野田高市 私が仕切る

「何度も何度も倒れても、みんなの目に慣れるまで」
野田聖子、58歳。挫折、それでも挑戦したいと語る。

「女性枠という言葉が、今もある」
高市早苗、57歳。憤る気持ちが、逆に空回りしたことも。

2人はそれぞれ女性初の「委員長」になった。「変えたい」それはどこに行くのか。
(政治部・平河クラブ 黒川明紘)

「岸田さん、安倍さん」

11月1日。その日、彼女は委員長席に着席するやいなや、まるで腕まくりをするようなポーズをした。

そして…
「岸田文雄さん」

最初に質問に立った岸田氏を「さん」で呼んだ。続いて、答弁に立つ総理大臣にも、

「安倍晋三さん」

国会では、委員長が議員を呼ぶ際、「くん」づけが一般的だ。麻生大臣の表情が、その呼び方に対してのものか、関係ないかは知る由もない。ただ、女性として初めて衆議院予算委員会の委員長になった野田氏は、まず慣習から自由になった。

「だって、私が『麻生太郎くん』て言うのは変でしょう。25年も国会議員をやっているけど、あまり永田町色に染まらず、割と世間の方に軸足を置いている1人だと自負している。やっぱり、一般社会で、『くん』づけはあまりしないでしょう」

「永田町、国会だからって言うかもしれないけど、私からしたら、それはおかしくないかいと。国会の慣例だからといって、国民の所作と違うことをやるのは、意味ないんじゃないかと思って」

初の女性委員長

現在、衆参両院で国会議員は706人。男性は609人に対し、女性は97人だ。

その国会の運営を決める議院運営委員会の委員長という重要なポストに、これまで衆参両院とも女性が起用されたことは1度もなかった。

予算委員会は、国の予算案だけでなく、あらゆる重要事項が審議されることもあり、その委員長ポストは「閣僚級」とされているが、女性が就任するのは、衆議院では初めて。
参議院でもこれまでに、小野清子 元国家公安委員長1人だけだ。

「即答しなかった」理由

女性初の衆議院予算委員長となった野田聖子氏。

10月の内閣改造で、総務大臣を外れた矢先、安倍総理大臣から就任の打診があったという。ただ即答はしなかったと話す。
「私には2つの顔、1つは国会議員としての顔と、もう1つは家庭での顔、妻の顔は小さいけど、母の顔というのがあって、1年2か月も総務大臣をやっていると、どうしても家庭の方がおろそかになっていた」

「残念だったのは息子が、より夫になついていて、普段いない母に対しての距離をちょっと感じていた。これを取り戻さなきゃいけないなと思っていた矢先の話だったので、即答はしなかった」

「ただ、国会議員という仕事は、自分が選んでもらっているわけで、選んでもらった以上は、色んな仕事が来ても、基本的にNOと言わないという原点に立ち戻った。夫には『今しばらく、一生こういうことが続くわけではないので』と説明をして、納得してもらったうえで、委員長という仕事を引き受けた」

「女性だからなれた」そういう空気を変えたい

野田氏は以前から、政治に足りないものは多様性だとして、国会でも地方議会でも女性議員を増やし、活躍の場を広げるべきだと訴えてきた。

その一方で、冷ややかな視線も感じるという。
「だいぶ空気は変わってきたとは思うけど、もっと変えるには、当たり前のことだけど、女性の議員の数が増えないといけないなと。そういう現状だけれども、逆に女性議員の方がポストが回ってくるのが早いって揶揄(やゆ)される」

「今回も予算委員長になったのは、私が当選9回じゃなくて、女性だからって思っている人も多いと思う。表では『女だから大臣を何回もやれた』って言わないけど、みんな基本的には思っている。そういう空気を変えて、『お前だから大臣になったんだな』って、自然と思われるようにしたいなと」

「ゾウさんはいなくなる」

野田氏について語る時、9月の自民党総裁選挙に触れないわけにはいかない。どうして挑戦したのか。
「男の権力者じゃなきゃいけないという硬直した先入観を破っていくことが私たち女性議員の役割なんで、そういう意味では総裁選しか見える化ができないんで。何度も何度も倒れても、みんなの目に慣れるまで、結果それが報われたらいいなと思っている」

今回は推薦人を集められなかっただけでなく、当時、総務大臣だった野田氏が、新聞社からの情報公開請求の内容を開示前に、記者との懇親会で話題にしたことが、大きな問題となった。

立候補断念は平成27年に続き、2回目だ。

「まあ、最初は象とアリの戦いって言われて、今回は象とネズミくらいになって、仲間がついたんで。次回は象さんがいなくなるんで。そういう意味では、私自身も成長させてもらっている」

「私、ギラギラしてなくて淡々としているんだけど、そこが問題だって言われる。男社会の永田町で、総裁選っていうのは、マックスの権力闘争で、権力によだれを垂らすくらいの渇望とかがないと勝てないと言われる中、そこが足りないって言われている」

「『国会議員の付き合いが少ない』っていうことも指摘されていて、『どんなに女性に支持されても、総裁選の推薦人になってくれるのは、ほとんど男の国会議員なんだぞ』と。言われてみたら確かにそうで、そこを今改善している」

「国会改革」の案が国会を…

10月29日。その日、彼女はカメラに囲まれていた。

理由は、午後1時から開会する予定の衆議院本会議が、45分も遅れたから。
囲まれていたのは、議院運営委員長となったばかりの高市氏だった。

きっかけはその4日前、25日に行われた超党派議員との会談の席でのこと。

その席で高市氏は突然、国会改革についてのみずからの案を明らかにしたのだ。法案審議のあり方を見直すことなどを盛り込んだもので、議員たちはそれぞれの党に持ち帰った。その後、野党側が「勝手な提案だ」などと反発。最終的に高市氏が文書を撤回したが、その影響で本会議が遅れることになったのだ。

「委員長に就任するまでの間に作ったペーパーだった。いつも新しい役職に就く時には、目標を書き出して、1つずつ1つずつ実現していくというのと同じような感覚で、目標ペーパーを作ったが、あくまでも個人的なものという認識だった」

「ただ、それが表に出てしまい、本会議の開会が遅れたのは申し訳ないと思っている。国会は、十分に各党の意見を聞きながら進めていかなければならないと強く感じた。十分に学ばせてもらった」

不安が的中

女性初の議院運営委員長となった高市早苗氏。
議院運営委員会は、本会議の開催を決めるなど、院の運営を扱う委員会で、委員長は議長、副議長に次ぐナンバー3のポストだ。
「国会が紛糾した時の、最後の調整の場なので、議院運営委員長になる人は、調整能力があって、しかも貫禄のある方がなるポストなんだろうというイメージだった。そのため、最初に打診があった時は、驚いた」

「大変光栄には思ったが、責任の重さにプレッシャーの方が強かった。党の政調会長だったり、閣僚だったりと、政策を作る仕事が続いていて、国会の運営に携わるのは久しぶりだったので、率直に言えば不安の方が大きかった」

その不安が、いきなり的中した形になってしまった。与野党の調整を図る立場の委員長が、開会を送らせる原因となってしまったのだ。

まずは「ペーパーレス」

就任早々つまずいた形の高市氏だが、国会改革を諦めてはいない。
今後は各党の意見を聞きながら、進めたいと意欲を見せる。
「与野党で話し合ってもらって、どのタイミングで、何を議題にするのか、その入り口は丁寧に対応したい。ただ、私が特に強い思いを持っているのは、ペーパーレス。直接、納税者の方々の負担軽減に結びつくので。国会で配布される紙を、どれをレスするかにもよるが、年間で数億円もの費用を減らすことができる」

衆議院文書課によると、国会開会中に議員1人あたりに配られる書類は、積み上げると1日で10cm~15cmにもなるという。議案などの印刷費は、平成30年度予算では衆参両院で合わせて11億円に上っている。
「すでにホームページで見られるものを、すべて印刷して配布することにかかっているお金をどう考えるのか。各党のご意見をうかがいながら、少しでも改善につなげられたらと思っている。苦労は多いと思うが、ご議論いただけたら、大変ありがたい」

やはり「女性枠」という言葉が

そんな高市氏に、女性が国会で活躍するために必要なことを聞いたところ、野田氏と同じ答えが返ってきた。「『女性枠』という言葉があるが、それは、自分にとってつらい言葉だった。『あなただからこの仕事を任せたい』と思ってもらい、任せてもらえるなら、誇りを持って仕事ができるが、『女性枠だから』という見方をされると、やはり、つらいものがある」

「ただ、先輩の女性議員が頑張って少しずつ永田町の空気を変えてくれたように、私も、後輩の女性議員の道を閉ざさないよう頑張ろうという、意地を持ってこれまでやってきた。後輩の女性議員のため、これからも結果を出していきたい」

真価は来年

2人の女性委員長に対する注目は高いが、厳しい視線があるのも事実だ。
長丁場となる来年の通常国会で、その真価が問われることになる。

政治部記者
黒川 明紘
平成21年入局。津局、沖縄局を経て政治部へ。30年6月から衆議院担当。趣味はサッカー観戦。