対面交通
写真:共同通信社

1949年(昭和24年)まで、人も自動車も左側通行だった

「人は右側  車は左側」を訓練する人々。1949年(昭和24年)の東京・南千住 写真:共同通信社

「人は右 車は左」を訓練する人々。1949年(昭和24年)の東京・南千住 写真:共同通信社

「車は左、人は右」。車道と歩道が分かれていない道を走行するときの、基本的な交通ルールですね。日本でこの「対面交通」のルールが採用されたのは戦後の1949年(昭和24年)の11月。実は、それまでは人も自動車も左側通行。「対面交通」ではありませんでした。

その経緯をさかのぼると、1900年(明治33年)に発令された「道路取締規則」で、人間と馬車は左側を通行すると定められたそうです。一説によれば、武士は左側に帯刀していたため、すれ違いざまに鞘(さや)が触れ合わないよう、左側を歩く習慣がついていたからといわれています。

1920年(大正9年)には「道路取締令」で「歩行者と自動車は左側を通行する」と制定されましたが、戦後、自動車台数が増加していくと、あらたな問題を呼ぶこととなります。1977年(昭和52年)『警察白書』には、その当時の状況が以下のように記されています。

昭和21年の我が国の自動車保有台数は、約16万7,000台で、現在(昭和52年)の約185分の1である。その後、終戦直後の混乱期を経て、徐々に増加し、25年には、2.3倍の約38万8,000台となった。

自動車台数がこのように少なかったにもかかわらず、交通事故死者数は、20年代前半既に毎年4,000人前後に上っている。(中略)例えば21年は、交通事故3件のうち1件が死亡事故であった。

2015年(平成27年)3月末現在での自動車保有車両数は約8067万台で、1946年(昭和21年)と比べると実に約483倍。一方、2014年(平成26年)の交通事故死者数は4113人と、ほとんど変わりません。終戦直後、いかに交通事故で死にいたるケースが多かったかがわかります。「対面交通」の採用には、交通事故死を減らす目的もあったのです。

1949年(昭和24年) 楽器を奏で、対面交通を呼び掛ける対面交通の宣伝隊 写真:共同通信社

1949年(昭和24年) 楽器を奏で、対面交通を呼び掛ける対面交通の宣伝隊 写真:共同通信社

喫緊の課題だった交通事故死を防ぐための「対面交通」

この改正の背景には、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの強い要請があったといわれています。交通安全を考えた際には対面交通がもっとも合理的であると考えたGHQは、アメリカと同じ「自動車の右側通行」を求めました。

しかしながら、日本では自動車の乗降口や鉄道、信号機などのすべてが左側通行用に作られていたので、右側通行に変えるとなると、大きな苦労と予算がかかってしまうことになります。そこで、自動車は左側通行のまま、「人間は右側通行」とすることで落着したのだとか。

いつも何気なく守っているルールにも、日本の「ポ」が隠れているのですね。よくみられる未来のイメージには「空を飛ぶ車」もでてきますが、そのときに私たちはどちら側を走っているのやら…。