写真:共同通信社

タラップから、手を高々と掲げ、報道陣や見送る人々に応える田中角栄首相。そして左には後に首相となる、大平正芳外務大臣。笑顔の2人が乗りこんだ飛行機の行き先はハワイ。南国へのリゾート…ではなく、ニクソン大統領との日米首脳会談のため、1972年(昭和47年)のきょう、羽田空港から飛び立ちました。ハワイに到着した田中首相は、2日間にわたってニクソン大統領との首脳会談を行いました。大きなテーマとなったのは「日中の国交正常化」と「拡大する日米貿易不均衡の解消」。この2つの議題に合意を見た両首脳は、翌9月1日に共同で声明を発表します。

この日米首脳会談で、日中国交正常化交渉についての米国の理解を得てから約1か月後の9月25日に田中首相は中国を訪問。周恩来首相との首脳会談の後に発表された「日中共同声明」によって、懸案であり続けた「日中国交正常化」が実現しました。田中内閣が発足したのは、この年の7月。わずか2か月のあいだに、大きな外交成果を得たのです。学歴のない庶民性から「今太閤」「庶民宰相」と呼ばれた首相は、国民からの人気と期待を一身に集め、同年8月の内閣支持率は62%にもなりました。

しかし、その人気はいつまでも続きませんでした。1973年(昭和48年)の第一次オイルショックから発生した「狂乱物価」による経済の混乱や、1974年(昭和49年)に発表された、金権政治を追及する論文などの影響で、田中内閣の支持率は大きく低下。総辞職へと追い込まれます。さらに1976年(昭和51年)に明るみに出た「ロッキード事件」が、政界・経済界を巻き込んだ贈収賄疑惑に発展し、田中前首相(当時)の逮捕へと至ります。

1972年(昭和47年)9月1日に発表されていた声明のなかに、日米の貿易不均衡を是正するため「3億2千万ドル相当の大型機を含む民間航空機の購入を計画中である」との内容があったことから、その後の「ロッキード事件」をめぐる裁判では、首脳会談の中で具体的な航空機メーカーの社名が示されたかどうかが、争点のひとつとなりました。

1976年(昭和51年)の総選挙では、ロッキード事件への批判を受けて自民党は大敗を喫し、田中内閣の後継となった三木内閣もまた、退陣へ追い込まれます。田中首相の人気を高めた「会談」が、議席を失わせる「怪談」になってしまうとは、このときには、思いもよらなかったのではないでしょうか。