元号は令和 決定の一日

新元号は、「令和」に決まった。
考案者は、関係者の話などから万葉集が専門の国文学者、中西進氏とみられる。
新元号が決まった一日を、ここに記録する。

新元号は、こうして決まった

07:00 総理大臣官邸は静けさに包まれていた。厳密に言うと、NHKをはじめ、報道関係者は中継や撮影の準備を始めていた(画像の左下)ので、完全に静かではなかったが、まだ安倍総理大臣や菅官房長官は入ってはいなかった。30年前、平成への改元の際は、一連の手続きはいまは官邸と同じ敷地内に建つ、現在の総理大臣公邸の中で行われたので、今の官邸に移ってから初めての新元号選定ということになる。

07:35 官邸向かいに建つ国会記者会館にも、多くの報道関係者が詰める。遠く先にある富士山がくっきりと見えた。
07:49 杉田官房副長官が官邸に入る。
07:57 新元号決定の事務作業を取りまとめた古谷・官房副長官補が官邸に入る。
08:33 菅官房長官が官邸に入る。記者団が「いよいよ新元号の発表だが、どのような心境か」と質問したのに対し、「普段どおりだ」と述べる。さらに記者団が「一連の手続きを滞りなく行えるか」と質問したのに対し、「大丈夫だ」と述べる。
08:48 「元号に関する懇談会」のメンバーで前最高裁判所長官の寺田逸郎氏が官邸に入る。
09:01 「元号に関する懇談会」のメンバーで京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長が官邸に入る。
09:05 安倍総理大臣が官邸に入る。

記者団に対し、「きょうの東京は気持ちの良い青空で満開の桜がきれいだ。希望に満ちあふれた新しい時代につながるような新元号を決定したい」と述べる。
09:12 「元号に関する懇談会」のメンバーで前経団連会長の榊原定征氏が官邸に入り、懇談会のメンバー9人全員がそろう。
09:32 「元号に関する懇談会」が官邸4階の特別応接室で始まる。

出席者は携帯電話を預けるよう求められたほか、関係者によると、官邸の上層階では「ジャミング」と呼ばれる携帯電話の通話を妨害する装置も導入され、外部との通信を遮断された。
懇談会で政府は、読みやすく書きやすいなど、「元号選定手続」に定められた留意点に沿って絞り込んだ6つの原案を示し、意見聴取を行った。
政府が示した6つの原案は、令和以外は、
「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうし)」「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」だ。


新元号「考案」から「閣議決定」まで4段階

皇位継承に伴う新たな元号をめぐり、政府はことし2月、菅官房長官を議長とする会議を開き、新元号の選定は、前回、平成への改元の手順を踏襲し、「元号選定手続」に基づいて行うことを決めた。

「元号選定手続」は昭和54年、「元号は政令で定める」「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」という2つの項からなる元号法が成立したあと、改元の具体的な手順を定めたものとして閣議に報告された。
その後、昭和天皇が亡くなられたあと、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」を開き、意見を聞くことが追加された。
「元号選定手続」によると、新しい元号は4つの段階を経て選定されることになっている。
(1)まず新元号の考案
総理大臣が、新元号の考案者として高い識見をもつ人を若干名選び、新元号にふさわしい候補を2つから5つ程度提出するよう求める。
提出にあたっては、その意味や「典拠」(いわゆる出典)などの説明をつけることとしている。
(2)次に「候補の整理」
官房長官が提出された新元号の候補を検討・整理して、総理大臣に報告する。
(3)そして「原案の選定作業」に
総理大臣の指示に基づき、官房長官が内閣法制局長官の意見を聞き、候補の中から数個を原案として選ぶ。
その後、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」を開き、原案に対する意見を求め、結果を総理大臣に報告する。
総理大臣は新元号の原案を衆参両院の正副議長に連絡して意見を聞くとともに、「全閣僚会議」で協議する。
(4)最後に、元号を改める政令を閣議決定し、新元号は決まる。
元号を改める政令は皇居に運ばれ、天皇陛下の御名・御璽(署名と押印)を得たうえで官報に掲載され、公布となる。
政令の付則には皇太子さまが即位される5月1日が施行日と記載され、元号が改められるのは1日の午前0時となる。
平成への改元では、昭和天皇が亡くなられた1989年1月7日午後に天皇陛下の御名・御璽を得て政令が即日公布され、翌8日の午前0時に元号が改められる。

新元号 6つの留意点

新元号の候補を考案するよう委嘱された有識者は、「典拠」(出典)をつけるよう求められる。漢字をパズルのように組み合わせるのではなく、
▽古くから伝わる中国や日本のどの書物から引用したのか、
▽どのような意味が込められているのか、候補案とともに提出することとされている。
また、元号の候補案は次の6項目に留意して検討することとされている。
国民の理想としてふさわしいよい意味を持つこと、
漢字2文字であること、
書きやすいこと、
読みやすいこと、
過去に、元号や、天皇などの崩御後の呼び名「おくり名」として使われていないこと、
一般的に使われていないこと、の6項目だ。
さらに平成への改元にあたっては、ローマ字で表記する時の頭文字も重視されたと言われている。
明治の「M」、大正の「T」、昭和の「S」
使いやすさを考えて、この3つとは異なる、頭文字が「H」の平成が選ばれたとされている。

有識者懇談会から閣僚の会議へ

10:08 「元号に関する懇談会」が終了する。
10:14 菅官房長官が衆参両院の正副議長から意見を聞くため、官邸を出て、衆議院議長公邸に向かう。

10:20 衆議院議長公邸で、政府による衆参両院の正副議長からの意見聴取が開始。
10:37 衆参両院の正副議長からの意見聴取が終了。
10:40 菅官房長官が官邸に戻る。記者団が「衆参の正副議長からはどのような意見が出たのか」と質問したのに対し、「わたしからいろいろと丁寧に説明させていただいた」と述べる。また記者団が「方向性は見えてきたか」と質問したのに対し、「正副議長の意見をちょうだいできたということだ」と述べる。
10:43 菅官房長官、杉田官房副長官、古屋官房副長官補が安倍総理大臣の執務室に入る。
10:57 全閣僚会議が始まる。

2段階の閣僚の会議で決定

ところで「全閣僚会議」と「閣議」を分ける理由とはなにか。前回、平成への代替わりの際、政府は新元号選定の最終段階で「全閣僚会議」を開き、新しい元号を「平成」とする方針を固めたうえで臨時閣議に切り替えて、正式に決定した。
新元号の選定にあたって政府は前回の手続きを踏襲することにしていて、今回も「全閣僚会議」と閣議が開かれた。
2つの違いについて政府は、「全閣僚会議」は選定手続きの一環で閣僚から意見を聴く機会を設ける意味がある一方、閣議は元号を決定する手続きとしている。
前回は情報漏れを防ぐため、当時の小渕官房長官が「平成」を発表するまで、閣僚は閣議が開かれる部屋の隣にある閣僚応接室から退出することが禁じられた。
今回、政府は情報管理を徹底していて、政府高官は「事前に漏れて報道されるようなことがあれば必ず差し替える」と強調した。
事前に漏れて商品名などで使われることや、イメージが事前につくことを避ける必要があるという判断もあったものとみられる。全閣僚会議でも有識者会議と同様、出席者には携帯電話を預けるよう求められた。

決定、そして発表へ

11:16 全閣僚会議が終了する。
11:17 臨時閣議が始まる。
11:25 臨時閣議が終了する
11:41 菅官房長官が、新元号は「令和」と発表する。

菅官房長官の記者会見の発言全文はこちら。
11:43 閣僚が次々と退出。

11:50 「元号に関する懇談会」のメンバーが退出。

京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長は「新しい元号は、響きが美しいと感じました。新たな元号が決まる過程に携われたことは非常に光栄です。初めて日本の古典から選ばれたほか、初めて使われる文字もあり、伝統を重んじると共に新しいものにチャレンジしていく日本のこれからの姿にぴったりの元号ではないかと思います。iPS細胞も次の『令和』の時代に完成させて、患者さんに届けていきたいと決意を新たにしました」と話した。

作家の林真理子氏は「懇談会では一人ひとり意見を言いましたが『令和』は1番人気があったと思います。非常に美しく日本にふさわしい万葉集から選ばれ作家の1人としてこれで万葉集ブームが起こるのではないかと思います。『令和』の時代はグローバリズムも感じながら日本人としての誇りと文化を大切する時代であってほしい、長く長く続いてほしいと思います」と話した。
日本私立大学団体連合会の会長の鎌田薫氏は「明るい時代が来ればいいと思います」と述べた。
経団連名誉会長の榊原定征氏は「平和と社会の安寧、心の豊かさ、そういった点を表現した元号がふさわしいと申し上げた。説明などの時間も十分あった」と述べた。
千葉商科大学国際教養学部長の宮崎緑氏は「新元号の原案が1枚の紙に印刷されていて、典拠などの説明もそれぞれ一言ずつ書いてあった。決をとったりはしなかった。『令和』について、触れた方も、触れなかった方もいた。『令和』に決まったことを知ったのは、菅官房長官の発表で知り、メンバーからは拍手が湧き上がった」と述べた。そのうえで、「美しい響きで、新しい時代にふさわしい、いい元号が選ばれたのではないか。これから皆が美しく心を寄せ合い、新しい文化を生み出していくという意味が今の時代に大変合っている」と述べた。
民放連=日本民間放送連盟会長の大久保好男氏は「事前に候補名について教えてもらっていたわけでもなく準備もできなかった。新元号の原案が入った封筒が配られ、それを開けてから説明が始まったという段取りだった。時間が限られており、候補名に対する感想のようなものを述べた」と述べた。また、「携帯電話は入室の前に『預かります』ということでお渡しし、封筒に入れて保管されていたと思う。終わった時点で返却されたが部屋の中ではずっとテレビを見ながら待っていた」と述べた。そして、「歴史的な一場面に立ち会う光栄と責任を感じながら、本当に国民の方々に広く使ってもらえる、受け入れられるような元号が決まればいいなという思いで発言をした。大役を終えて、無事にすばらしい新しい元号が決まったことで、いまはほっとしている」と述べた。
NHKの上田会長は「いい元号に決まったと思う。よかった」と述べた。

12:05 安倍総理大臣が、新元号が「令和」に決まったことについて、記者会見で談話を発表した。

安倍総理大臣の記者会見の発言全文はこちら。

16:39 菅官房長官が午後の記者会見を行う。

新元号「令和」について、「多くの国民から肯定的な評価をいただけたのであれば、安倍総理大臣が記者会見で述べられているように、あすへの希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いが、国民にも共通していたからではないかと思う」と述べた。
また、記者団が「『平成』を発表した当時の小渕官房長官のように、菅官房長官も子どもたちから『令和のおじさん』と呼ばれる可能性があるかもしれない」と指摘したのに対し、「そこまでは考えていなかった。国民に『令和』を受け入れていただき、広く国民生活の発展に寄与することができればいい。そういう思いだ」と述べる。

21:05 安倍総理大臣がNHKのニュースウオッチ9に出演、新元号「令和」の選定の経過などを記した行政文書の公開の時期について、「基本的に30年ということで検討していくのだろうと思う。考案された方々の名誉もあるので、30年という時は必要なのだろうというふうに思っている」と述べ、30年程度は公開を控える必要があるという考えを示す。
また、新元号「令和」を初めて目にしたのは、3月に入ってからだったことを明らかにしたうえで、「学識のある方々に考案していただいた案があがってきた中で、官房長官が整理したものを一度報告として受けたが、その中に『令和』があった。説明を受け、大変、新鮮な響きがあるなと思った」と述べる。
さらに、日本の古典が出典の元号を初めて選んだことについて、安倍総理大臣は、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」のメンバー全員に加え、閣僚のほとんどが、日本の古典から元号を選ぶよう求めていたなどと説明した。

「大化」から「平成」まで247の元号

元号は紀元前の中国、前漢の武帝の時代に漢字と数字の組み合わせで年次を表したのが始まりとされる。
皇帝が領土や領民を時間的に統治するシンボルとして重要な意味を持った。
その後、アジアの漢字文化圏に広がり、日本では645年に孝徳天皇が「大化」と定めたのが最初だ。
そして701年に文武天皇が「大宝」の元号を定めてからは、現在の「平成」に至るまで1300年以上にわたって続いている。

「平成」は「大化」から数えて247番目の元号だ。
元号は、天皇の即位だけでなく自然災害やおめでたい兆しがあったことなどを理由にたびたび改められ、多い時には1人の天皇の時代に8つの元号が定められたこともあった。

こうした慣習を改めようと、「明治」への改元の際には天皇一代に元号1つと定める「一世一元制」が採用された。「一世一元制」は当時の皇室典範で明文化され、天皇の即位や元号の制定などについて規定した「登極令」で改元の時期や方法が定められた。しかし戦後、旧皇室典範と「登極令」は廃止され、元号は法的な根拠を失った。

その後、元号の法制化を求める意見が強まると、昭和54年に「元号は、政令で定める」と「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」の2つの項からなる「元号法」が制定され、昭和から平成への改元で適用された。