあった。

28日。
安倍の記者会見に先立ち、総理大臣官邸内で非公開で開かれた連絡会議では、緊急事態宣言の是非が議題となった。東京都が宣言の発出を求めていることなどが報告され、緊張感は高まった。

しかし安倍は記者会見で、「ぎりぎり持ちこたえている状況だ」と説明し、宣言に慎重な姿勢を保った。

医療崩壊への懸念

政府が宣言発出に慎重な姿勢を取る中、東京を中心に感染者は増え続けた。
3月20日に1000人余りだった全国の累積感染者は、29日には1894人と2倍近くになった。

その29日。
政府の専門家会議のメンバーが非公式の会合を開き、感染拡大の状況について意見を交わした。「緊急事態宣言を急ぐべきだ」という意見が多く出され、意思の統一が図られた。

これを受け、翌30日に日本医師会の横倉会長と、専門家会議のメンバーでもある釜萢敏・常任理事が記者会見を開く。

横倉は、病床が不足し、医療現場が機能不全となることへの強い懸念を示した。
「東京都で感染者数が3桁に近づくことになれば、緊急事態宣言を考えなければ医療崩壊につながる」
釜萢も「爆発的な感染拡大が起こってから宣言を出しても手遅れだ」と述べ、政府に対し、宣言を出すよう強く促した。

積極論VS慎重論

31日、東京都内で感染者が78人確認される。
小池は安倍と再び会談し、「国家としての判断がいま、求められている」と宣言の発出への決断を求めた。
前後して、大阪府知事の吉村も、宣言の必要性に言及する。

一方で、政府内には、東京都への不満がくすぶっていた。
「都が宣言を出せばいい。宣言はあくまで知事に権限があって、国は調整するだけだ。『伝家の宝刀』じゃないが、そんなに簡単に出すものではない。国民の命はもちろん大切だ。しかし経済を守ることも大事なんだ」

ある閣僚は、積極論と慎重論のぶつかり合う状況を綱引きに例えた。
「やりたい人とやりたくない人が綱引きをしているとしたら、まだ真ん中は動いていない。政府は『やりたくない派』が多いのではないか。すべてに補償なんてできないし、経済がすべて止まってしまう影響は大きい」

この時点では、閣僚や政府関係者の中には慎重論も根強く残っていた。
しかし実はこのとき、安倍の腹はもう「宣言発出」で固まっていた――

首相が考えていたのは…

安倍の頭にあったのは1つ、「宣言をいつ出すか」。

安倍のもとには医療崩壊を懸念する専門家や医療関係者の声が直接届けられ、刻一刻と危機が近づいていることは肌で感じていた。「クラスター」と呼ばれる感染者の集団が次々に発生していることも報告が入っていた。「緊急事態宣言」という「伝家の宝刀」を抜かない限り、感染者の急激な増大に歯止めがかからないと覚悟を決めていたという。

しかし、すぐに宣言を出すことはできない。「緊急事態宣言」を行っても、政府としてできることは限られていたことが背景にあった。私権の制限に対する根強い慎重論があったからだ。

多くの措置の権限は都道府県知事にあるが、政府が宣言を出すメッセージ効果は大きい。感染抑制への効果とともに、国民がパニックに陥らず、経済に大打撃を生じさせないよう、「最大公約数」のタイミングを導き出す必要があった。

ベッドの確保を

4月1日の東京都内の感染者は66人。医療崩壊のシナリオがすぐそこまで迫っていた。

都内の病床がひっ迫する中、安倍は、緊急事態宣言に出すにあたって、医療体制を整えておくことが必須だと考えていたという。それまで入院させていた軽症状者や無症状者を自宅や宿泊施設に移し、重症患者のためにベッドを空けておく必要がある。ふだんから交流があるホテルチェーンの経営者にみずから連絡し、軽症状者らを受け入れるよう頼んだ。

医療関係者からは、特別措置法に盛り込まれている「臨時の医療施設」への期待が大きかった。

特別措置法の第48条では、宣言を行ったあと、病院や医療機関が不足し、医療提供に支障が出るおそれがあるときは、都道府県知事が「臨時の医療施設」を設置すると定めている。続く49条で、特に必要な場合は、都道府県知事が、土地や建物を所有者の同意を得ずに使えるようになる。この法律では数少ない強制力を持った措置であり、いわば“野戦病院”をつくるための規定だ。

安倍は4月1日の参議院決算委員会で、そうした病院の設置を見越した答弁をした。

「東京大会が延期になり、警備にあたる警察官のために確保していた宿泊施設を使うことができるか、検討に入っている」
軽症者などを東京・晴海にある警察宿舎に移し、自衛隊などの医療チームで対応する構想だ。警察当局には寝耳に水の発言だった。

最後は「経済対策とセット」で

宣言への慎重論が大勢を占めていた政府内。しかし、2日に東京都内で97人の感染が確認されてからは、次第にその声が小さくなっていく。

翌日3日、閣僚の1人は「けっこうきている。切羽詰まっている」と予断を許さない状況を認めた。

午後には、日本医師会の横倉会長が急きょ、総理大臣官邸に呼ばれ、安倍総理大臣と会談。改めて医療現場が危機的状況に陥っていることを訴えた。

4日、感染者はついに100人を突破する。7割近くの感染経路が分からなくなっていた。

2週間前の3連休の緩みがいま感染結果となって現れていることは政府関係者の多くが分かっていた。2倍、4倍、8倍と、短期間に「倍々計算」になってしまったら、「オーバーシュート」、爆発的な感染は止められないという危機感は醸成されていた。

一方、過去最大となる緊急経済対策の決定は4月7日を予定していた。

安倍は、経済への打撃を防ぐためにも、宣言と経済対策をセットで発表するのが望ましいと考えたという。
7日前後を目途に、都道府県知事との調整が整い次第、宣言を発出すると決断する。4月4日、5日の週末、対象となる7都府県との調整がひそかに進められた。

4月5日夕方に総理大臣官邸で開かれた非公開の連絡会議。安倍は「今週、緊急事態宣言を出す」と明らかにした。そして、宣言は7日に発出されたのだった。

世論調査「遅すぎた」が75%

中国・湖北省武漢で、原因不明の肺炎患者が相次いで見つかったと報道されてから3か月。新型コロナウイルスの感染者は、14日午後3時現在、世界全体で190万人を超え、死亡者はおよそ12万人に上っている。

国内の感染者は、クルーズ船の乗客・乗員を含めて8000人を超え、死亡者はおよそ160人となった。感染者数は、今のところ減少に転じる気配はない。深刻さは増すばかりだ。

安倍は緊急事態宣言の発出にあたっての記者会見で、いまの状況を、「国家的危機」と表現し、国民全員の協力を呼びかけた。感染拡大を止めるには、人との接触を7割から8割減らす必要があるという。

緊急事態宣言の判断のタイミングについて、NHKの世論調査では「遅すぎた」が75%に上り、「適切だ」は17%にとどまった。

宣言の期間は5月6日まで。それまでに感染拡大を収束させることができるのか、日本の社会、経済全体が正念場を迎える中で、引き続き、政府の対応、そして総理大臣の判断も問われている。
(文中敬称略)

政治部記者
長谷川 実
1998年入局。徳島局を経て政治部。自民党、民主党、防衛省などを取材。仙台局でデスクも。現在は官邸サブキャップ。