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駅が復興のシンボルだった時代

日本全国の主要な駅には商業施設、いわゆる「駅ビル」が併設されています。有名デパートやショッピングモールが駅と直結し、仕事帰りに買い物をしたり、ちょっと一杯なんていうときにとても便利ですね。このような、複数の施設を併設した駅は戦前からありましたが、全国に普及したのは戦後のことでした。

空襲によって荒廃した駅舎を再建するべく、国鉄ではあるアイデアが採用されました。駅舎の建設費用の一部を民間から募る代わりに、出資者へのテナント利用を認め、建設資金を節約するというのです。こうして建設された駅を「民衆駅」と呼びました。戦後の復興の象徴として「地元に立派な駅を!」という声も追い風に、東海道本線豊橋駅が1950年(昭和25年)4月に国鉄初の民衆駅として完成。以後、1950年から60年代にかけて全国で「民衆駅」が次々に登場します。上の写真は、1961年(昭和36年)の豊橋駅の姿です。

自動車やバスが集まり、活気を見せる1979年(昭和54年)の川崎駅

自動車やバスが集まり、活気を見せる1979年(昭和54年)の川崎駅

1959年(昭和34年)に神奈川県内初の「駅ビル」となる「民衆駅」、川崎駅が建設されました。当時の様子が川崎市のWebサイトで次のように記されています。

 飛躍的に発展する工業地帯を支える輸送を改善し、大工業都市にふさわしい堂々たる駅舎にしようと商工会議所や企業が協力して新会社を設立し、総工費14億4千万円のうち4億円を国鉄に寄付し、神奈川県内では初の駅ビルとなりました。

駅前ロータリーでは、京急電鉄・バス・市電などの交通のかなめとして大勢の人が行き交い、東口駅前には、デパートや飲食店、娯楽施設、金融機関など繁華街ができてゆき、一日中大変にぎわいました。

あなたが使うあの駅も「民衆駅」だった

今のように、全国各地に「駅ビル」の建設が拡大したきっかけは、1971年(昭和46年)。当時の法律が改正され、駅と一体化した店舗や事務所を建設・管理する事業に国鉄が直接投資できるようになり、地元の商工会や企業との共同出資による駅ビル建設の機運が一気に高まりました。以後、「民衆駅」という名称よりも「駅ビル」が一般的になっていきます。「民衆駅」としての歴史を持つ駅には、現在でも大きな駅ビルを構えている新宿や池袋、横浜などの駅も含まれています。今では面影も少ないですが、「民衆駅」だったとは知らずに毎日利用している人も、きっと多いことでしょう。

実は秋葉原駅も「民衆駅」だった!

ちなみに、惜しまれつつも2006年に閉店した東京・秋葉原の「アキハバラデパート」も、もともとは1951年(昭和26年)に駅ビルとしてオープンした民衆駅でした。現在はリニューアルし、立派なビルになりましたが、閉店当時の古びたアキハバラデパートも、「戦後」や「昭和」の雰囲気がありましたね。今思えば「民衆駅」という呼び名がとてもしっくりくる場所でした。

戦後の復興の象徴として、官民の力から生まれた「民衆駅」。その面影はすっかり消えてしまいましたが、街から生まれる活力は、違った形で秋葉原駅に残っているのかもしれませんね。