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ちばてつやさん書き下ろし 40秒でわかるニッポンの戦後70年

キャラクターデザイン ちばてつや / CG制作 白組

※NHKサイトを離れます

36のポを探せ

これは、NHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像」の
オープニングで毎回流れる映像です。
主人公のキャラクターデザインは、
漫画家・ちばてつやさんが番組のために書き下ろしました。

ちばさんの思いはこちら

そして、戦後の焼け野原や、経済成長、バブル・・・といった背景をよく見ると、
そこには、時代を彩った出来事や、前人未到の記録を達成したスーパースターなど、
70年間のニッポンの歩み=「ポ」が36個隠されています。
さあ、画面をスクロールして、36の「ポ」を探しに行きましょう。

もう一度動画を見る

キャラクターデザイン ちばてつや / CG制作 白組

買い出し列車

戦後、食料不足の都市部から農村へ向かう列車は買い出しの人で超満員。晴れ着などを一枚一枚売っては食料に換える「タケノコ生活」という言葉が流行した。

東京タワー

1958

工期わずか1年半で当時世界一のタワーが完成。鉄骨の一部は朝鮮戦争で使われた米軍の戦車を溶解したものだった。

路面電車

戦後復興とともに発達した都電。1955年には全長213キロに及び黄金期を迎える。この6000形はいわば都電の“顔”だった。

初代ブルーバード

1959

「幸せを運ぶ青い鳥」というコピーとともに、国産小型車初の5人乗りセダンとして登場、マイカー時代の幕開けに。独特な縦長のテールランプは「柿の種」と呼ばれて親しまれた。

日劇

戦前から約半世紀にわたって日本のショービジネスを支えた“娯楽の殿堂”。昭和30年代はロカビリーブームでウエスタンカーニバルは大盛況となった。

街頭テレビ

1954

この年、プロレス中継がスタート。新橋駅前の街頭テレビでは、力道山・木村組対シャープ兄弟の試合を2万人の群衆が食い入るように見つめた。

首都高開通

1962

京橋-芝浦間が開通したのは東京五輪の2年前。当時わずか4.5キロの首都高は現在、東京~名古屋に匹敵する総延長約300キロに。

東海道新幹線開業

1964

開業したのは東京五輪開会式の9日前!以来、半世紀で延べ56億人を運んだ。

東京オリンピック

1964

聖火の最終ランナーは、原爆が投下された1945年8月6日、広島に生まれた坂井義則さん。平和の祭典の象徴とされた。

学生運動

日米安保条約や大学の管理運営、学費値上げなどをめぐって大学内における紛争が頻発。1969年の「東大安田講堂事件」では機動隊8500人が出動、600人以上の逮捕者が出た。

大阪万博

1970

万博開催を記念してタイムカプセルが埋められた。中身は超小型テレビ、宇宙食、足袋、ササニシキ、タバコ「ショートホープ」、入れ歯など。開封されるのはなんと5000年後の西暦6970年!

ボウリングブーム

1971

中山律子選手がテレビ収録中に女子プロ初のパーフェクト達成以来、人気も急上昇。週に10本以上の番組が放送され、全国にボウリング場が林立した。

大気汚染深刻化

1970

7月18日、東京・杉並区で体育の授業中に多数の女子高生が、目の痛みや頭痛を訴え病院に。その原因が光化学スモッグと判明。日本で最初に注目された日として「光化学スモッグの日」に。

世界初のカップ麺発売

1971

日本のファストフードの先駆け。認知度を高めるきっかけは1972年のあさま山荘事件。雪の中、機動隊員が食べる様子がテレビや新聞で大きく報道され、生産が追いつかないほど売れ出した。

パンダ人気

1972

日中友好の証しとして中国から贈られた2頭のパンダ、ランランとカンカン。ちなみに当時、中華料理店のCMでおなじみになった双子姉妹はリンリン、ランラン。

オイルショック

1973

原油高騰をきっかけにトイレットペーパーの買いだめ騒動が起きた。値段は3倍以上にはね上がった。

ピンク・レディー誕生

1976

子どもたちの間で振り付けの完全コピーが流行った。ミーとケイ、どちらの役をやるかでケンカになることも・・。ちなみにこのポーズはデビュー曲「ペッパー警部」。

ジーパン刑事

1974

裾が広がったベルボトムが流行。日本ではパンタロン、ラッパズボンとも呼ばれた。テレビドラマ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事の人気も急上昇、殉職時のセリフ「なんじゃ こりゃ」は流行語に。

竹の子族

1979

毎週日曜日の午後、原宿の歩行者天国に現れた。ピーク時には2000人の竹の子族に対して10万人近いギャラリーが集まった。名前の由来は「ハーレムパンツ」と呼ばれる衣装を販売するブティック「竹の子」から。

口裂け女

1979

小学生を恐怖に陥れた都市伝説。「わたし、きれい?」と尋ねてくるマスク姿の女性に「きれい」と答えると、女性が「これでも?」とマスクを外し、そこには耳元まで大きく裂けた口が・・・。「ポマード」と唱えると逃げていくという説も。

世界のホームラン王

1977

王貞治選手が756号の世界記録達成。3年後、引退発表のコメントは「王貞治としてのバッティングができなくなったので」。それでも19年連続の30号、通算868本。

ブルース・リー ブーム

カンフー映画が大ヒットし、少年たちの間で、ヌンチャクや「アチョー」という叫び声がはやった。1973年、映画「燃えよドラゴン」の日本公開を前に32歳で謎の死を遂げた。

インベーダーゲーム

1979

ゲームセンターだけでなく喫茶店やスナックも、テーブル型のインベーダーゲーム機を次々に購入。大人も子ども100円玉を積み上げてゲームに夢中になった。

聖子ちゃんカット

1980

ヘアスタイルが女子中高生から大人にまで流行。同時代のアイドルもこの髪型が多かった。

ショルダーホン

1985

電電公社が民営化しNTTになったこの年、自動車電話の発展形として登場。文字通り肩から下げるもので重さは約3キロあった。

なめ猫ブーム

1981

「なめられたら無効」のコピー入り免許証のカードなどが爆発的に売れた。正式名称は「全日本暴猫連合 なめんなよ」。英語では「Don't Pelorian!」。

携帯型ゲーム機

1989

任天堂が「ゲームボーイ」を発売。ソフトを入れ替えることで様々な人気ゲームが楽しめ、世界的に普及。2000年には累計販売台数 1億台を突破した。

ジュリアナブーム

1991

ワンレン・ボディコン・ジュリ扇。バブル時代の代名詞となった東京・芝浦に存在したディスコだがオープンした1991年にはすでにバブル崩壊が始まっていた。

日本人宇宙飛行士

1992

毛利衛さんがスペースシャトルで宇宙へ。チャレンジャー号爆発事故の影響などで4年以上遅れたため、日本人“初”の宇宙飛行士はソ連のソユーズで行った秋山豊寛さんに。

ロリータファッション

日本独自のファッションスタイルとして発達。外務省が2009年、「カワイイ大使」のひとりに任命したのはロリータファッション界のカリスマと呼ばれた青木美沙子さんだった。

イチロー人気

1994年に初の首位打者になって以来7年連続でタイトル獲得。2001年、日本人野手として初めてメジャーに。独特の構えは草野球でも大人気。

レインボーブリッジ開通

1993

橋の名称は全国から寄せられた2万通余りの中から、140人が選んだ「レインボーブリッジ」に。命名前は「東京港連絡橋」と呼ばれていた。

ガングロ・ヤマンバ

1999

厚底靴を履いて、肌を黒く焼いたり、メイクした「ガングロ」。銀髪や白い口紅などでさらに黒い肌を目立たせる「ヤマンバ」も登場。

Jリーグ開幕

1993

開幕戦は横浜マリノスが2対1でヴェルディ川崎に逆転勝ち。キング・カズは憧れの存在となった。

小惑星探査機「はやぶさ」

2003年に打ち上げられ、7年後に劇的な帰還を果たした。現在は後継機「はやぶさ2」が飛行中。地球に戻ってくるのは2020年のオリンピックが終わった後の予定。

東京スカイツリー開業

2012

工期は3年半。足元の一辺の長さは68mの三角形。東京タワーは95mの四角形。狭い敷地に倍近い高さのタワーを建設。ここにも技術の進歩が・・。

買い出し列車

戦後、食料不足の都市部から農村へ向かう列車は買い出しの人で超満員。晴れ着などを一枚一枚売っては食料に換える「タケノコ生活」という言葉が流行した。

東京タワー

1958

工期わずか1年半で当時世界一のタワーが完成。鉄骨の一部は朝鮮戦争で使われた米軍の戦車を溶解したものだった。

路面電車

戦後復興とともに発達した都電。1955年には全長213キロに及び黄金期を迎える。この6000形はいわば都電の“顔”だった。

初代ブルーバード

1959

「幸せを運ぶ青い鳥」というコピーとともに、国産小型車初の5人乗りセダンとして登場、マイカー時代の幕開けに。独特な縦長のテールランプは「柿の種」と呼ばれて親しまれた。

日劇

戦前から約半世紀にわたって日本のショービジネスを支えた“娯楽の殿堂”。昭和30年代はロカビリーブームでウエスタンカーニバルは大盛況となった。

街頭テレビ

1954

この年、プロレス中継がスタート。新橋駅前の街頭テレビでは、力道山・木村組対シャープ兄弟の試合を2万人の群衆が食い入るように見つめた。

首都高開通

1962

京橋-芝浦間が開通したのは東京五輪の2年前。当時わずか4.5キロの首都高は現在、東京~名古屋に匹敵する総延長約300キロに。

東海道新幹線開業

1964

開業したのは東京五輪開会式の9日前!以来、半世紀で延べ56億人を運んだ。

東京オリンピック

1964

聖火の最終ランナーは、原爆が投下された1945年8月6日、広島に生まれた坂井義則さん。平和の祭典の象徴とされた。

学生運動

日米安保条約や大学の管理運営、学費値上げなどをめぐって大学内における紛争が頻発。1969年の「東大安田講堂事件」では機動隊8500人が出動、600人以上の逮捕者が出た。

大阪万博

1970

万博開催を記念してタイムカプセルが埋められた。中身は超小型テレビ、宇宙食、足袋、ササニシキ、タバコ「ショートホープ」、入れ歯など。開封されるのはなんと5000年後の西暦6970年!

ボウリングブーム

1971

中山律子選手がテレビ収録中に女子プロ初のパーフェクト達成以来、人気も急上昇。週に10本以上の番組が放送され、全国にボウリング場が林立した。

大気汚染深刻化

1970

7月18日、東京・杉並区で体育の授業中に多数の女子高生が、目の痛みや頭痛を訴え病院に。その原因が光化学スモッグと判明。日本で最初に注目された日として「光化学スモッグの日」に。

世界初のカップ麺発売

1971

日本のファストフードの先駆け。認知度を高めるきっかけは1972年のあさま山荘事件。雪の中、機動隊員が食べる様子がテレビや新聞で大きく報道され、生産が追いつかないほど売れ出した。

パンダ人気

1972

日中友好の証しとして中国から贈られた2頭のパンダ、ランランとカンカン。ちなみに当時、中華料理店のCMでおなじみになった双子姉妹はリンリン、ランラン。

オイルショック

1973

原油高騰をきっかけにトイレットペーパーの買いだめ騒動が起きた。値段は3倍以上にはね上がった。

ピンク・レディー誕生

1976

子どもたちの間で振り付けの完全コピーが流行った。ミーとケイ、どちらの役をやるかでケンカになることも・・。ちなみにこのポーズはデビュー曲「ペッパー警部」。

ジーパン刑事

1974

裾が広がったベルボトムが流行。日本ではパンタロン、ラッパズボンとも呼ばれた。テレビドラマ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事の人気も急上昇、殉職時のセリフ「なんじゃ こりゃ」は流行語に。

竹の子族

1979

毎週日曜日の午後、原宿の歩行者天国に現れた。ピーク時には2000人の竹の子族に対して10万人近いギャラリーが集まった。名前の由来は「ハーレムパンツ」と呼ばれる衣装を販売するブティック「竹の子」から。

口裂け女

1979

小学生を恐怖に陥れた都市伝説。「わたし、きれい?」と尋ねてくるマスク姿の女性に「きれい」と答えると、女性が「これでも?」とマスクを外し、そこには耳元まで大きく裂けた口が・・・。「ポマード」と唱えると逃げていくという説も。

世界のホームラン王

1977

王貞治選手が756号の世界記録達成。3年後、引退発表のコメントは「王貞治としてのバッティングができなくなったので」。それでも19年連続の30号、通算868本。

ブルース・リー ブーム

カンフー映画が大ヒットし、少年たちの間で、ヌンチャクや「アチョー」という叫び声がはやった。1973年、映画「燃えよドラゴン」の日本公開を前に32歳で謎の死を遂げた。

インベーダーゲーム

1979

ゲームセンターだけでなく喫茶店やスナックも、テーブル型のインベーダーゲーム機を次々に購入。大人も子ども100円玉を積み上げてゲームに夢中になった。

聖子ちゃんカット

1980

ヘアスタイルが女子中高生から大人にまで流行。同時代のアイドルもこの髪型が多かった。

ショルダーホン

1985

電電公社が民営化しNTTになったこの年、自動車電話の発展形として登場。文字通り肩から下げるもので重さは約3キロあった。

なめ猫ブーム

1981

「なめられたら無効」のコピー入り免許証のカードなどが爆発的に売れた。正式名称は「全日本暴猫連合 なめんなよ」。英語では「Don't Pelorian!」。

携帯型ゲーム機

1989

任天堂が「ゲームボーイ」を発売。ソフトを入れ替えることで様々な人気ゲームが楽しめ、世界的に普及。2000年には累計販売台数 1億台を突破した。

ジュリアナブーム

1991

ワンレン・ボディコン・ジュリ扇。バブル時代の代名詞となった東京・芝浦に存在したディスコだがオープンした1991年にはすでにバブル崩壊が始まっていた。

日本人宇宙飛行士

1992

毛利衛さんがスペースシャトルで宇宙へ。チャレンジャー号爆発事故の影響などで4年以上遅れたため、日本人“初”の宇宙飛行士はソ連のソユーズで行った秋山豊寛さんに。

ロリータファッション

日本独自のファッションスタイルとして発達。外務省が2009年、「カワイイ大使」のひとりに任命したのはロリータファッション界のカリスマと呼ばれた青木美沙子さんだった。

イチロー人気

1994年に初の首位打者になって以来7年連続でタイトル獲得。2001年、日本人野手として初めてメジャーに。独特の構えは草野球でも大人気。

レインボーブリッジ開通

1993

橋の名称は全国から寄せられた2万通余りの中から、140人が選んだ「レインボーブリッジ」に。命名前は「東京港連絡橋」と呼ばれていた。

ガングロ・ヤマンバ

1999

厚底靴を履いて、肌を黒く焼いたり、メイクした「ガングロ」。銀髪や白い口紅などでさらに黒い肌を目立たせる「ヤマンバ」も登場。

Jリーグ開幕

1993

開幕戦は横浜マリノスが2対1でヴェルディ川崎に逆転勝ち。キング・カズは憧れの存在となった。

小惑星探査機「はやぶさ」

2003年に打ち上げられ、7年後に劇的な帰還を果たした。現在は後継機「はやぶさ2」が飛行中。地球に戻ってくるのは2020年のオリンピックが終わった後の予定。

東京スカイツリー開業

2012

工期は3年半。足元の一辺の長さは68mの三角形。東京タワーは95mの四角形。狭い敷地に倍近い高さのタワーを建設。ここにも技術の進歩が・・。

ちばてつやさんが
キャラクターに込めた思いとは…

『あしたのジョー』などで知られる、日本を代表する漫画家・ちばてつやさん(76)。
6歳の時、旧満州で終戦を迎えました。今回描いたのは、終戦の年に生まれた子どもが、日本の復興とともに成長し、家族をつくり、70歳になるまでの姿です。そこには、戦争を経験し、戦後70年を見つめてきたちばてつやさんの思いが込められています。

おふくろのことを思い出しながら描いた

のお母さんが赤ちゃんを抱いて廃虚から立ち上がるところを一番先に描いたんですけど、私の弟が1944年生まれですから、ちょうど戦争が終わったときに乳飲み子で、まだ歩けないですよね。ただ抱っこされているだけの赤ちゃんだった。ですからおふくろのことを思い出しながら描きました。親としては本当に大変だったろうなと。

19451945

の中でこの子供が育つだろうか。大人たちも飢えている時代ですから。ましてや子供は、この子はうまく育てることができるだろうかということをきっと不安に思いながら育てていたと思うんですよね。だから、こうやって1948年ぐらいになって男の子が立ち上がってね、よちよち歩くくらいの時にはすごくほっぺたも赤く元気で、少しは食べるものもできてきたのかな、なんて思いながら描いていました。

19481948

貧しかったけど、生きていけることが希望だった

なかは空いていましたね。だから私もこの辺の時代がいちばん辛かったし、日本人みんながおなかをすかしていて、貧しくて、まだ希望も何も持てない。ただ戦争が終わったということだけが希望でした。何もないけど、もう空襲はない。爆撃されることもない。明日、食料さえあれば何とか生きていけるという、爆撃される恐さから解放された明るさはありましたね。

1956 19581956 1958

日本人誰もがこんな幸せな人生を送ってほしい

これ書きながらね、このお母さんが廃虚から立ち上がって、この子が育っていって、小学校になる時にお父さんが急に出てきますけども、このお父さんは戦地から帰ってきたのかなあ。それとも再婚したのかなあ。どっちだろうってわからなかったんですね。だけど、お父さんがいてよかったねと思いながら描きましたね。

1962 19681962 1968

その後、この子が成長して恋をして、家庭をもって、で、団塊の世代、もう本当にいい仕事を多分したんだろうと思います。充実した中年になって、おじいさんになっていきますけど、ああ、幸せだなと、この幸せが日本人を代表する人であってほしいなと思いますね。

1962 19681962 1968

日本人は失敗を生かすことができる

1980 19951980 1995

あいろいろね、この間には排気ガスの問題だとか、いろんなところで工場からの排水で病気の人を出してしまったり、大きな事故で人をたくさん死なせてしまったりという失敗もたくさんこの人生の中にあるんですけど、それは人間が生きていくと必ずあるんですが、そういう失敗を生かして日本人は今、生きているなと思うんですよね。その失敗を二度としないようにして。空気もきれいになりましたよね。川も、前は本当に泡だらけで魚はずいぶん死にました。そういうことに気がついた日本人はそれを直したでしょう。で、直して今、住みやすい日本にどんどんどんどんしていますよね。日本人は反省すると、それをもとに自分たちの住みやすいすばらしい国にしていくわけだから。

戦争をしない国はこんなにすばらしい国になる

ういう意味で、これからも戦争を忘れないでもっとすばらしい日本を作っていってほしいです。海外から見て日本人ってすばらしいなということをいろいろ言われ始めてきましたね、少しずつね。日本人って偉いぞという声が聞こえてくるようなニュースが時々聞こえてくるんで、すごく嬉しくて。世界中の見本になって、戦争をしない国はこんなにすばらしい国になるんだよということを日本人は伝えていってほしいと思うし、そういう国を作っていってほしいなと思います。

20152015

ちばてつや

漫画家。1939年東京生まれ。2歳で旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。
終戦により日本に引き揚げた後、1956年にプロデビュー。
1968年「あしたのジョー」の連載を開始し、大ヒット作となる。「おれは鉄兵」「のたり松太郎」「あした天気になあれ」など人間味あふれる作品を送り出し、幅広い層のファンを持つ。

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