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横田基地の役割が大きくなるのに伴い、街としての規模が広がっていった福生。

1950年代からは米軍の関係者が増え、基地内の住宅が不足。周辺の農家の敷地などに「米軍ハウス」が建設され始めました。多い時で2000を超えるハウスが軒を連ねたそうです。

写真提供:稲垣美治さん写真提供:稲垣美治さん

1960年代後半に撮影された横田基地第5ゲート付近。中央左側に走るのが国道16号線。
道に沿って米軍ハウスが並んでいます。

写真提供:「素顔の横田基地」ホームページ 写真提供:「素顔の横田基地」ホームページ

1945年(昭和20年)の福生の人口は9918人。それが1965年(昭和40年)は29133人。
福生「市」になった1970年(昭和45年)には37943人と、ふくれあがっていきました。

左 昭和20年代の福生駅周辺 写真提供:福生市郷土資料室 右 1964年(昭和39年)福生駅前商店街 写真:高木紀男さん 左 昭和20年代の福生駅周辺 写真提供:福生市郷土資料室
右 1964年(昭和39年)福生駅前商店街 写真:高木紀男さん

2-05写真提供:福生武蔵野商店街振興組合

写真提供:福生市郷土資料室写真提供:福生市郷土資料室

1960年代。ニッポンが高度経済成長を迎えた時期、基地の脇を走る16号線沿いも装いを変えていきました。

写真提供:稲垣祥子さん写真提供:稲垣祥子さん

当時、16号線周辺で最も大きかったといわれるオーディオセンタ-。
オーディオセットの他に、陶器類や土産物なども扱っていました。

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かつてオーディオ店を営んでいた場所で現在は特別養護老人ホームを経営する稲垣祥子さん(78才)。当時の店の様子を次のように話してくれました。

「米兵からリクエストを受けて毎朝、秋葉原まで買い出しに行きました。昼頃店に戻ると、すぐ売り切れてしまう。日本製は安くて品質が良いと、米兵がこぞって買いに来ました。自分たちの家ではせいぜいトランジスタラジオでしたから、こんな大きなオーディオで音楽を聴ける米兵の家はどんなだろうと思っていました」

写真提供:稲垣祥子さん写真提供:稲垣祥子さん

周波数も電圧もアメリカ規格の製品を売っていたので、客のほぼ100%が米軍関係者。
ステレオセット、アンプ、スピーカー、レコードプレーヤー、オープンリールデッキなどが飛ぶように売れて、店は急速に大きくなったそうです。

写真提供:稲垣祥子さん写真提供:稲垣祥子さん

当時は1ドル360円の固定相場。日本人にとっては高根の花だったオーディオも、米兵にとっては安価なものだったといいます。

米兵やその家族でにぎわう店内  写真提供:稲垣祥子さん米兵やその家族でにぎわう店内  写真提供:稲垣祥子さん

写真:共同通信社 写真:共同通信社

こちらは1972年(昭和47年)の写真。百貨店の売り場に並ぶステレオ。「本格的なステレオ時代の到来」と評されました。経済的に豊かな米軍相手の商売をしていた福生では、市民の消費行動も日本人の平均より先を行っていたようです。

 

一方、店の人たちには「アメリカ」への特別な意識はなかったとも言います。

「当時はただただ一生懸命商売していただけ。とにかく忙しかった。相手が米兵だからどうだ、とかいう感覚は全くなく、お客さんと商売人という関係だった。どうしたらもっと買いに来てくれるだろうとか、街作りをしようとか、の気持ちもなく、とにかくがむしゃらに働いていた」

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忙しく働く両親を見て育った息子の稲垣美彦(よしひろ)さん(49才)は当時を思い出しながらー。

「今の福生しか知らない人は『アメリカのような雰囲気がある』とばかり言うが、昔からいる者にしてみたら今の福生の街並みは、日本の若者相手の作りもののようにも感じる。昔は一つ一つの商店が、米兵の暮らしに必要なものをそろえるための実用的なものだった。米兵やその家族が普通に買い物をする商店街だった」

基地と街との交わりが深まる一方で、負の側面も注目されるようになります。


アメリカがベトナムの北爆を開始した1965年(昭和40年)。
福生では戦闘機の配備などに反対する大規模な集会が開かれました。

写真:共同通信社 戦闘機F-105配備に対する大規模な反対集会写真:共同通信社 戦闘機F-105配備に対する大規模な反対集会

反対運動が高まる中、1970年(昭和45年)には大型の輸送機・ギャラクシーが初飛来。
世界最大級の長距離輸送機。激しい騒音が出ることで知られていました。

写真:共同通信社 写真:共同通信社

その後もジェット機や攻撃機の離着陸訓練が行われたり、アメリカ同時多発テロ事件の後には、演習のため街中にサイレン音が鳴り響いたと言います。

15年前に米軍ハウスに憧れて福生に移り住んだという田中克海さん(44才)。
引っ越した当初はアメリカンな雰囲気を満喫していましたが、2001年(平成13年)に、アメリカ同時多発テロが起こると、米軍の警戒が厳しくなっていったと振り返ります。

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「基地のゲートには銃を持った兵士が立っていたし、16号線でも6,7人の米兵が並び、道行く車を停めていた。いつもは空を見上げると気持ち良いのに、しばらくは基地内の高い建物の屋上から町の方を見張る兵士がいた。世界のどこかで何かが起こると、福生がただアメリカンな街なのではなく、基地の街、戦争をする人がいる街なんだということを思い出します」

ある種の緊張感を持ちながら複雑に交わりあう基地と街。

次回は、その中から生まれていった福生独特の文化についてお伝えします。

撮影:武田充弘