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福生の70年を見つめるニッポンのル“ポ”も最終回。

かつてのにぎわいが影をひそめた80年代から90年代。
福生で数々の店を経営する中島武さん(※)はこう振り返ります。
(※中島さんの証言は③FUSSAから生まれたサブカルチャーにも掲載されています)

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「会社を経営するようになり、たまに福生に来ると、まるでゴーストタウンのようだった。16号線沿いの多くの店はシャッターを閉ざし、『貸店舗』の紙が貼ってあった。大好きな福生がこうなっていくのはイヤだった。あの頃好きだった福生を思い出して、空き店舗を見つけては借り、見つけては借りて、店を出した」

米軍ハウスを借りてレストランに改造したり、アメリカの軍関係者払い下げの家具などを扱う店を始めたりするなど、話題になる、個性的な店を作りたいと考えました。

4_02米軍ハウスを改装したイタリアンレストラン

現在、国道16号線沿いで中島さんが経営する店は17軒。福生でしか味わえない魅力がある街にしたい、と言います。

「今はインターネットなどで簡単にアメリカンファッションやグッズを手に入れる事ができる。かつてのアメリカっぽさだけでは福生は売れない。遠くからでもわざわざ訪れたいと思うような店を作りたい」

16号線沿いの商店街でも、多くの人に訪れてもらう街を作ろうと努力しています。商店街の理事長である冨田勝也さん(70才)は米軍ハウスを、若手ミュージシャンによるコンサートやトークショー、展示用のギャラリーなどとして利用しています。

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「先日、父親が昔福生のハウスに住んでいた、という米兵が訪ねてきました。当時の暮らしについて父がいつも話をしていたので、自分も横田に来た時は是非ハウスに来てみたかった、と言ってくれました。昔の話をしたり、新しい事を始めたいという人が来たり、そういう交流が増えたら良いなと思っています」

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ニッポンとアメリカ。古いものと新しいもの。
一見すると相反するものを福生の人たちは受け入れ、独自の歴史を刻んできました。

 
 
最後に、これまで証言をしてくれた人たちに、「これからの福生」について聞きました。

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将来は店だけでなく、アメリカ西海岸のリゾート地のように特徴ある「街づくり」をしていきたいという中島武さん。

「戦争があった頃の、どこか暗くてきな臭い福生に戻したいとは思わない。基地があるという事実を逆手にとって魅力として売り出さないといけないと思う。たとえそういう店を作るお金があっても、ピカピカな大理石の床ではなく、泥臭い木の板の床が福生の魅力だと思っている。そういう古くからの魅力を活かしながら新しい街を作って行きたい」

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米兵向けの保険を扱う会社を経営する森重裕子(やすこ)さん。

「困った事があると相談を持ちかけられたり、こんなおばあちゃん相手にお菓子とかお土産を持ってきてくれてランチに誘ってくれたりして、うれしいですよ」

そんな森重さんのお店に鎮座する一組の親子タヌキ。

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かつてはもう一組の親子タヌキがいましたが、森重さんが家族ぐるみで付き合っていた米軍高官が帰国する際にプレゼントされ、一緒に渡米。現地では「母親」を意味する「ムッタMUTHA」と名付けられ、1964年(昭和39年)以来、毎年最優秀部隊に与えられるように。2010年(平成22年)には、なんと!スペースシャトル・アトランティスに乗って宇宙へ飛び立ちました。
今でも店には「ムッタのペアを見せてくれ」と米兵が訪れるそうです。

4_10森重さんの店では軍服に縫い付けるワッペンも置いている

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現在は基地との交流クラブの会長を務める 野澤久人さん 前福生市長

「交流クラブの会長を務めて横田基地の兵士たちと個人的に付き合う機会が増えると、とても魅力的な人たちであることが分かりました。市長時代は、市民の生活を守るのを第一に、基地に対して様々な要望を出しました。それはその場では必要な対処でした。でも長い目で見た時にアメリカとの関係で大事なのは、個人と個人との付き合いや信頼関係だと思います」

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オーディオ店を経営していた稲垣祥子さんと、息子の美彦(よしひろ)さん。

「80年代後半になって米軍のお客さんが減った頃、(亡くなった)夫は『売れて当たり前と思うのはヨコタ病だ』といって、売れるために何が必要か、経営や接客を一から見直さないといけない、と言っていました。米兵がこぞって店で買い物をしていた時代の記憶、そうした過去にしがみつくことなく、これからの事をしっかり考えないといけないと思っています」

【コラム】いまだに残る“見えない壁”~横田空域~

遠回りの不思議

関西や九州などから羽田空港に到着する飛行機に乗っていて思ったことはありませんか?
「なんでこんなに遠回りして着陸するのだろう・・」。多くの飛行機は房総半島の方まで回り込んでから、左に旋回して羽田空港に着陸します。もっと直線的に目的地に向かうことはできないのでしょうか。そこには横田空域という目に見えない壁の存在が関係しているのです。

日本の中にある「アメリカの空」

「横田空域」とは横田基地のアメリカ軍が管理している空域のこと。
南は静岡県から北は新潟県まで1 都8県に及ぶ広大な空域です。

場所によって高さが異なり、最も高いところでは7000メートルに達しています。
この空域の航空管制は横田基地の米軍が行い、米軍の許可がなければこの中を飛行機は飛ぶことができません。そのため、多くの場合、民間機はこの空域を飛び越えるか、う回を余儀なくされているのです。

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元日本航空の機長で航空評論家の小林宏之さんは
「横田空域はパイロットにとってまさに壁、あるいは山のようなもの。そのため東京湾で旋回して高度を稼いでから飛び越えたり、う回する。石川県の小松空港から羽田空港に向かう飛行機が名古屋・浜松の上空を回ってくるのもその影響です」

今も続く米軍の管理~根拠は日米地位協定~

横田空域があるのは終戦後、連合軍が日本の航空管制を掌握したのがはじまりで、今も日米地位協定に基づいて米軍が管理しているからです。これまで数度にわたって横田空域の一部返還がされてきましたが、依然として広大な空域がアメリカの管制下にあるのです。

さらに横田空域の存在は安全やコストの面にも影響を及ぼしているといいます。
「飛行ルートが制限されるとある一定の場所に飛行機の流れが集中するのでニアミスの可能性が高くなる。また、う回したり、高度を稼ぐために時間と燃料が余計にかかる」(前出 小林宏之さん) 2008年(平成20年)に横田空域の一部が返還された際には飛行時間が平均3分短縮、経済効果は年間98億円と試算されました。

東京オリンピックに向けての課題

この広い横田空域の存在が5年後の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて
ひとつの課題になっています。国は羽田の発着回数を、年間約3万9千回増やそうとしています。そこで現在、浮上している案のひとつが、都心上空を通って、空港の北側から着陸する新たなルートの設定です。

ところがこのルートでは埼玉県から東京都の北部にかけて横田空域を通過することになり、実現には米軍の許可が必要です。現在、日本側と米軍との間で空域を通過できるかどうか話し合いが進められているそうです。この問題は横田空域の通過だけでなく、飛行ルート下の住民や自治体の理解も必要です。戦後の占領期の名残として今も存在する横田空域も含めて、この先も、私たちが向き合わなくてはいけないことはまだあるのです。

撮影:武田充弘