実地訓練を受ける女性たち
写真:共同通信社

1945年(昭和20年)に終戦を迎えてから、今年でちょうど70年。戦後、日本が「平和国家」を宣言しながらここまで成長してきた影に、ある”戦争”があったことをご存知ですか? それが本日紹介する「交通戦争」。

「交通戦争」とは、1961年(昭和36年)の流行語で、交通事故による死者数が増加し続ける状況が、一種の「戦争状態」だと、新聞で表現されたことから生まれた言葉です。なぜこのような”戦争”が日本で起きたのでしょうか?

「交通戦争」の原因は?

昭和30年代、高度経済成長をむかえた日本では、自動車の数が急増します。それにあわせ交通事故件数も増えはじめ、1946年(昭和21年)には年間4400人だった交通事故による死者数は年々増加し、1959年(昭和34年)にはついに1万人を突破。翌年も1万2000人を超え、この2年間での死者数が日清戦争(1894〜1895年)における日本の戦死者数を超える状況だったことから「交通戦争」といわれるようになりました。「交通戦争」が社会問題化し、流行語となった後も死者数は増え続け、1970年(昭和45年)には1万6000人を超えるという過去最悪の非常事態になってしまいました。

死者が増え続けた理由に、急速な「車社会」へのシフトチェンジに、当時の交通整備がまったく追いついてなかったことがあげられます。また、交通事故で、多くの子供も命を落としました。当時を考察した2005年(平成17年)の「交通白書」では、次のように記されています。

(昭和)30年代から40年代における交通事故死者を状態別にみると、歩道や信号機の整備が十分でない中で、歩行中の死者が最も多くなっていた。特に、子どもが犠牲となった痛ましい事故が続発したことは、交通事故問題の深刻さを国民に強く印象付けた。

子どもたちの安全を守るため、1959年(昭和34年)には登下校を守る学童擁護員、通称「緑のおばさん」が登場します。その後、ガードレール、歩道橋、道路標識などが急ピッチで作られ、1970年(昭和45年)をピークに交通事故の死者数は減少していきました。いまではおなじみの登下校時間を中心に交通規制を行う「スクールゾーン」も1972年(昭和47年)から始まりました。

その効果もあって1979年(昭和54)まで死者数は減少していきます。しかし、1980年(昭和55年)からは再び上昇を始め、1988年(昭和63年)に死者が再び1万人を超えたことから、「第二次交通戦争」と呼ばれるようになりました。なぜ事故件数は再び増えはじめたと思いますか?

第一次交通戦争では「歩行者の死亡」が多かったのに対し、第二次交通戦争では「車を運転する人の死亡事故」が増えていました。そして、その事故による死者で多かったのは、若者でした。

「交通戦争」も「戦後」のままで…

2000年(平成12年)以降、交通事故の年間死者数は14年連続で減少。昨年の死者は4113人と、統計が残る1946年(昭和21年)以降では、戦後3番目に少ない数字です。

ここまで改善された背景には、シートベルト着用の義務化、飲酒運転に対する罰則強化などが効果を発揮しています。また、エアバッグやABSなどの装備が標準化するなど、自動車の安全性能がアップしたこと、運転技術や運転マナーが向上したことが理由にあげられます。近年の「若者の車離れ」も事故死者数が減った要因と見る向きもありますね。

しかし、最近は若者による事故が減った代わりに、65歳以上の高齢者による車の事故の割合が増えているようです。この先も「交通戦争」は繰り返されずに、「戦後」のままであってほしいものですね。