の消滅後、世界でなにが

4月1日、新しい元号「令和」が発表された日。
「ヴ」は、国名から静かに消える、はずだった。
しかし、この「ヴ消滅」のニュースは、私の予想を超えて、次々とネット上に拡散していった。その勢いはネットにとどまらず、実は国会の審議でも取り上げられた。
「ヴ」消滅後の世界で、なにが起きていたのか、追跡した。
(政治部・外務省担当 小泉知世)

「ヴ」消滅の衝撃

「『ヴ』が大変なことになってるぞ!」
特集記事をインターネットに掲載した翌朝、上司からメールが届いた。
その記事とは、「世界から『ヴ』が消える」

外務省などが使っている外国の表記は、原則、「在外公館名称位置給与法」で定められる各国の大使館の名称がもとになっている。
その法律がこの春、改正され、▽「セントクリストファー・ネー『ヴ』ィス」が「セントクリストファー・ネービス」に、▽「カーボ『ヴ』ェルデ」が「カーボベルデ」になり、日本語の国名から『ヴ』の表記がなくなる。
特集記事はそれに端を発した話だった。

その記事の閲覧数がどんどん増えているという。
驚いて検索すると、ネットでは次々に反応が寄せられていた。

『ヴ』の表記はダメになってしまうのかと、身の回りの『ヴ』の心配を始めた人もいた。

掲載前日にテクノバンド「電気グルー『ヴ』」のメンバーが逮捕されたことも、拍車をかけたようだ。

実はこの頃、外務省にも、「『ヴ』の使用はやめないといけないのか」など、次々と問い合わせが寄せられていたという。

「ヴ、消すべき?」問い合わせ相次ぐ

チーム名の是非を問う、プロバスケットボールチームまで現れた。

「『熊本ヴォルターズ』は『熊本ボルターズ』に改名しなければならないのか」

「熊本ヴォルターズ」は、こだわってきたチーム名を改名するべきか、特集記事に登場した国立国語研究所の間淵洋子さんに直接質問したそうだ。

結果、間淵さんからは『ヴォ』のままでいいとお墨付きをもらったという。

熊本ヴォルターズの担当者は「元々、よく『ボ』と間違えられるので、広告までつくって訂正していたのですが、記事をみたファンの間で『ヴォルターズ』ではなくなるのではと騒ぎになり問い合わせました。『ヴォ』を認めてもらえて、これからも安心して使えます」と話していた。

河野外相から「取材が足りない」と!?

法律を所管する外務省でも、いち早く特集記事に反応した人がいた。
河野外務大臣だ。

「あの記事じゃ、まだまだ取材が足りないぞ!」

掲載後初めて、顔を合わせた際、開口一番、突っ込まれた。
どういう意味かとわからずにいたら、記者会見でその思いを語ってくれた。

「かつて外務省は『在ジョルダン日本国大使館』とか『在連合王国日本国大使館』という呼び名をしていた。あまりに一般的な表記と違うのでたびたび是正を求めていたが、頑として受け付けず、『ジョルダンをヨルダンにしたら日本の旅行者が迷う』みたいなことまで言っていた」

以前から、国名の表記に問題意識を持っていた河野大臣。
総務政務官時代、法律の根回しに訪れた外務省の担当者に大使館の名称変更を求め、国名の見直しに一役買ったのだという。

「今回のウに濁点のようなあまりなじみのない表記は変えるということをその後もやっている。一般に使われている名称と違うのは国民にとって全くメリットが無いので、外務省はなるべく分かりやすく、なじみのある表記に統一すべきだ」

さらなる国名の変更に前向きだ。

ちなみに、大臣本人は上の歯で下唇をかむ発音はせず、『ウに濁点』などと言い続けている。

イギリス VS 英国

「なぜウに点々を国名から除いたのか、理由をご説明いただきたい」
法案の質疑が行われた3月28日、ついに『ヴ』が国会の場に登場した。

この日は『ヴ』を始まりに、国名についての質問が相次いだ。

「法律上のイギリスの大使館の名称は」(立憲民主党・白眞勲議員)
「法律上は在英国日本国大使館と使っている」(外務省担当者)
「慣用として使う際には英国って言葉はあまり使わない。イギリスに行きますと言いますよ、普通は」(白議員)

実は「イギリス」は「英国」が法律上の表記なのだ。
以前は「連合王国」と表記されていたが、なじみがないので「英国」になったそうだ。
「イギリス」も検討されたが、イングランドだけに由来するため、配慮したのだとか。

次に取り上げられたのは、中東のヨルダン。
「外務省所管の独立行政法人では、ヨルダン・ハシェミット王国やハシミテ王国とも言われている。しかし、アラビア語ではハーシム家という王国の意味で、ヨルダン・ハーシム王国もご検討いただきたい」(国民民主党・大野元裕議員)

外務省やJICA=国際協力機構は、ヨルダンとの条約や現地の文書では「ヨルダン・ハシェミット王国」「ヨルダン・ハシミテ王国」と表記している。英語の「Hashemite kingdom」に由来しているそうだが、王朝の名前でもあり、敬意を表して原語に近い「ハーシム」にすべきだという指摘だ。

ほかにも「東ティモールは現在、現地でも、ポルトガル語で東という意味の『ティモールレステ』で統一されている」(公明党・高瀬弘美議員)という意見も。

河野大臣も、こうした国名変更にも意欲を示した。
「英国よりもイギリスのほうがわかりやすいという議論は当然あるので、外務省でも引き続き検討したい」

法王 VS 教皇

国名と離れるが、気になる表記の議論もあった。

「ローマ法王とローマ教皇、外務省はこの二つをどう認識して使い分けているのか」(高瀬議員)

ローマ・カトリック教会の指導者の呼称は、ローマ「法王」か「教皇」か。
この問題は、実は40年近く、議論が続いている。

日本の宗教法人、カトリック中央協議会は「教皇」派だ。
「『教える』という字が教皇の役割をよく表しているからです。1981年のヨハネ・パウロ2世の来日をきっかけに、日本政府に働きかけをしたこともありました」

一方で、東京のバチカンの大使館は「法王」派だ。
大使館は「ローマ法王の表現は外国語でも複数あり、特に名称を変えたいという意向はありません。『法王』も『教皇』もどちらも間違いではありません」と説明する。
ちなみに、大使館の名前は「駐日ローマ法王庁大使館」だ。

外務省も大使館の意向などを踏まえて変更はしていない。

カトリック中央協議会は、今後も粘り強く「教皇」の表記を働きかけたいとしている。ことし秋に38年ぶりのローマ法王の来日が調整される中、願いは叶うのだろうか。

日本人の「こだわり」

さまざまな方向へ広がった、「ヴ消滅」のニュース。
それにしても、なぜこれほど注目されたのか。
前回の記事で登場し、熊本ヴォルターズの質問も受けた国立国語研究所の間淵洋子さんに再び聞いてみた。
「『ヴ』には、異質性があります。使う人は他とちょっと違う感じを取り入れたいと思っていることが多いし、聞く方も、普通なら素通りする単語が、ちょっとひっかかる感じに変わるんだと思います。国や人など固有名詞は特にこだわりを持って使われることが多いので、『消える』といわれてショックが大きかったのでしょう」

そして、このこだわりが、日本語全般に共通する要素だと指摘した。
「ちなみに、漢字でも名前で『はしごだか』や『たつさき』をあえて使う方がいますよね。日本語は漢字、ひらがな、カタカナ、さらにローマ字を使い分ける複雑なシステムを持っています。微妙に文字や字体を変えることで印象も変わり、繊細に使い分けることができます。ひとつひとつの言葉には繊細な思いやこだわりが込められているのです」

「独」を変えて!との訴え

特集記事の掲載後、『ヴ』の執筆者に会いたいとNHKに電話をくれた人がいた。
ドイツ人の漢字研究者、クリストフ・シュミッツさんだ。

日本に移り住んで漢字辞典の翻訳に取り組んできたシュミッツさんは、どうしても変えてほしいものがあるという。

母国・ドイツを漢字で表す「独」の字だ。
「『けものへん』が使われているこの字には歴史的には差別の意味が込められています。日本人は気づかず使っている人が多いでしょうが、なんとか変えて欲しい」

「隣の国はホトケ(仏)なのに、私の国はなぜケモノなのでしょう」と言われてなんだか申し訳ない気持ちになった。

名前には「思い」が

名前には思いが込められている、というのは万国共通かもしれない。

今回、これほどまで議論を呼びながら、国名から消えた『ヴ』
大いに注目されたことで、本望かもしれない。

政治部記者
小泉 知世
平成23年入局 。青森局、仙台局を経て政治部へ。現在、外務省担当。